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COLUMN, INTERVIEW
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二階堂和美のくらしを訪ねて。結婚、出産、喪失――アルバム『潮汐』が生まれるまで

text by 清水浩司
2026年3月3日


二階堂和美というシンガーソングライターがいる。スタジオジブリ・高畑勲監督の遺作となった映画『かぐや姫の物語』の主題歌「いのちの記憶」を唄った人、と言えばわかってもらえるだろうか。彼女は現在、広島県大竹市にある実家の大龍寺を継ぎ、住職としての顔も持っている。そんな二階堂がオリジナルアルバム『潮汐』をリリースした。日本の原風景である音楽=歌謡曲を今によみがえらせた傑作『にじみ』から14年。その間、結婚、出産、ジブリ映画への抜擢、公私ともにパートナーだった夫の死……と、たくさんの出来事が彼女を襲った。唄うことに取り憑かれ歌に生かされた表現者として、逃れられない家業を背負った地方女子として、突然の喪失を経験したひとりの家庭人として。彼女のくらしがある大龍寺を訪ねた。



(これは音楽と人2026年3月号に掲載された記事です)



広島県の西のはしに大竹市はある。瀬戸内海に面しているが、海沿いには石油コンビナートの煙突が立ち並んで煙を吐いている。人口は3万人を割って、ますます減っているところ。日本中のどこにでもある、あまり元気のなさそうな町である。


その大竹のさらに西のはしに大龍寺はある。浄土真宗の本願寺派。そんな大きな寺ではなく、普通に家と家のあいだにしれっと建っている。二階堂和美はその14代目の住職をやっている。


二階堂は1974年、大竹で生まれた。ただ、父は住職、母は学校の教員をやっていて忙しく、すぐに山口県宇部市にいる祖父母の家に預けられた。4歳まで親元を離れて暮らした。


子どもの頃から歌は好きだった。親は当時の彼女を指して〈歌い狂う〉と言っていたので、よっぽどの感じだったのだろうし、まさしく今に通じているともいえる。3つ年上の姉がいて、姉も音楽が好きだった。歌番組で見たアイドルや学校で習った歌を妹に教え、一緒に唄ったり踊ったりハモったりする。当時はスマートフォンなんて便利なものはないので、記憶をたよりに身ぶり手ぶり、まさしく口伝の世界である。


ピンク・レディーは姉にケイちゃんをとられ、ミーちゃん役。姉が聖子ちゃんフリークだったため、二階堂は明菜派に。姉に負けじと新たな歌手をさがし、振り付けを憶えて唄い方をまねた。松本伊代や南野陽子といった鼻声のアイドルが得意だった。家には今も姉妹の唄う姿が収められた写真や8ミリビデオが大量に残されている。本堂のすみで、きゃあきゃあ言いながらコンサート。頭には祖母が買ってくれた、「渚のシンドバット」でピンク・レディーが付けていた羽根を付けていた。


そして二階堂の歌の豪傑伝説が幕を開ける。小学校時代、地味で目立たない児童だったのに、小3の時のお楽しみ会で歌まねを披露したらバカウケ。一躍クラスの人気者になり、舞い上がってしまう。高校生になると合宿に向かうバスの中は熱狂のリサイタル。その噂を聞きつけた生徒からバンドのヴォーカルにスカウトされる。ちなみにそのころ二階堂が愛聴していたのはカーペンターズやレベッカだったが、バンドから頼まれたのはガンズ・アンド・ローゼズにブラック・サバスにアンスラックス。「ハードロックってなに? ヘヴィーメタル?」という状態ながらギャー!と叫んでみるとこれがめちゃくちゃキモチイイ。初めて立った学園祭のステージには、規定の時間をオーバーして教師から終了と言われているのに、「これを唄わずして帰れるかー!」と鬼神のオーラで歌い狂う二階堂の姿があったとか。

写真=岸田哲平


卒業後は山口大学へ。美術の教師になるつもりだったが、生活の中心はやはり音楽だった。軽音楽サークルに入りびたり、聴く音楽の幅が広がった。歌まねする歌手もますます多様になっていく。ジャニス・ジョップリン、キャロル・キング、ダイアナ・ロス、アレサ・フランクリン……有名なシンガーを食らい尽くす勢いの二階堂に訪れた転機は、「歌はめちゃくちゃ達者だけど発表会だね。オリジナリティが全然ないね」というサークルメンバーのひと言。うすうす感じていた弱みをずばりと言葉にして射抜かれてしまった。自分の本当の声はどれなんだろう?――歌まね女王からの脱却。彼女はそこから自分で曲を作るようになる。シンガーソングライターとしてのはじまりである。


気持ちはずっと、いつか戻らなければならない実家と音楽のあいだで揺れていた。4年間の大学生活に加えて大学院まで進学し、ねばるだけねばった。それでも「一度とことんまで音楽で勝負したい」「短期間でいいから都会のライヴハウスで活動してみたい」という炎は消えず、親に切り出したのは「3年間だけ東京に行かせてほしい。そのかわり3年経ったら大竹に帰ってきて寺を継ぐから」という交換条件。東京時代はインディーズからアルバムを出したり、アメリカツアーを敢行したり。3年の約束をごまかしごまかし引き延ばしていたが、さすがにいい加減にしなさいよということになって帰広したのが2004年。5年の東京生活を終え、二階堂は30歳になっていた。


広島に戻ってきたものの、気持ちの切り替えはまったくできなかった。しばらくは東京の部屋を借りたままにするなど、音楽への未練はたらたら。一応住職になるための修行はしていたが、故郷にも家の中にも自分の居場所はない。当時は今の事務所であるカクバリズムとも知り合い、SAKEROCKの星野源や浜野謙太らとも仲良くなっていた。東京で華々しく活躍する友人の噂を聞くたび、なんで自分はこんな田舎でくすぶっているんだと地団太をふんだ。家には幼少期に面倒をみてくれた祖母もいて、ボケはじめている。毎日の世話もしなきゃいけない。どうせ私の歌なんて誰も求めてないんだ、もう音楽なんてやめちゃおうかな、どうせどうせ、どうせどうせ……卑屈とひがみ根性でいじけまくりの暗黒期が数年のあいだ続いた。


ただ、そんな中でもゆっくりと変化はあった。まず聴く音楽が変わった。インターネットでなんでも手に入る時代とはいえ、離れてしまえば都会の最先端音楽は疎くなる。そのかわり入ってきたのは昭和の土着的歌謡曲。家族で晩ごはんを食べている時、毎週テレビにはNHK歌謡コンサートが映っていた。父も祖母も音楽好きで、それを観ながら「この歌手はだめだ」「何もわかってない」など勝手なことをくっちゃべる。美空ひばりに笠置シヅ子、前川清、細川たかし……テレビでは明らかにそうした懐メロがウケていた。「今の歌い手は懐メロに負けて悔しくないのか! どうしてこういう歌を作って世に問わないんだ!」。たのまれてもいないのに義憤がもりもり湧きあがった。


さらに田舎には世話焼きおばちゃんという存在が必ずいる。どこからか「東京で音楽をやっていた大龍寺の娘が帰ってきたらしい」という噂を聞きつけた彼女たちは、地元大竹のホールを借りて強引にコンサートを企画してしまった。お客さんはもちろん音楽通のキッズなどではなく、普通の近所のおばちゃんたち。二階堂は「関白宣言」「愛の讃歌」といった往年の名曲カヴァーを用意してしぶしぶ舞台に立ったのだが、これがめちゃくちゃ好評だった。喝采を浴びた。自分は唄うことが好きで、目の前の人に喜んでもらえるなら、それで十分なんじゃない?――そんなふうに感じられた。

写真=廣田達也


しかし時間は待ってくれない。いよいよ本格的に寺を継がなければいけないタイムリミットが迫っていた。二階堂は今度こそ音楽への未練を断ち切るため、最後に一枚、引退作を作ることを決意した。誰かに評価されたいわけじゃない。とにかく自分のやりたい音楽を全部つめこんで、自分の納得できるものを作って、それで終わりにしよう。もう後ろは振り向かない――。


レコーディングに集まったミュージシャンたちはそんな二階堂を心配した。作業の合間に「なんとか音楽をやめずにすむ方法はないもんかね?」「住職をやってくれる人がいればいいんでしょ。あの人はどうかな?」と会話した。話の輪の中にはコントラバス奏者のガンジー西垣がいた。二階堂はひそかに彼への想いを募らせ、「とつとつアイラヴユー」という曲を書き上げた。


2011年、東日本大震災の直後にリリースした『にじみ』は大きな評判を呼んだ。運命が動き出した。『にじみ』に惚れ込んだスタジオジブリの高畑勲監督が、遺作となった『かぐや姫の物語』の主題歌に二階堂を抜擢した。「いのちの記憶」を披露するため、東京のテレビ局やラジオを駆けまわった。

このアルバムは「〈かーさんはこんなふうにとーさんの死と向き合ったんよ〉と言えるものだと思う」って


プライベートでも運命は動いた。想いが実り、『にじみ』発売の翌年にガンジーと結婚。彼が寺を継ぐことになって、自身は妊娠。女の子と男の子、2人の子宝に恵まれた。


二階堂は満ち足りていた。好きな人と結ばれて家庭を持ち、ずっと悩みのタネだったお寺の跡継ぎ問題も解決してくれた。音楽活動も、思い描いていた形とは違うが、それなりに称賛を得て続けられている。つい数年前までくすぶり、うじうじと才能をこじらせていたのに、こんなに充実した日々が来るなんて思ってもいなかった。こんなに幸福で大丈夫なのだろうか。


「絶対今が私の人生のピーク! どう考えても幸せのピーク!」


家族4人の姿を自撮りでカメラに収めながら、二階堂は思わずそう叫んでいた。すくすく育つ娘と息子。音楽面でもプライベートでも、お寺の運営でも味方になってくれる夫の存在。その時は、これから子どもたちは反抗期に入って、こんなふうにみんなで一緒にくっついていられる時間は減っていくに違いないという想像から出た言葉だった。そんな二階堂を見て、夫のガンジーはあきれたような顔をしていた。また、おおげさな……。


でもやっぱり、それは幸福だったのだ。あんなに幸せだったことは、その前もその後も考えられない。

写真=大知洋一朗

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