若い頃から自分の意見を持つように育ててもらったおかげで「こうしたい」「ああしたい」って言えるようになったんですよ
先ほどからさも当然のように恩返しの話をされていますけど、それって決して当たり前のことではない気がして。
「あはははは! 本当にぃ!? そんなこと言われたの初めてです――高校時代の友達が、僕のことを『貧乏生まれの坊っちゃん育ち』って言ったんですよ。失敬だな!って思ったけど(笑)、言い得て妙だなって。僕の家は裕福ではなかったけど、貧乏だとも思っていなくて。ただ、文化的な面では本当に大事にされていましたね。例えば、本だけは絶対に買ってもらえたり。門限は明確にはなかったけど、『夜中に中学生がふらふらしてるのは絶対ダメ』と言われてたんですよ。だけど、コンサートや映画にも行ってよかったし、そういう時は帰りが夜10時になっても怒られなかった。だから、文化的なものや機会は惜しみなく両親が与えてくれてた気がします。あとは、家にプラスチックの食器がなくて、お茶碗とかをぞんざいに扱うとすぐに割れるから、洗い物も丁寧にしていましたね」
家事も手伝っていたんですか。
「小学生の頃から普通に手伝ってましたよ。父は料理ができて、大工仕事もやっていて、家の棚は全部父の手作り。母は洋裁ができて、近所の人のためにワンピースを作ってたし、型紙なしで布を裁断できる人。僕は父や母の手によって布や木がひとつの形になっていくのを見るのが好きだったんです。あと、両親は人のために何かをするのが好きな人たちなので、音楽とは直接関係ないけど、人としての感覚はたくさん教えてもらったと思います」
人としての感覚?
「例えば、母は人の家の赤ちゃんをよく預かっていたんですけど、お風呂に入れて、ご飯食べさせて、寝かせて、家まで送って行ってたんです。そういう姿を見ていたし、僕自身も父と母にはいろいろしてもらってきたから、自然と〈お返ししたい〉っていう感覚が身についてるんだと思います。すごく恵まれていたと思います。感謝してます」
それが今の藤井さんにも繋がっていると。
「なくはないと思います」
散々いい話をしておいて、なくはないって(笑)。
「いや、あとで原稿を見た時にすごく恥ずかしくなるんですよ。インタビュアーのみなさんって、いいふうに書いてくださるじゃないですか。でも、僕の身内が読んだら嘘つけ!って思うだろうなって。みんな、激ギレしてる僕も見たことがあるから(笑)。僕は全然完璧な人間じゃないんですよ。よくありたいとは心から思ってますけど」
そのよくありたいという気持ちが、ちゃんと人に伝わってるんじゃないですか?
「あとね、言霊って強いから。ほんとに言ったとおりになるんですよ。だからあまり不謹慎なことは言わないようにしてますし、普段、〈なんじゃ、こいつ〉と思うような人に会ってもひどい言葉で片付けないように我慢します。思わない。せめて、口から出す言葉だけでも理想を語りたい。だから、すっごい黙る時もあって。〈なんじゃこりゃ……〉って思った時は、黙って『お先に失礼します』って帰る。無理して何かを言うことはしません」
口を開いたら何か余計なことを言っちゃうから。
「そうなんですよ。そういう時はもう、ケンカになる(笑)。それで〈こいつ、感じ悪いな〉と思われてもしょうがない。それが自分なんで」
へぇ~! 藤井さんは昔から音楽が好きだったと思うんですけど、もし芸人を経由せずにそのまま音楽の道へ進んでいたとしたら、今みたいにはなってなかったと思います?
「そもそも、絶対に音楽の道へは進んでないです。それは自信あります。音楽は聴くことが好きなだけで、楽器もやったことないし、バンド経験もない。唄いたいっていう気持ちもまったくなかった。カラオケで満足してました」
芸人になったからこそできた表現だと。
「それはあると思います。なんなら、もともとテレビに出たいなんて思ってなかったし、カメラマンかCMの監督になりたかったくらいで。でも、よしもとに入った僕を東京に呼んでくれた人が僕にいろんなことをやらせようとしてくれて、『次は歌』『次はドラマ』って全部プロデュースしてくれた。僕が嫌がっても、いろんなことにチャレンジさせてくれたんです」
ああ、最初はプロデュースされる側だったんですね。
「完全にそうです。初めてコンサートをやる時も、リハーサルスタジオの鏡の前に立つことすら耐えられなかったから、カーテンを閉めてもらったり(笑)。ダンサーのみなさんが『できるできる!』って励ましてくれたおかげでなんとかできたくらい。MCも全部セリフでした。恥ずかしくて何を話したらいいかわからなかったから、作家さんに台本をお願いしたんですよ。普通、芸人なら自分の言葉でおしゃべりするべきだったんですが、僕にはプレッシャーでしかなかった。マイクスタンドで唄うのも『恥ずかしいから嫌です!』って言って、結局、ギターを持つことにして。弾けないけど(笑)。他にも、全曲踊ったりいろんな鎧をまとって、なんとかやりきったんです」
それでも今、こうして音楽プロデューサーとしてレーベルの先頭に立てている理由はなんだと思いますか?
「さっきもお話した、僕に『東京で仕事をしなさい』と誘ってくれた人が、『これからは仕事の内容が変わるから、自分の意見を持ちなさい』と言ってくれたんです。スタッフから『どう思いますか?』って聞かれたら、必ず答えられるようにって。そして、それを3年頑張れって。厳しい時もありましたが、『3年本気でやったら、もっと仕事がやりやすくなるから』と言ってくださった」
それは大きなアドバイスですね。
「そのおかげで、言われたことを何でも受け入れるのではなく、自分の考えを持つようになれたんだと思います。テレビのバラエティでも、若い頃から自分の意見を持つように育ててもらったおかげで、『こうしたい』『ああしたい』って言えるようになったんですよね。もちろん、自分の意見が却下されることも多かったですけど、そのぶん通った時の喜びも大きかったですし、そこから人を巻き込むようにもなっていった。最初はアシスタント的な立場でも、『僕ならこう言いたいです』というところから始めて、自分の番組を任されるようになってゲストを迎える時には、『この人にこういう言い方はできません』とちゃんと主張できるようになっていったんですよね。今思えば、言われたとおりにしたほうが番組として面白かったかもしれないけど、どうしても嫌で。それもきっと、自分の意見を持つという教えが根っこにあったからだと思います」
じゃあ、その教えに従ってなかったら、今のようにはなってなかったかもしれないと。
「なってなかったと思います。他のマネージャーさんの中には『ディレクターさんの言うとおりにやりなさい』とか『カンペどおりにやりなさい』という方もいたので」
その方の教えと、藤井さんの素直さがキーだったんですね。
「そうですね……って自分で言うと笑っちゃいますけど、素直さはあったと思います。空前の〈おバカタレントブーム〉がやってきた時にも、自分の中では〈ゲストにバカなんて言えない〉という思いがあった。そういう意味では素直じゃないし、本当に頑固だし、そのせいで失敗もたくさんしています」
これまで歩んできた道を振り返った時に、後悔はないですか?
「何個かはありますよ。例えば、〈なんであの時、あんな言い方しかできなかったんだろう〉とか、〈オチが見つかってないのに、なんであんな処理の仕方をしたんだろう〉とか、〈できもしないくせに、なんであれに出たんだろう〉とか。いまだに〈ああ〜っ!〉ってなります(笑)。でも、まだ自分は人からもらったものを全然返せてないって思うんです。アンティノス時代に僕の担当をしてくださった方が、今はすごく偉くなってるんですけど、今でも僕のことを気にかけてくださるんですよ。それが本当にありがたくて。当時お世話になった方の中にはもう亡くなってしまった方々もいますけど、今も僕の近くにいてくれる気がするし、その人たちに『いいね!』って言ってもらえるように、これからも頑張りたいと思ってます」
文=阿刀“DA”大志
※『音楽と人2025年7月号』では、〈藤井隆のミュージック・クロニクル〉と題して、音楽に出会った10代から現在に至るまで、年代ごとに影響を与えてくれた作品を5つピックアップし、思い入れなどを語る企画を実施。こちらはぜひ誌面でチェックください。
NEW ALBUM
川島明『アメノヒ』
2025.05.28 RELEASE

- D Breeze
- こんなふうに
- Time Line
- 夜明けの歌
- where are you
- 若者のすべて
- 欠けた月の夜
- Stay Blue
〈SLENDERIE RECORD ファミリーコンサート2025〉 ※終了分は割愛
6/27(金)香川・高松レクザムホール
出演:藤井隆、後藤輝基、YOKO スペシャルゲスト:南野陽子
7/5(土)奈良・なら100 年会館
出演:藤井隆、川島明 スペシャルゲスト:和久井映見
7/11(金)福岡・国際会議場 メインホール
出演:藤井隆、博多大吉 スペシャルゲスト:和久井映見
7/18(金)大阪・NHK 大阪ホール
出演:藤井隆、後藤輝基 スペシャルゲスト:南野陽子
8/2(土)東京・江戸川区総合文化センター
出演:藤井隆、川島明 スペシャルゲスト:南野陽子