Mrs. GREEN APPLEのフロントマン・大森元貴がソロ活動を始動し約半年が経ったが、早くも2作目のデジタルEP「Midnight」が発表された。収録曲3曲はいずれも異なるアプローチで展開されているが、彼が一人きりで表現する意味、そして、バンドとの共通点を見出すことができる。果たして、今の彼にとって音楽とは何なのか? これまで彼と向き合ってきた時間を思い返しながら、それらを紐解いていく。
(これは『音楽と人』10月号に掲載された記事です)
「Midnight」のミュージックビデオで、ダンサーとともにキレのいいダンスを決める彼のパフォーマンスを見て、ふと思い出した。Mrs. GREEN APPLE、今はなき赤坂ブリッツでのワンマンライヴのステージだ。デビュー2年目、ファーストアルバムを提げたライヴハウスツアーの最終日で、演奏の途中、彼は唐突にダンサーのごとく華麗なステップを披露したのだ。もちろん両脇にいるメンバーも彼と同じステップを踏んでいて、この新人バンドはお客さんを楽しませるためならこんなことまでやるんだ、とひどく感心したのを覚えている。おそらく、あの頃の彼がミセスに求めていたものや、彼の音楽を受け取ってくれる人たちに向けられた思いは、今も変わらないままだろう。けど、この5年余りの月日の中で、彼が曲を書いたり歌を唄ったりダンスを披露する理由がずいぶん変わってきたことを、最新ソロEP「Midnight」を聴いて思わずにはいられなかった。
ソロ名義によるファースト作「French」同様、本作は3曲それぞれの音楽性が異なる作品である。言うまでもなくそれはバンドという形態から逸脱するもので、そこに彼がソロ活動を始めた理由があるはずだ。唄いたいことや奏でたい音はもちろん彼の中にあって、その欲求により忠実かつ正確に構築されたものばかりだと想像する。むしろバンド活動の根幹にあるメンバーたちとの繋がりや一体感から得られる喜びやカタルシスを、彼はここで求めていないと換言することもできる。大いなる好奇心と自分の可能性だけを手がかりに、一人きりで道なき道を進むアドベンチャー。誰に気を遣うこともなく、音楽のひとり旅に出かけたかった。そういうことなのだろう。
しかし、前作「French」や「Midnight」に通底しているのは、そういったひとり旅の気楽さや自由奔放さではなく、音楽という名の深く暗い森の中に身を投じるための覚悟のようなものだ。バンドじゃなくてソロなんだから、もっと気楽にやればいいのに。ひとり旅の醍醐味を味わえてないんじゃない?みたいな意地悪な問いかけを彼にしたくなるほどだが、だからこそ彼らしいな、とも同時に思ってしまう。もっともっと新しい音楽を作りたい。自分が作った音楽そのものに自分自身が酔いしれたい。それでいて普遍性とか時代性をまとったポップミュージックとして多くのリスナーに届けたい。そういった肥大化する欲求に抗うことなく、彼は単身での音楽制作に邁進していったのだ。そりゃあミセスの活動と並行してやるなんて、さすがの彼でも難しかったことだろう。
新作「Midnight」を掘り下げてみよう。特筆すべきは冒頭でも触れたようにやはり表題曲「Midnight」だ。世界基準を目指したハイスペックなダンスミュージックでありながら、人懐っこさを感じるメロディとコーラスワーク。前作「French」しかり、時代の空気やトレンドを詰め込んだ楽曲は、バンドじゃ表現できない楽曲であり、こういった新たなポップミュージックの可能性を追求することにソロ活動の意義があると言っていい。Mrs. GREEN APPLEという巨大かつ普遍的なイメージからどこまで遠く離れた場所まで跳躍することができるのか。そんな彼の冒険心みたいなものも感じられるのだ。その一方で、彼の軸足はやはりバンドにあることを確信するような楽曲もある。前作で言えば「メメント・モリ」、今回だとシンガーソングライター・元松美紅とのデュエットソング「メイプル」がそうだ。この2曲がミセスではなくソロ名義の楽曲として制作された理由はわからないけど、「Midnight」のようなミセスとはかけ離れた表現を求めても、結局のところ彼の音楽はミセスに回帰していく、という解釈ができる。
さらに3曲目の「ヒカルモノクラクナル」だが、これこそ本作において大森元貴という存在を身近に感じられる曲である。誰の手も借りず、あたかも一人きりで作り上げたであろう独創性の高いトラック。そこに囁くように唄われた繊細なメロディ。そのどちらにも、彼の寂しさや孤独感を感じずにはいられない。ここには彼以外の誰もいないし、誰とも分かち合うことのできない閉塞感が満ち溢れている。そんな深くて仄暗い空間でただ一人、自分にとって音楽とは何なのか。そんな根本的な問いかけを自分に課しているような、孤独な歌である。
以上3曲からわかるのは、それぞれの楽曲に対して自分なりの〈音楽人生のあり方〉を提示している、ということだ。例えば「Midnight」は彼がイメージする〈音楽の未来〉だ。バンドという限定的なスタイルからはみ出してでも普遍的なポップミュージックを求めていこうとする姿勢。彼がミセスを休止させた理由もこの曲を聴けば合点が行くものだ。もしかしたら今後のミセスは楽器を持たずしてメンバーとダンスを披露するような〈グループ〉に進化することだってありえるかもしれない。そして「メイプル」は自分以外の他者との〈共有〉だ。コラボという形態やバンド編成によるサウンドなど、音楽を人と分かち合うことの喜びや安心感を、彼は音楽に求めていることがわかる。さらに「ヒカルモノクラクナル」は、大森元貴にとっての〈ルーツ〉を意味している。僕は一体何者なのか。僕の音楽の出発点はどこなのか。学校にも行かず、部屋にこもってひたすら音楽を作り続けていた少年時代の日々こそが、彼の帰る場所なのだ。この3つの要素は彼が音楽活動を続けていく上で、どれも必要不可欠なものであり、そのことを自覚的に音楽という表現に落とし込んでみた。そうすることで、自分にとって音楽とは何なのかを、明らかにしたかった。そういうことではないだろうか。
デビュー当時から彼はプロデューサー的な見地でミセスのことを饒舌に語ってきた。爆速で階段を駆け上がってきたバンドの歩みは最初からすべて計算通りだったと言いつつも、実はそこまで器用な人間でもないことを自ら書いた歌の中で唄ってきた。どんなにバンドが大きくなっても寂しさは埋められない、という諦念はあるだろうけど、多くの人に愛されたという実感も抱いている。その狭間で、これから彼はどんな人生を音楽とともに送ろうとしているのか。そのヒントをソロ活動の中で得たのかもしれない。
最後に、ソロであろうとバンドであろうと、彼が唄っていることはどれも同じだ。誰かのために唄うことが、自分の救いになっている。そのことを彼はどこまで自認しているのか、いつか確かめたいと思っている。
文=樋口靖幸
NEW DIGITAL EP「Midnight」
2021.08.06 RELEASE
01 Midnight
02 メイプル
03 ヒカルモノクラクナル