NITRODAYのヴォーカル&ギター小室ぺいが、自身が気になったものを独自の視点で綴っていくWEB連載。今回は、外出自粛が続く中、社会の中で生きる自身の考えについて。
#14「汚れた肺」
バディ・ホリーを聴いている。遥か昔の音楽だ。ざっと60年前。この頃に書かれたSF小説の中での近未来ってまさに今だったりするなぁ。どんな世界になってる? きっと誰もこうなるとは思ってなかっただろう。いや、もしかすると満月の見つめすぎによってそんな妄想にとりつかれていた野良の猫が世界のどこかにいたかもしれない。でもそれは仕方ないことなのだ。これからやってくる未来のことなど誰にもわからないのだから(過去や今のことをも完璧には理解できないのとほぼ等しい意味で)。
とまで書いてこの世事にどこか他人事であるかのような自分が疎ましく思えてくる。なんというか、本気で自分のことだと考えたくないという部分がある、あってしまう。それは無力感だったり。ことの規模が大きすぎて、同時に自分の手の届かないところにあるのを感じる。どれだけ自分が頑張ったところで網で水をすくったときのように、希望というものがするすると逃れていくような諦めがあるのだ。そして同時に自分という存在の場所がぐらぐら揺らされている感覚になる。誰が言ったわけでもない「ソーシャルディスタンス? 結局お前は社会の一員なのだ!」という意味の台詞が、超低周波に変換されて、全部の方向からぶつかってくるような感じだ。
実際困ってはいる。満足に出かけられないし、買いたいものがない時もある。僕は散歩が好きで色んなことに煮詰まる度、街と空の間をとにかく右も左も歩いて歩いてアルキメデスするのに、それも出来ない。そして外に出られない間、せっかくだから家で弾き語りを練習したいなと思い立つも、新しいギターのために外にも出られない間、せっかくだから家で弾き語りを……という無限の迷路に閉じ込められてしまった。あーあ、皆に会いたい、バンドしたい。なんてつぶやいている。
しかし、それでも自分と他人の境目がなくなるほどの最悪さ加減ではない。
本当は、きっと誰もそれぞれの感覚、景色、速度がある。そのひとつひとつが大事に守られなくてはいけないと思うのだ。そうでないと生きるも死ぬも変わらない。それが失われていくことが、一度描かれた絵が真っ黒に塗りつぶされるように恐いのだ。この世界はどんなことも突き詰めていけばひとつひとつの心(人間以外だってそうかもしれない)の単位に収まるんじゃないかと思う。反対に言えば各々の半径が重なり響き合ってすべてが作られている。それが最初からたった一つの円であったかのように変貌してしまえば、なんて息苦しいんだろう。今はまだ完璧な真っ黒にはなっていないとしても、その肺胞の先を汚す煤は誰かを苦しめているかもしれない。
正直、どうしたらいいかは分からない。でもそのことを忘れないでいようと思う。この目の前にある滑走路をしっかりと見定め続けようと思う。

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