心を揺さぶられたり、座右の銘となっている漫画、映画、小説などの1フレーズが誰しもあるはず。自身の中で名言となっている言葉をもとに、その作品について熱く語ってもらう連載コラム『言の葉クローバー』。今回は、3月14日にニューアルバム『PASADENA』をリリースしたさかいゆうが登場。LAで音楽キャリアをスタートさせる直前に購入したジャズピアニストの自伝を紹介してくれます。
(これは音楽と人2025年4月号に掲載された記事です)
『インナービューズ その内なる音楽世界を語る』
獰猛な欲望
作品紹介
『インナービューズ その内なる音楽世界を語る』キース・ジャレット
ジャズからクラシックまで、卓越した技術での演奏、特に歴史的な即興演奏を数多く繰り広げてきた天才ピアニスト、キース・ジャレットの世界で唯一の音楽的自叙伝。本人への取材および自身の加筆修正で構成されている。
これは2001年、僕がLAに行く直前に買った本で。ラジオ番組でキース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』が流れて〈これ誰だ!?〉ってなったのがきっかけで、彼のCDを買い漁った時に、この自叙伝も買ったんです。インタビューというか語り下ろしで、彼がポップシンガーになっていく過程が書かれてるんですけど、この本の第一章が今も僕の中で燻ってるというか。
第一章をざっくり要約すると、ミュージシャンは音楽をただ生産物としてオーディエンスに投げかけるものではない。つねに自分もリスナーであり、オーディエンスと等しく音楽そのものを体験することが大事で、そのためには自分が覚醒した状態が必要だと。で、覚醒するためにはferociousなwant、つまり〈獰猛な欲望〉が必要だって書いてあったんです。その欲望というのは、何かを得るための手段としてではなく、ピュアな欲望――赤ちゃんが本能的に立とうとするような、そういう欲望がないと音楽で覚醒した状態にはなれない。どうしても音にしたい欲望、それを音にしないと死ねない!っていうぐらいの欲望を持つことが、キースは大事だと言っていることに感銘を受けたんです。
さらに、キースが一緒に演奏した中で、自分と同じferociusを感じたのは、マイルス・デイヴィスだったと。マイルスは自分が求めるサウンドを獰猛に求める人で、とにかく自分のすべてを音楽のピュアな体験に捧げた人生だったのかなって。だから僕自身も、ライヴではつねにその時の自分に照らし合わせて、その瞬間のすべての自分を音にしたいと思ってて。
ライヴって毎回違う演奏になるし、毎回違う自分に会える体験みたいなものじゃないですか。そこが面白いところだし、それなりのレベルは僕でもやれてるとは思うんですけど、キースやマイルスみたいな覚醒した状態で音楽を体験するまでには全然至ってなくて。歌詞とメロディとコードは一緒でも、ホールとかライヴハウスの音の響きとか空気感によって音楽体験って変わるじゃないですか。そういう意味でのインプロヴィゼーションを求めて、僕は音楽を続けてるのかなって思います。