3月27日公開の映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』は、〈東京ロッカーズ〉を中心としたライヴハウスシーンの黎明期を知る音楽ドキュメントとしても、もがき苦しみながら、自分たちの表現、居場所を追求した若者たちの青春群像劇としても楽しめる作品だ。監督・田口トモロヲ、脚本・宮藤官九郎、主演のひとりを務めるのが銀杏BOYZの峯田和伸と、音楽青春映画の名作『アイデン&ティティ』(2003年公開)の布陣が再集結したことでも話題の本作。その公開を記念して、田口トモロヲと峯田和伸の対談をお届けする。1990年代にバンド、ばちかぶりのフロントマンとして活動していた田口と、『アイデン&ティティ』以降、〈東京のパパ〉と彼を慕う峯田の対話。そして映画の原作者・地引雄一氏の言葉から探る、〈パンク〉という精神性、〈東京ロッカーズ〉と今を繋ぐものについて。
(ここでは音楽と人2026年4月号掲載の記事より地引氏のインタビューを再掲載します)
『ストリート・キングダム』の原作者としてだけでなく、映画の脚本も最初から関わっていきました。事実と違いすぎるところは直してもらったりね。だから物語が自分の手から離れていったような感覚はないです。前半はほとんど自分の記憶の中のことが再現されているから、自然と涙が出てきちゃったり、今どういう感情で見ているのか自分でもわからない感覚でしたけど、後半になると、物語としての面白さにどんどん惹かれていきましたね。うん、いい映画だなと思えました。
僕がライヴハウスに通い出した頃って28、29歳だから、演じてくれる峯田くんよりもうちょっと若いぞと言いたいところもあったんですよ。さらに言えば峯田くんみたいな存在感もない。音楽にそこまで詳しかったわけでもないし、周りはアクの強い連中ばかりだから、当時の僕は相当頼りない青年に見えていたと思う。だから正直どうなんだろうと思ってたけど……見てるうちにだんだん峯田くんが自分に見えてきた。
話を聞いてみると、峯田くんは〈東京ロッカーズ〉のことも詳しいんですよ。映画の中に出てくるミニコミも、実際に本物を峯田くんが持っていて、それを元に再現したものだったりする。さらには僕が90年代に作っていた『イーター』って雑誌も読んでいたらしくて。実は〈東京ロッカーズ〉直属の継承者だった。それがわかってよけい親近感、同一感が生まれましたね。今、予告編なんかで峯田くんが映ると自分が映ってるような気がしちゃいます(笑)。

カメラマンとしては、映画にもチラッと出てきますけど、それ以前は福島の農村を撮るところから始まってます。養蚕やっている人たちの家に泊めてもらって、本当に伝統的な山村の暮らしを撮り続けた。それをまとめて写真雑誌に発表したあとだから、次は都会、東京っていうものが撮りたくて。何を撮るべきか考えていくと、都市=ロックという音楽なのかなって。
ただ、あの時代のロックってもう下火だったんですよ。60年代から70年代にかけてのウッドストックや学生運動に代表されるカウンターカルチャー、要するに〈ロックは社会を変える〉みたいな運動はすっかり落ち着いちゃって、音楽もフュージョンとかニューミュージックとか、綺麗なものが主流になっていく。そんなタイミングで出てきたのがパンクだった。何かすごいものが始まっている感覚はありましたね。だから、ただバンドの演奏が撮りたかったわけじゃない。都市の若者たちが集まって何か自己実現をする、自分たちの居場所を作っていく様子。当時の東京の新しい文化。そういうシーンを撮りたかったんだと思います、今となっては。

最初はある程度写真がまとまったらどこかに発表して、次のテーマに移ろうかな、くらいの感じだったんですよ。ところがどんどんどんどん引き摺り込まれていく(笑)。映画の中のユーイチもそうですけど〈俺、そんなことやりたかったわけじゃないんだけどな……〉みたいな感じでしたね。ただ、映画の中でのモモのモデル、リザードのモモヨから「地引くん、いつもニコニコしてるね」って言われたことがあって。自分ではそんなつもりはなかったし、むしろ学生時代はニヒルだとか言われてたはずなんだけど。結局、自分の居場所を僕自身も求めていたんだと思います。
実はモモヨ、出会った頃からすでにキャリアは長かったんですよ。高校生ぐらいからバンドやってるし、70年代のアンダーグラウンド・シーンでもそれなりに知られた存在。一度ワイドショーに取り上げられて、放送禁止用語を連発して大騒ぎになったことがあった(笑)。レコード会社の人からも可愛がられてたし、メジャーデビューの準備もしてたと思います。ただ、さっき言ったように60年代のカウンターカルチャーが下火になるにつれて、その文化はどんどん廃れていくんですね。バンドの居場所もなくなっていく。映画の中に出てくる軋轢のモデル、フリクションもそう。彼らは前身バンドの環境が悪化していく中、なんとかしようとニューヨークに一年ぐらい行くんですよ。そこでポストパンクのムーヴメントや、のちにブライアン・イーノがプロデュースする『NO NEW YORK』に収められたバンドと出会って日本に帰ってきた。だから、長いキャリアを積んできた人たちがある意味では追い詰められ、さらにパンクという刺激を受け、新たにもう一回やり直そうと集まっていく。〈東京ロッカーズ〉にはそういう側面はあったと思う。

ロンドンパンクに影響を受けた10代の子たちも一緒になってシーン全体は盛り上がっていくんだけど、僕の周りにいたバンドは、みんな、音楽で食べていこうっていう発想を持ってなかったと思います。それよりも、本当にやりたいことがやりたい、自分が自分であるために音楽をやる、みたいな感じ。その考え方のまま人気を得て音楽業界と関わっていくと、当然いろんな問題が出てきてしまう。映画の中で描かれている通りです。それでも、業界の中でステップアップしていくことより、自分の表現、自分の意思みたいなものを大事にしていた。映画の中で使われた言葉でいうと「売れる、売れないじゃなくて、自分がどう表現できるか」。
メジャー/マイナーなんて関係なかったし、人にどう言われようと気にしない。とにかく自分のやりたいことを実現するのが目的。それがエスカレートしていくと、いかに他の人がやらないことをやるか、みたいな感じになって、全裸になったり流血したり(笑)。映画の内容よりも実際はもっと酷かった。それこそ初期の江戸アケミ(じゃがたら)とかも相当激しいことをやってましたよ。でもそれは、のちに音楽的にも評価されるっていう不思議な現象になっていく。あの時代の面白さですよね。
僕が写真を撮り続けたのも、仲間とミニコミを作っていたのも、同じような気持ちから始まったことだと思います。実際、周りにいたのはバンドだけじゃなかったんですよ。一種の文化運動に近い感じで、カメラマンもいっぱいいたし、斬新なチラシとかポスターを描いてくれるデザイナーの人もいた。イベントをやってみれば、魚の被り物をしたパフォーマンスをする人や、自作の詩を読み出す女の子も出てきた。特定の旗振り役がいたわけじゃないし、それぞれ同じ考え方でもなかったけど、みんなでひとつの熱狂を作っていた。当時からそういう言葉があったわけではないけど、〈自分の居場所は自分で作るんだ〉みたいな感覚は共通して持っていたような気がします。

〈東京ロッカーズ〉の功績として一番大きいのは、音楽シーン、現場を作ったことじゃないかと思うんです。それまでも内田裕也とかはっぴいえんどが〈日本のロックを作ろう〉っていう動きを見せてはいたけど、ライヴハウスの現場なんて都内に一軒くらいしかなかったし、東京でロックをやろうとしたら、たとえば日比谷の野音とか、どこかの劇場を借りるしかなかった。でも〈東京ロッカーズ〉がライヴを始めた時期は、フォーク中心だった新宿のロフトがロックやパンクのハコにシフトチェンジしたり、ほんの数年の間にバーッとライヴハウスが広がっていった。それまでのロック需要って、あくまでレコードを通じてのものだったんですよ。レコードがメインで、新譜が出るとその特集を組んだ音楽雑誌を読む。たまに来日コンサートがあれば出かけていく、みたいな。でも〈東京ロッカーズ〉は直接体験できる。毎日毎日新しいバンドが生まれて、一ヵ月もすればどんどん変わっていく。そういうことを生で感じられる現場ができた。それがあの時代の成果、一番大きかったことじゃないですかね。
時代は流れていきますから、パンクのあとにはハードコアが出てきたり、そのあとには90年代のパンクシーンも生まれていく。別の流れとしてポジティヴ・パンクと呼ばれた、のちのヴィジュアル系に繋がるシーンが生まれたり、さらにアヴァンギャルドな方向に行くバンドも出てきた。だから〈東京ロッカーズ〉の精神って、ひとつだけじゃない、いろんな方向に広がっていった気がしますね。それぞれのシーンで、またそれぞれ新しいものがつねに生まれていったんです。
2000年以降、僕は雑誌メディアを通じて当時20代くらいの人たちと接する機会が増えるんですけど、〈東京ロッカーズ〉と何かが繋がってるなと思うミュージシャンには何人も出会ってますね。もちろん峯田くんもそう。たとえ当時を知らない世代であっても、何か同じものを感じることがある。今はネットもあって、インディペンデントで活動していても幅広い選択肢があるし、多くのお客さんを集めるバンドも増えてるじゃないですか。昔に比べても自分の居場所や現場っていうものが現実化しやすい時代になったのかなと思いますね。

監督の田口トモロヲくんとは映画の終わり方について話しました。実際のインディーズシーンやレーベルって、それぞれみんなが美しく活動を終えられたわけでもなかった。でも、やっぱり希望を持った終わり方にしたい。それがトモロヲくんの強い思いでした。まだまだ希望があるんだよっていうメッセージ。あの時代の熱狂が生み出したもの、それぞれの現場で広がっていったものが、さらに若い人たちに引き継がれていったらいいなと思いますね。その気になれば自分の居場所は自分で作れるんだっていうこと。アケミが言った「自分の踊り方でおどればいいんだよ」っていう言葉が最終的に映画のテーマになったのも、そういうことだと思います。
文=石井恵梨子

地引雄一
写真家/編集者。1978年に紅蜥蜴(のちのリザード)と出会ったことをきっかけに東京ロッカーズのムーヴメントにかかわり、自主レーベル、テレグラフ・レコードを運営するなど、みずからも当事者として活動するようになる。

『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』
TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開中
出演:峯⽥和伸 若葉⻯也
吉岡⾥帆 仲野太賀 間宮祥太朗 中島セナ
⼤森南朋 中村獅童
監督:⽥⼝トモロヲ
原作:地引雄⼀「ストリート・キングダム」
脚本:宮藤官九郎
⾳楽:⼤友良英
エンディング曲:「宣戦布告」峯田和伸/若葉竜也
企画製作・配給:ハピネットファントム・スタジオ
