多くのミュージシャンを取材してきた。
編集長になってから20年。ずっと取材を続けてきた人もいる。しかし逆に、まったく逢わなくなってしまう人たちのほうが遥かに多い。昔、毎月のように会って、リリースのたびに取材して、ライヴに行って、時には酒を呑んだり、プライベートを深く知るようになった人ですら、時と共に疎遠になっていく。
50歳を過ぎたあたりから、無性にその人たちに逢いたくなった。編集者としての終活なのか、最後まで活動を支えきれなかった贖罪なのか、自分でもよくわからないが、売れた売れない関係なく、編集者としての自分に何らかの影響を与えた人と、今、話をしたかった。
今回は、もう10年近く活動を休止しているレミオロメン、前田啓介に会いに行った。
(これは『音楽と人』8月号に掲載された記事です)
5月中旬。中央線特急に乗り、山梨へ。
山梨は東京から意外に近い。彼らの取材で、何度も通った。その時の無邪気で屈託がない3人の顔を思い出しながら、あっという間に時間は過ぎる。
前田啓介。レミオロメンのベーシスト。バンドは2012年2月に活動休止が発表されて以来、ほぼ10年、バンドとしては何の音沙汰もない。4年前、藤巻亮太(ヴォーカル&ギター)のソロ作品にゲスト参加し、再始動かと噂されたが、その後、特に何の動きもない。
ずいぶん前から風の噂で、彼が地元の山梨で、オリーブを栽培し、オリーブオイルを販売していることは聞いていた。〈笛吹オリーブオイル前田屋〉という屋号で、ネット販売を行っているが、その評価は高いようで、売り出すとあっという間に売り切れる。レミオロメンにいた人が作っているオリーブオイル、ではなく、山梨で作られている美味しいオリーブオイル、として紹介される機会も増えてきた。
しかし解せなかったのは、なぜ彼が音楽活動を休止しているのか、という事実だ。レミオロメンの中でもプレイヤビリティが高く、音楽で食うために高校を中退し、上京後は海外留学して腕を磨き、18歳ですでにスタジオミュージシャンとして活動していた男である。バンドが休止していても、プレイヤーとして、プロデューサーとして、引く手あまただったはずだ。それがなぜオリーブ栽培なのか。少なくとも両立くらいできるんじゃないか。いろんな疑問を抱えたまま、電車は彼が指定した石和温泉駅に到着した。
改札を出たところで彼は待っていた。過去のメールを遡ってみると、会うのは2011年11月、プロデュースしたLEGO BIG MORLについて取材して以来になる。しかしあの頃とまったく変わらない彼がそこにいた。一瞬にして10年の空白が埋まる。ただ、握手した手の感触は、ゴツゴツしていて、楽器ではなく、土をいじっている人のものに感じられた。麦わら帽子が似合っていた。
彼の車に乗り、南へ。懐かしい、でも書けない(笑)話をいっぱいする。話のノリも変わらない。ファンならわかるだろう、いつもの啓介くん、だった。そしてまず、彼のオリーブ畑を見学することにした。笛吹川を越え、中央自動車道をくぐり、畑に囲まれた狭い道を登った途中に、彼のオリーブ畑はあった。
オリーブ畑を見るのは初めてだったが、ちょっと予想外だった。もっと緑で生い茂り、いっぱい植えられているのかと思いきや、乾いた土地に、ちょっとずつ距離をおいて木が生えている。殺風景で、手を加えられた感じがあまりしない。え、ここ?という感覚が顔に出ていたのか「畑っぽく見えないでしょ?」と言われる。オリーブの産地であるカリフォルニアやスペインではもっと密に植えられて、葉も生い茂ったりしているらしいが、日本ではそうやって育てた場合に収穫する機械がないのと、高温多湿な気候のため、密に植えると病気になりやすく、虫が発生しやすい。ゆえに風通しをよくして、光をいっぱい浴びれるようにしておくらしい。
「まだ背丈が低いのは3年目。その奥が7年目とかかな。だいたい植えて5、6年目から本格的に実が採れるようになるんですよ。2メートルぐらいまで育ってくると、ほら、こうやって実がちょっとずつつきはじめる」
自分の子供のように見せてくれたオリーブの実は、とても小さい。まだまだこれから成長していく。毎年気候によってその育て方は変わるらしい。特に今年は、143年ぶりと言われるほど1ミリ以上の雨が降らず、乾燥した毎日が続き、小さい苗はほとんど枯れてしまったという。
次に、彼が最初にオリーブを植えた畑へ向かう。その途中「ほらここ、御坂中」と指をさす。ここの体育館で3月9日に行われたライヴを観たのは、2004年だからこれも17年前だ。あの時のライヴを思い返していると、彼もそうだったのか、音楽と農業の話になった。
「オリーブは1年に1回しか収穫できないから、タームが短い音楽とは違って見えるけど、ゼロの状態からデモを作ってレコーディングするのと、畑を耕して水をやって、苗を育てて収穫するのは、すごく似てる。音楽は耳から感じとって心に届くけど、オリーブオイルは口から入って心に届く。入り口も訴え方もやってることも違うんだけど、最終的にそこから受け取るものは近い気がしてるんですよ」
そして畑に到着。もともとここは耕作放棄地(以前農地であったにもかかわらず、何も作付されぬまま、放置されている農地)だったという。大人の背丈くらいある木や雑草が生い茂り、たぬきが2世帯住み着いていて、とても畑にできる状態ではなかったらしい。そんな土地を、地主から年間4万円で借り、前田自身がユンボ(パワーショベル)の資格を取り、一から整地したという。とはいえオリーブは水を嫌うので、畑探しは大変なようだ。乾いているが水は引きやすく、水はけのいい土地。それを探す。整地して、オリーブを植えてみても、やっぱり違った、ということもあるらしい。
「これくらい整地されてれば、あとは雑草抜いて、苗を植える。うまくいけば3年目ぐらいから実がポロポロなりだすんですけど、本格的にオリーブオイルを絞ろうと思うと、5、6年かかる。この畑だけで4トンぐらい採れるかな。でもオリーブオイルって、搾油(実を搾って油にする工程)すると、良くてその10%くらいなんですよ。だから10キロで1リットル。いい時でそれくらいだからね」
4トン取れて400リットル。頭で計算してみたけれど、1年かけてこの本数となると、なかなか大変だな、と思う。稼ぐ、だけならきっと、音楽をやっていたほうが楽だったはず。それでも彼を突き動かしたものは、いったい何だったんだろう。
そして彼の自宅へ。元気な犬が出迎えてくれた。鉢に苗木がいっぱい植えてある。ここである程度まで育った苗を、畑に植えかえるのだ。そして家の前には、ちょっとした広さのこれまた畑。前田の祖父が耕していた、ぶどうやキウイの畑がここにあり、隣り合ってた農地を買い取って、ここに家を建てたという。その片隅に、10畳くらいの広さだろうか、小さな小屋があった。この中に搾油機があるという。ここが前田屋のオリーブオイル工場。
「1時間に200キロ絞れる機械です。なので収穫する日、全部の畑からここにオリーブを一気に集めるんです。その日はアルバイトの人、15人ぐらいに来てもらって、一斉に収穫します。近くの桃農家のおばちゃんとか、桃は夏に収穫するから、10月とか11月は暇なんですよ。僕もそっちが忙しい時期は手伝ったりするから、逆にウチのオリーブの収穫を手伝いに来てくれたりする」
この搾油機で、収穫したオリーブを水で洗い、ペースト状に潰していく。しかしこれだけではダメで、オリーブの細胞壁や細胞膜もすり潰し、練り込まなくてはオイルは出てこないそうだ。その潰しきったすべてを遠心分離機にかけ、オイルと残ったペーストと水に分ける。10%の搾油率ということは、1トン入れたら900キロの水とカスが出てくることになる。それを捨てるだけで大変な作業だ。
「本格的に搾り始めてまだ3、4年かな。バンドで言うなら、やっと新宿ロフトに出れた感じ(笑)。武道館に行くまでにまだまだやることがあるんですよ。今僕が勉強している小豆島やイタリアには、育て方を教えてくれる人がいるし、蓄積されたデータがあるけど、山梨にはオリーブ農家がほとんどないし、搾油所はここにしかない。今後オリーブを栽培する農家が増えていって、そういう情報を近い地域で共有できると、データが集まってくるから、山梨の風土ならこれがいいってわかってくるはずなんですよ。これをもっと広げて、山梨でオリーブ農家を広げていくのが僕の夢ですね」
そして前田屋のオリーブオイルを試食。今、コンテストに出してるという前田屋ブラックラベルブレンド。風味が独特で、フルーツのような味。口当たりもいい(これは後日、OLIVE JAPAN2021 国際オリーブオイルコンテストで銀賞を受賞)。素人の僕にも、丁寧な作り方をしているのがよくわかる。ミシュランで星を取ったレストランが興味を示したり、即売り切れになるのもわかる。いやしかしそれでも、まだどこかに納得してない自分がいた。なぜ君は音楽を捨て去ることができたのか。
近所の古民家カフェでインタビューに応えてくれた。