本日、10月8日に55歳の誕生日を迎えた吉井和哉。2021年は、自身の新レーベル〈UTANOVA MUSiC〉を立ち上げ、新曲「みらいのうた」を8月6日にデジタルリリース。フォーキーで穏やかなこの楽曲からは、彼のさまざまな思いを感じることができる。さらに昨年から行われてきた弾き語りでのライヴに続き、11月からのライヴハウスおよび、日本武道館を含んだツアーが発表されるなど、活動も活発化。「みらいのうた」リリース時のテキストを再掲載し、55歳を迎えた吉井和哉の今を、そして未来をあらためて探ってみようと思う。
(以下は『音楽と人』10月号に掲載された原稿を一部再編集しています)
初めて耳にした時、気がつけば自分は、小さくうなづきながら聴いていた。何度も、何回も。それも真夜中に、ひとりの部屋で、音を静かに流しながら。それはあまりにもこの歌に似合うシチュエーションだったと思う。
うなづいた理由は……まずひとつ目は、今の吉井和哉がこういうパーソナルな世界をそっと唄うことについて、納得がいったからだった。その背景としては、やはり昨年末までのザ・イエロー・モンキーでの活動が大きな理由にある。この数年間は、若き頃からの仲間たちとダイナミックな音を出し続けていたわけだが、彼の中ではその反動……というと言葉が過ぎるが、つまり揺り返しのような動きがどこかで起こっているのでは、という気持ちが自分にはあったからだ。だから「みらいのうた」を聴いた瞬間に、ものすごく腑に落ちるものがあった。
この歌での吉井は、とても「個」を感じさせる。静かに、自分の感情を確かめるように唄われている歌なのである。歌詞の主語である〈僕〉は、もしバンドで唄う時であれば、そのすぐ後ろに信頼できるメンバーたちが存在している事実まで感じることも多いのだが、こうしたソロの歌での〈僕〉は、まったくのひとりの状態であることを痛感する。完全なるひとり語りだ。そして「みらいのうた」の底に見えるのは、遠い昔、あがた森魚の歌にのめり込んだような、吉井のフォーク的な資質である。だからこの歌を聴きながら最初に思い出したのは、「トブヨウニ」や「BEAUTIFUL」といった、彼がソロになってわりと初期のうちに書かれた繊細な歌たちの像だった。考えてみれば、あの頃からもそろそろ20年近くが経つ。その意味では、ちょっと懐かしくもあった。
ふたつ目に感じたことは、この歌の中身だった。だって唄い出しがいきなり〈何もかも嫌になった こんな時何をしよう/信じてたあの人も しょうもない嘘ついた〉である。自暴自棄の寸前、人間不信の直前。とくに世の中のムードが沈滞し続けている最近だけに、この2行は強く響く。ただ、それでも吉井は〈いつか全てが変わるなら今日もただ歌おう〉と言う。〈怖くはない 未来の歌〉と、そして最後には〈いつか叶え/未来の歌〉と唄っているのだ。ここには、人にキズつき、何らかの絶望感に悲しんだことがある者だからこそ唄える、音楽への希望がある。ひとりで聴きながら、自分の中の何かがこみ上げてくるような感覚に襲われた。
また、思い起こせば、イエローモンキーの最新曲(リリースは昨年の3月)は「未来はみないで」というタイトルで、あれは未来に再会するという約束の歌だった。それに続く吉井ソロの新曲がこの「みらいのうた」なわけで、今度は未来に希望を込めた曲になっているわけだ。さまざまなことが巡りながら、つながっている。そんな気がする。
この曲のバックの音に耳を向けると、サウンドはあくまで歌を立てるために存在していて、つねに一歩引いた場所で流れを作っていることを感じる。ギターやキーボード、ドラムの音色が、とても優しい。アレンジャーの堀越亮はマルチプレイヤーとしても活躍する方で、吉井とはこれが初顔合わせ。序盤の演奏はとても簡素で、音と音のスキ間が広い。曲が進むにつれてコーラスやストリングスが加わり、壮大なチェンバーロックへとなっていくのだが、それでもどの音も前には出ず、吉井の歌を支える役割をまっとうしている。
MVもすでに公開されていて、そこではモノクロームの映像に吉井の姿が映し出されている。Gジャン姿で部屋の中で唄う彼は、とてもシックだが、その奥にハードな感覚も見え隠れする。監督を務める山田健人は、再集結したイエローモンキーの映像関連の仕事で出会った才能である。また、この歌はディズニープラスのCMソングとなっていて、ディズニーに加え、ピクサーやマーベルなどの作品の動画サービスを行うサイトのPRで流れている。ドリーミーでファンタジックな映画作品に当てるのに、「みらいのうた」はやや渋めな気もするが、見方を変えれば、明日の希望を信じることを唄ったこの曲によって、幅広い視聴者層にアピールすることが指向されているのだろう。
さらにこの曲は、吉井が今回新たに設立したレーベル〈UTANOVA MUSiC〉の第1弾リリースとなっている。〈UTANOVA〉とは、つまりは「歌の場」ということ。そして実はこの名前は、彼が昨年から行っているソロのライヴツアーのタイトルでもあり、コロナ禍で苦しい状況にあるライヴハウスに、細やかながらの支援と活気をもたらしたいという意味も込められている。
そのツアーはアコースティックライヴで、出演は吉井ただひとり。今までの彼の活動において、ステージにてひとりで弾き語りをしたことはほぼ皆無のはずで、自分の記憶の中にはない。つまりこのツアー自体が新しい試みなのである。会場に使われたのは小さめのライヴハウスばかりで、昨年の夏からは、東京は渋谷に始まり、赤羽、下北沢、それに千葉の柏と、これまた渋い街で行われてきた。それも思えば、イエローモンキーの東京ドーム公演が一旦白紙となり、あらためて秋に関東の4公演が始まるまでの間のことである。イエローモンキーの他のメンバーが、ソロの場では別にバンドを組んでいるのに対し、ここでの吉井は完全にソロの形態で動いていたわけだ。
こうした「個」への回帰の仕方は、どことなくソロ活動の初期の頃を思い出させる。さっき「トブヨウニ」を思い出したことを書いたが、あの頃、吉井はまだYOSHII LOVINSONを名乗っていて、ひとりで歩んでいくための態勢を作っている時期だった。また先ほどのツアーで、ライヴハウスばかりを廻っているのは、そうした場所で活動をしてきた彼なりの思いがあるのではないかと考える。今一度足場を見つめ直したいとか、そんなふうな。
このソロでの弾き語りライヴは今年の春から再開されていて、吉井はすでに横浜、静岡、熊本、名古屋、仙台といった街を廻っている。それも夏からはビルボードに場所を移して、横浜と大阪、東京で開催。ここではバックに他のミュージシャンを起用していて、その中にはキーボードにおなじみの鶴谷 崇が名を連ねているものの、ソロでのバックアップをいつも務めてくれるナポリタンズの面々とは違っていた。なお、これまでの一連のライヴではクローズドな親密さを大事にしてなのか配信を行ってこなかったが、最後のBillboard Live TOKYO公演のみ、配信もされた。
そして11月からは〈THE SILENT VISION TOUR 2021〉という名前の全国ツアーもすでに発表されている。これは全国のZeppを中心に廻るもので、ここではバンド編成でのパフォーマンスになるとのことだ。その最終日には、恒例の12月28日の日本武道館が決定している。吉井のこの日の武道館は、翻れば2015年以来、6年ぶりになるとのこと。そうだ。あのライヴのしばらくあとに、イエローモンキーの再集結が発表されたのである。
こうして見ると、あらためて、やはり多くのことが巡りながら今もう一度つながっている、そんな気がする吉井の現在である。それはファンそれぞれにとってもきっとそうで、世の中の動きも含め、誰しもがこの間にはさまざまな紆余曲折を経験したのではないかと思う。そこで、決して声高に叫んだりはせず、自分のいる場所を確かめながら、そこで未来に希望を見出そうとしているのが今の彼ではないだろうか。それだけ吉井も戦ってもきたわけで、ビデオを見ていると、顔立ちにも年齢なりのものを感じる。もっとも、それはお互いさまなのだが。
悲しいことや、しんどいことは起こるし、そう簡単にはなくならない。若い頃と違って、そのメランコリーを勢いや力づくで吹き飛ばすこともできない。
だが、それでも、少しずつでも前を向いて進んでいこう……と。「みらいのうた」がそんなことを思わせてくれる晩夏である。
文=青木 優
DIGITAL SINGLE「みらいのうた」
2021.08.06 RELEASE