新しいトライアングルに立つことはできる。ただ、俺のオリーブに到達点があるように、2人にも何かがきっとあるはずだから
そもそも諦めたことってないんだね。
「だって諦めたら終わりですよ? 不格好でも何でもいいから、ひとつ結果を出さないと何もできないですよ。僕なんて、社会に役立つことの出来ない、ある種の社会不適合者ですよ。そういう人たちって作品を作って、それを人が喜んでくれることで、やっと社会と繋がれるんです。そういう感覚がある。曲にしてもオリーブにしても、作ったものを食べてもらって、それに値をつける価値があるからお金をもらっている。その結果を出さないってことは、死んでるのと一緒だから。諦めるっていうか、終わってる感覚になっちゃう」
話を戻すと、大雪が降っても、いくつかの木は残って。
「そうです。それを育てて、初めて搾れるくらいに実が取れたのが2016年。3年目でした。でも搾ったっていっても、試し搾りできたくらいですから。本格的に売る準備をし始めたのはその次の年ですね。でも本数はまだまだですよ」
試行錯誤を繰り返し。
「だからこれ、一生モノの仕事なんですよ。雪が降って苗が枯れた、と。じゃあ何で枯れたのか、って考える。小豆島には雪が降らないからわからないけど、イタリアのトスカーナ地方は山梨と同じような環境で、雪も降るから話を聞いてみる。そしたら同じ枯れ方をするんだってわかる。あと、クレタ島の品種を山梨に植えたら、めちゃめちゃ勢いがいい。その理由はいまだにわからない。たぶん僕のオリーブ人生の中で、解明できてるのはまだ3%とかそれくらいですよ。桃やぶどうのように、ある程度のベースができるには、20年とか30年かかるんじゃないかな」
それ、生きてる間に解明されないかもしれないよ。
「そう思います。だから僕の夢は、今山梨で僕がやってるオリーブ栽培が、僕のものというより、山梨のものになればいいなって。桃やぶどうのように『山梨のオリーブオイル美味いよね。お土産に買っていきたいね』って思ってもらえるくらい値段も下げていきたいし。僕の次の世代かもしれないけど、最初の一歩の僕がどこまで行けるかによって、次にこれをやろうとした若者が、次の階段に行くスピードが変わってくるんですよね」
なるほどね。
「恩返しとかできないから、それがみんなのものになれば面白いことが起きるんじゃないかな……そう、みんなのものにしていくのがゴールなのかもね。流行りにしたくないというか、ブームで終わらせたくないというか、どう文化にしていくか」
山梨オリーブの祖、として銅像が立ちそう(笑)。
「それは嫌だ(笑)。でも、音楽と一緒で、オリーブで人と繋がれるからやってるんじゃないかな。それが自分の存在証明だから」
でもまだまだこれからだ、と。
「そうですね。最初に販売し始めた頃なんて、年間の売り上げは本当に少なかったし、2018年には台風が来て、今年は売上目標額を絶対超えるぞ!って思ってたのが、木が倒れて、ほぼゼロになるし。ようやく去年は目標額を超えることが出来ました。でもね、雪が降って枯れるとか、収穫直前に台風で木が倒れるとか、ああいう経験をすると、普通に採れるだけで喜びがある。コロナとか3.11もそうだけど、気づかされますよね、どれだけ普通が幸せだったか、って。日常的なことってすげーいいなって」
なるほどね。
「でも僕、そういうのもすべて、音楽から教えられたと思いますよ。みんなでないものを作り出す面白さ。一緒に同じ風景を見る喜び。そしてそれを多くの人と共有する感動。それだけでいいんですよ。だって音楽って、目の前の人が喜んでくれてるのがリアルタイムでわかるんですよ? あの感動に勝るものはないですよ」
その感動を憶えているなら、音楽やりたいなとかベース弾きたいなとは思わない?
「まあ弾きたい時は弾きますよ。家で(笑)。たぶん、俺の中にあるオリーブでの成功みたいなのにたどり着いた時、バンドとかベースっていうスイッチに触れられる気がするんですよね」
その成功って何?
「もちろんお金的にオリーブが事業として成り立つってことも大事なんだけど、やっぱり、山梨のオリーブってものが認知されることかな。今音楽やると、やりたいとかやりたくないとかじゃなくて、オリーブの宣伝みたいに見えちゃう。それが嫌なんですよ。音楽をやりたくない、ってわけじゃないです」
1回、藤巻くんのアルバムで弾いたけど、あの時はどんな感じでした?
「あの時、亮太くんはレコーディング中で、曲がメールで送られてきたんですよね。なんか嬉しかったし、じゃあ弾くか、と自然に思えた。めちゃめちゃ楽しめたし、きっと亮太くんもそうだったと思う。そういうことなんですよ。レミオって自然の木とか花とかと一緒だから、無理矢理咲かせたり、芽吹かせるのは不可能なんです。3人のバランスの中で実がなるようなものだから、どうにかしてやろうと努力したって無理。自然に3人が向き合えないとね。オリーブを作るのと一緒ですよ。仕事だけど、喜びを感じ合うこと前提で楽器を持たないと」
どんなバンドも、高校の頃と同じような気持ちでやるのは難しいからね。
「そう。みんな大人になったし、前と同じバランス感覚でやることはもう無理だと思う。あのトライアングルの角に3人乗って、どうやってバランスとってたっけ?って思い出すのは。それが出来なくて休止したようなもんだから。でも、新しいトライアングルに立つことは可能なんじゃないかな。ただ、俺のオリーブに到達点があるように、オサにだってドラマーとしての何かがあるし、亮太くんにだってソロとしての何かがきっとあるはずだから」
今に納得しないとね。
「そう。今を懸命にやらないと。レミオロメンにも失礼だから。そう思って、毎日オリーブに向き合ってます」
オリーブに向き合うことも、ベースを弾くことも、彼にとっては同じなのだ。どちらも捨て去るものではなく、ずっと持ち続けていく何か。だから〈休止〉なのだろう。
取材を終えて、甲府市内のお店で呑んだ。楽しい話も、苦い話もいっぱいした。10年っていろんなことがある。それぞれがいろんな選択をする。でも彼の言うとおり、新しい形で、成長した形で交わることは、きっとできると思うのだ。あの頃のように、素直に向き合えたなら。
「僕らは夢を見る」
そう唄っていたあの頃のまま、前田啓介は今を生きている。
文・撮影=金光裕史