このアルバムは「〈かーさんはこんなふうにとーさんの死と向き合ったんよ〉と言えるものだと思う」って
「……私はガンジーさんをみすみす死なせてしまったと思ってて。私と結婚してこんなところに来なければ、ガンジーさんは死ななくてすんだんじゃないかって。よく人殺しをした犯人が逃走して、なに食わぬ顔で暮らしててって話があるじゃないですか。私もそのひとりだと思ったし、そんな人間がヘラヘラ生きてること自体どうなんだろう、ましてや人前に出て唄うなんて……ずっとそういう葛藤がありました」
あまりに突然の出来事だった。
2022年3月29日、ガンジー西垣が急逝した。54歳。死因は心筋炎。3日前まで一緒に二階堂のライヴをやっていたのに、2日前は門徒さんの家まで月参りに行っていたのに、急に体調を崩して、あれよあれよというまに逝ってしまった。小学2年生の娘と4歳になったばかりの息子、そして目の前でなにが起こったのかまったく理解できない二階堂があとに遺された。
空白の時間がしばらく続いた。寺のこと、日々の生活。パートナーを失った生活はなにもかもが苦痛だった。どれだけ自分が彼の存在に助けられてきたか、まざまざと見せつけられた。
それは音楽においても同じだった。歌が唄えない。声を出そうとすると嗚咽に変わってしまう。どの曲からもガンジーのコントラバスが聴こえてくる。あるはずの音がそこにない。いるはずの人がそこにいない。まるで映画のシーンのように、これまでの思い出がフラッシュバックした。涙がとまらない。やっぱりあの日々は、とてつもなく幸せだったのだ。しかし夫はもうこの世にいない。あの日々には、もう戻れない。
歌なんて唄いたくもない。人前にも出たくない。しかしガンジーの死から半年後、静岡の寺でのライヴの予定が入っていた。それはどうしてもキャンセルできない約束だった。二階堂は重い足どりでピアノの黒瀬みどりと現地に向かった。
黒瀬はガンジーとともに、広島での二階堂の活動を支えてきた盟友だ。『にじみ』も『かぐや姫の物語』のテーマ曲も一緒に制作したし、何度も3人でステージを作りあげてきた。しかし、だからこそ黒瀬と音を出すのはつらかった。そこには常にガンジーの影が見え隠れした。気持ちも苦しいし、しばらく唄ってないから声も出ない。ボロボロだったリハーサルを終えて楽屋に戻ると、黒瀬がぽつりぽつりと話しはじめた。
――たまにコンサートでねえちゃん(二階堂)がソロで唄ってる時、私とおじさん(ガンジー)は後ろで「太刀打ちできないねぇ」って言いよったんよ。ねえちゃんの歌って、歌に全部、出とるじゃん。それがいま信じられんくらいしんどい想いをしとる中で、心がそのまんま出とって、それはもう、世界中の誰にも唄えん歌を唄いよると思う……。
そして気づいた。どうしてガンジーが二階堂のプロポーズを受けてくれたのか。彼は自分に音楽を続けさせてくれようとしたのではないだろうか。自分がプロポーズに応えなかったら、二階堂は音楽を続けられなくなってしまう。だったら僧侶にでもなんでもなってやろうと、当時住んでいた沖縄からこの大竹の寺まで婿入りに来てくれたのではないだろうか。

そこから少しずつ動きはじめた。黒瀬と一緒にこれまでの曲を解体して、今の自分たちに合うやり方を模索した。それはガンジーが生きていた幸せな日々に向き合い、その上でいないことを認めるというつらい作業でもあった。リアレンジするたびに2人で大泣きして、それでも今の演奏と今の二階堂の歌を這うような気持ちで作りあげていった。
どうするというアテはなかったが、楽曲のレコーディングも開始した。自分で新曲を作るには、まだしんどい。なので、これまで付き合いのあった信頼する人たちに詞や曲をお願いした。髙城晶平(cero)、辻村豪文(キセル)、皆川明(ミナ ペルホネン)。少しずつ歌が集まってきた。
共同プロデュースという役割を原田郁子(クラムボン)に依頼したのは、以前言われた言葉が胸に残っていたからだ。
「二階堂さん、子育てとか忙しいと思うけど、それを引け目に感じないでほしい。毎日慌ただしくて、音楽ができなくて、卑屈になってしまうかもしれないけど、そんなふうに思わないでほしい。あなたが今やっているのはとても尊い仕事。私たちは毎日音楽のことばかり考えている人間だけど、あなたがいざ唄いたいと思ったときには支えられるようがんばるから」
ライヴ会場の楽屋でかけられた言葉を二階堂は忘れていなかった。原田は東京から何度も大龍寺までやってきた。二階堂の子どもたちとごはんを食べ、トランプをして遊んだりもした。
二階堂はどうして夫を喪った後でも音楽をやめなかったのだろう。マイクを置いて寺の仕事と育児に専念するという選択肢もあったはずだし、そっちのほうが道は平坦だったはずだ。
自分ひとりだったら、もうとっくに終わっていたと思う。唄うことをあきらめていた。ガンジー、黒瀬、原田、そしてアルバムに参加してくれた多くの人たち……いろんな人が献身的に寄り添ってくれたおかげで、今の自分がある。歌い手・二階堂和美はまわりの力で生かされて、今もこうして生きている。
完成した『潮汐(ちょうせき)』はオリジナルアルバムとして『にじみ』から数えて14年ぶりの作品だ。その間に結婚があった、2度の出産があった、脚光があった、喪失があった、正式に住職となった――長い時間をかけて凝縮した結晶。彼女が望んだのは、音にしろ、言葉にしろ、嘘がないと思えるものをひとつひとつ丁寧に積み上げていくことだけだった。
「上の子は反抗期に入って、下の子はYouTubeばっか観てるのに、私はアルバムの作業にかまけてて。泣きながら(黒瀬)みどりちゃんにこぼしたこともあるんです。『私、一体なにをやってるんだろうね。子どもをほったらかして、誰が必要としてるのかもわからない音楽を作ってて……』って。それに対してみどりちゃんは、後日手紙で『今はわからんかもしれんけど、あのアルバムは〈かーさんはこんなふうにとーさんの死と向き合ったんよ〉と言えるものだと思う』って言ってくれたんです。ああ、そうなのかもしれない、そういう作品なんだって思いました。もし私のことを気にして、『ニカさん、ガンジーさんがいなくなって大丈夫かな?』と思ってくれている人がいたら、そういう人に『二階堂和美、なんとかやってます』と手紙を書くような、そんなアルバムになったと思います」
最後に。
二階堂和美はこれまでも生と死について唄ってきたシンガーだった。寺の子として生まれた由縁もあり、「お別れの時」「めざめの歌」「いのちの記憶」といった曲には輪廻転生を想起させる仏教的死生観が表れていた。浄土真宗では人は死んだら〈お浄土〉に行くという。今作にも〈人は 必ず/死ぬ 死ぬのです/生まれて きたから/死ぬ 死ぬのです〉と自分に言い聞かせるように唄う「うまれてきたから」という曲がある。大事な人を喪失した今、彼女は死というものをどう捉えているのだろう?
「仏教的には、人は死んだらアミターバという大いなる慈悲の光になって、この世にいる私たちを照らしてくれる――そんなことになってますけど、個人的には〈本当のところはわからない〉というのが正直な気持ちです。ただ、ガンジーさんが亡くなるひと月前、お寺の新聞用に書いた文章があって。それは家族で雪だるまを作った時の話なんですけど、息子が雪だるまが溶けるのを悲しんで、『みんな死んじゃうの?』って聞いてきて。ガンジーさんは〈4歳なのにそんな心を持っているのか!〉って驚いたみたいで、だけどそこから〈人間も雪だるまと同じかもしれない〉って続けるんです。長いとか短いとか関係なく、自分もほんのいっときのあいだ生命を与えられて人間として暮らしているにすぎない、と。そんな束の間のいのちだからこそ尊く感じられるんだろう、と。最後には『自分もこの雪だるまみたいに〈大事に思ってくれてありがとう〉と言いながら死にたいものです』みたいなことが書かれてて、それが絶筆になったんです」

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二階堂とガンジーが計画した音楽スタジオは彼の死後実現して、いま大龍寺の向かいには真新しい建物が建っている。そのテラスからは広島県と山口県の県境を流れる小瀬川が見える。
小瀬川は二階堂の出世作である「女はつらいよ」のMVのロケ場所になった川で、やっぱりどこにでもありそうな普通の町を普通の川が流れている。水面には鴨が泳ぎ、ときおり魚が飛び跳ねる。冬山は沈んだ緑色をしていて、その前を手押し車を押したおばあちゃんがゆっくりゆっくり横切っていく。
アルバム名の『潮汐』とは潮の満ち引きのこと。
きっと二階堂が生まれた頃からこの風景は変わらないのだろうし、これからもそう変わることはないのだろう。
文=清水浩司
NEW ALBUM
『潮汐』
2026.01.21 RELEASE

- リトル・トラベラー
- つけっぱなし
- あれもこれも
- 恋しがっているよ
- BILLIE
- つながりあって生きている
- うまれてきたから
- あうん
〈二階堂和美 アルバム “潮汐” 発売記念ワンマンライブ〉
2026年6月21日(日) 広島クラブクアトロ
