ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文が中心となって設立したNPO法人・アップルビネガー音楽支援機構が、新たな音楽イベントを静岡県藤枝市で開催した。春に本格始動した滞在型レコーディングスタジオからほど近いところで行われたこのイベントでは、音楽好きだけでなく、地元の人たちも交わりながら、非常にポジティヴな空気が漂っていた。後藤正文を中心に繋がる地域と音楽、人と人の縁。そこから見えてきた暮らしのヒントと未来について。
(これは音楽と人2026年11月号に掲載された記事です)
藤枝、フジエダ、Fujiedaと最近やけに騒がしい。アジカン後藤正文が立ち上げた〈アップルビネガー〉周辺の話である。後藤が生まれ育った地元・島田市の隣に滞在型レコーディングスタジオを作るという計画は数年前から聞いていた。完成したあかつきにはぜひ取材に行くと口約束も交わした。
ただ、スタジオの実務が回り出せば当たり前のことに気づく。真剣勝負の録音作業。いくら取材と称したところで、知らないバンドの現場に素人がズカズカ立ち入ることは難しい。
偶然聞こえてきたのは、夏休みの終わりに藤枝でイベント〈EN-NICHI’26〉が行われるというニュースだった。主催は〈アップルビネガー〉だが会場は地元のお寺なので、レコーディングスタジオの話とはあまり関係がなさそうだ。しかし縁日というくらいだから遊びに行くのに遠慮はいらない。何より出店のフードが美味しそう。かくして、行くならここだと心を決める。東京からは新幹線を利用して約90分。想像以上に近い。

〈EN-NICHI’26〉は本堂での有料ライヴと境内でのフリーライヴ、地元や近隣のショップを集めたマルシェで構成される夏祭りだった。舞台は日蓮宗円妙山大慶寺。春に完成したスタジオ〈MUSIC inn Fujieda〉から徒歩数分、日蓮聖人が立ち寄ったと伝わる由緒ある寺院である。
「もともと藤枝は宿場町で、東西からいろんな人が来る。誰かを受け入れることが当たり前なんです。歴史を調べていくと、江戸時代、大塚荷渓(おおつか・かけい)っていう文人さんがいたんです。彼はいろんな文人やアーティストと交流があったから、誰かが来ると自宅に泊めて飯を食わせて、滞在期間に作品を作ってもらう。今で言うアーティスト・イン・レジデンスの活動をやっていたんですね。そういうものができたらいいよなぁってボンヤリ思ってた時にゴッチさんの話が出てきて……これは音楽に特化したアーティスト・イン・レジデンスだ! 藤枝でやる意味があるやつじゃん!って思いましたね」


こう語るのは住職の大場唯央。10年以上前から地元で街づくりを進めてきた人物だ。三男坊だったため寺を継ぐ気もなく、大学は東京で過ごし、自由にバンド活動やカフェ巡りをしていた。偶然が重なり大慶寺を継ぐことが決まったものの、地元に戻った大場は本気でげんなりしたという。何もない。娯楽がない。そのマイナス感覚が彼を街づくりに駆り立てた。
「こっちで死ぬまで暮らすことはもう決められている。となると、住むところを自分が好きにならない限り、僕が一生幸せに暮らすことは難しい。だったら自分が暮らしたい街を自分たちで目指していこうと。それが僕の活動の原点ですね。いろんな人と話して、いろんな人を巻き込み、いろんな人と交ざりながら作ってる。ひとりで街づくりなんてやれないし、ひとりだと何もできない(笑)。それはいつも心がけてます」
そんな大場に話を持ち込んだ人物がいる。生まれ育ちは藤枝だが、高校は隣の島田市を選び、1年生の時にたまたま後藤正文と仲よくなった。当時のゴッチは野球部のスポーツマン。「フジロックで唄ってるとか、そっちのほうがギャップありますよ。後藤がギター弾けるっていうのも、しばらくは信じてなかったです(笑)」と語る小林亮介だ。

大学卒業後、地元に戻り藤枝市役所に勤め出した小林は、役所の〈数年に一度はセクション移動〉ルールを当然のように受け入れながら働いてきた。コロナ禍の頃に空き家対策の担当になったことは偶然に過ぎない。ただ、空き家ゼロを目指すイベントを開催し、写真をSNSにアップした直後、たまに連絡を取るくらいだった旧友が一気に食いついてきた。
「蔵とか倉庫とか天井の高い物件、探してるんだけど」
「あー、探せばいろいろあるんじゃないかな」
「じゃ、ちょっと探してくれない?」
これがスタジオ〈MUSIC inn Fujieda〉の始まりとなる。最初に見つけた蔵は途中から話がこじれてしまったが、二軒目に出会えた建物は、持ち主が最初から大歓迎。行政も含めて協力体制がすぐに整っていく。小林が役所勤めだったことは大きい。あとは彼自身の細やかな気配りも。
「誠実に話し合いをさせてもらいましたね。いろんなイベントに出かけていって、隣り合った人となるべく話すようにして。後藤は島田、隣町の出身だから〈知らない街のロックミュージシャンがなんか変なものを作る?〉みたいに思われるのだけは嫌だった。とにかくこの地域に協力してくれる仲間を作らなきゃいけない。大慶寺の大場住職は昔から街づくりに熱心な人だから、仲よくしてくれたのは助かりましたね」
後藤が創立した〈アップルビネガー〉が本格的な音楽支援NPOとして立ち上がる頃、小林は長らく勤めた市役所を辞めている。転職でバタバタと忙しい時期、本人のいないところでゴッチが「NPO代表理事は小林でしょ」と言い出し、断るつもりだったのに「動くのは年に三回くらいだよ」と口車に乗せられ、なんとなく引き受けてしまったのが運の尽き。実際はとんでもない話だった。休日はほぼなくなり、小さなトラブル対応から巨大な資金繰りまで、今も考えることが山積みの毎日だという。
「僕も巻き込まれたけど、一生懸命物件を探して、あんな忙しい後藤をさらに忙しくさせちゃったところがあるのかな。スタジオの予約アプリも後藤ひとりで作ったんですよ。ミュージシャンなのに。だからお互い巻き込まれたし、巻き込んだ。そう考えると最後まで関わりたくて。貴重な経験ばっかりさせてもらってるし、50歳を前にして面白いっすよ」
楽しそうに笑う様子が不思議だった。彼はミュージシャンではないし、今後スタジオを使うことも、その使い勝手にジャッジを下すこともないだろう。私も同じだ。それなのに、〈MUSIC inn Fujieda〉プロジェクトの話は、なぜこんなにもワクワクするものとして我々の元に届くのか。
「僕らは百年続けるつもりでこれを始めたし、百年後も豊かな社会が続いて音楽が鳴っているなら最高じゃないですか。経済合理性で芸術を諦めなきゃいけない、そんな世の中に生きるなんて悲しすぎる。でも、こういうイベントでみんな踊ったり楽しそうにしてるのを見ると、やっぱり音楽はみんなの支えになるんだなと思える。それは世の中を救うことなのかな。だもんで僕もみんなも頑張れる。リスナーである自分自身が一番利益を享受しているんだと思ってますね」
正午、〈EN-NICHI’26〉の準備が始まっている。リハから音響を手伝っているのは地元ギターショップの店長。寺の周囲は普通の住宅地、けっこうな音漏れがあるのだが、大場住職は「大丈夫。このへんの人は慣れてる。またどっかで何かやってるな、みたいな感じですよ」と笑っている。これが宿場町のおおらかさか。おおらかといえば、当日初めて藤枝を訪れる人のために〈MUSIC inn Fujieda〉が自由見学OKと解放されていることにも驚いた。コントロール・ルームの卓はもともとゴッチの私物、相当な高級品である。スタジオの隣には宿泊施設。ストレイテナー・ホリエアツシ寄贈のテーブルとオーディオシェルフがドンとカッコよく鎮座している。
それら詳細を教えてくれたのはテルスターのギタリスト。「アジカンはお客さん3人くらいの頃から観てる。ゴッチは今もかわいい後輩」と笑う兄貴分、千葉剛久である。

生まれは東京の高円寺。地元で長らくライヴハウスを経営していたが、2022年に思い切って東京の離島・神津島へ移住。翌年からは50歳になるタイミングを見据えてソロアルバムを作り出した。エンジニアを後藤正文とし、共に録音作業をしていた時期、これから藤枝にレコーディングスタジオを作るという計画を聞かされる。最初は、いいね、頑張ってねと話すだけだったが、島に戻ってみれば妙に後ろ髪を引かれている自分がいた。
「あの時のスタジオの話って、人は足りてるの?」
「足りてないです。ちゃんと住み込んで、管理人みたいになれる人を探してる」
「じゃ、俺やるよ。やらせて」
かくして、縁もゆかりもない土地に単身乗り込むことが決まり、千葉の肩書きには新しく〈MUSIC inn Fujiedaスタジオマネージャー〉なるものが加わった。3月のオープン以降、嬉しい悲鳴を上げるほど彼の日々は忙しくなっている。業務は建物全般の管理。録音を希望するバンドからメールを受け、スケジュールを調整してなるべく早く返信する。当日は笑顔で迎え入れ、スタジオ内部の使い方を簡単に解説。宿泊施設におけるゴミ分別ルールなども説明していく。使用後はどこもかしこも掃除してピカピカに磨き上げる。総じて裏方の仕事だ。バンドマンなので具体的な演奏アドバイスもできそうなものだが、そういう介入は絶対にしない。
「嫌じゃないですか、知らない大人がウロチョロしてたら。若い時にこんなスタジオができたって聞いたら俺も行きたいと思っただろうし、そこでメールの返信がそっけなかったり、逆にスタッフが鬱陶しかったらガッカリする。ガッカリだけはさせないように。〈あそこでレコーディングできてよかったな〉と思ってもらえるように。一生懸命やってます」
