HEATWAVE。この名前を聞いて、ほとんどの人は「満月の夕」を思い出すのかもしれない。数々のバンドマン、シンガーが唄い継いできた、そしてこれからも唄い継がれていく永遠の名曲だ。でもそれだけじゃない。この山口洋というバンドマンは、この世界への憤りと孤独を、つねにバンドで叩きつけてきた男だ。30年前、ラストの曲、延々と続くインプロに近い演奏に疲れ果てたドラマーがへたると、山口とベースの渡辺圭一は、ドラムにドロップキックをかまし、ドラマーをボコボコにして「終了!」と告げ、ライヴを終わらせた。無茶苦茶である。しかし時が経ち、人に出会い、愛と優しさを知り、何もできない無力感と孤独が彼を強くし、61歳となった今は、昔の自分のように居場所がなく苛立ってる奴に、自分が受けた優しさを渡していこうとしている。生き物には終わりがあるが、音楽は終わらず受け継がれていく。7年ぶりのアルバム『Mr.OUTSIDE』には、そんな人間の生き様が詰まっている。
(これは音楽と人2026年2月号に掲載された記事です)
アルバム7年ぶりになるんですね。
「そう。今の時代、アルバムを作るって並大抵のことではないじゃない? でも俺らの世代は、子供の頃からアルバムという形で音楽を聴いて、それに育てられてきたから、今回は意地でも作ろうと思ってた。でも実際作ろうとしたら、作曲に集中する時間がほとんどなくて(笑)」
7年あっても?
「作るってそういうことだから。集中したいから、曲を作るのは午前4時から7時って決めて、日々書き続けてた。その間、宅急便もメールも来ないからね」
最後は、阿蘇のほうに行ってミックスしたと聞きました。
「曲ができたから、都内のスタジオでベーシックを録り終えて。そのあと自分でミックスするんだけど、阿蘇に小屋を持っていて。1年に1回ぐらいしか行かないから、まず草を刈らないとたどり着けないようなところなんだけど、そこで集中してミックスしてた。俺はバイクで行ってレコーディングの機材は、奥さんの車に積んでもらって(笑)」
酷いですね(笑)。
「そう。料理も作ってもらうし、全国のTOKIEファンから怒られそう(笑)。でもそのおかげで、長い時間かけてミックスに集中できました」
タイトルは『Mr. OUTSIDE』。これは亡くなった音楽評論家の、長谷川博一さんの本からインスピレーションを受けた、ということですが。
「僕は、彼に恩義がいっぱいあって。2025年が7回忌だったんだけど、彼の友人たちが、7月に実家のある小樽で回顧展を開いたんです。そこに演奏しに行ったら、僕の知らなかったいろんな顔があって。詩や曲も膨大な量書いていて、しかも素晴らしかったんです。それを何らかの形で出すことで、彼のことを少しでも知ってもらえたら、と思って」
それがモチベーションになった?
「そうですね。あとはもうひとり、鮎川さん(鮎川誠/シーナ&ザ・ロケッツ)の戦友で、松本康さんって人がいるんですよ」
ジュークレコードの人ですよね。
「そう。当時の福岡には、そのジュークレコードのように、若いミュージシャンに優しいレコード店が何軒かあって。HEATWAVEやアンジーは、そこからお金を出してもらってレコードを作ったんです。松本さんは、俺が15ぐらいでお小遣いを貯めて『ローリング・ストーンズ好きなんやけど、なんば聴いたらよかですか?』って聞いたら、『じゃあ、ブルースば聴きんしゃい』って、全部教えてくれるわけ。ブルースは俺にはできんなと気づいたら『君はセンスが変わっとるけん、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド聴きんしゃい』って聴かせてくれる。それがズバッとハマって、今に至ってる。音楽はそうやって受け継がれていくものだし、自分はそこで生きていく道を見つけて、〈俺は人と違うんだ〉ってことをよりどころにして生きていけるようになった。音楽が〈お前はそれでいい〉って教えてくれたし、そのきっかけを作って励ましてくれたのが、長谷川さんや松本さんだった。いまだに居場所はないけど、その人たちから受け継いだものを、どこかにいる、同じように居場所がなくて、苛立ってるヤツらに受け継いでいけたら、と思って」
それがこのアルバムの根っこにあるものですね。確かにHEATWAVEは、怒りと苛立ちの塊、でしたもんね。
「デビューしたら、その怒りがね、もっと通じるもんだと思ってたの。そしたら全然ダメでね。怒りが誰にも伝わらないって、虚しいのよ。こんなに伝わらないんだって愕然とした(笑)。でも長谷川さんにニューヨークへ連れ出してもらって、現地の人に触れて、周囲に同調しないで生きてもいいんだ、と思えて。さらに自分の好きな音楽の源流を辿っていくと、アフリカとアイルランドに行き着いて。その音楽は、イギリスの圧政や飢饉で移民せざるを得なかったり、奴隷として連れて来られた悲しい歴史のもとで生まれてるって気づくわけ。ものすごく大きな川の流れの先に俺はいるんだって思ったら、もう日本なんてどうでもよくなったんだよ。俺はこの川の流れの中で、自分に何ができるか考えて、インデペンデントにやるんだって決めた。メジャーにいた10年のおかげで、存在が多少知られたことには感謝してるけど、数の論理の中で生きることはやめたんだよ」
そのふたりから受けたことを、自分が今返してる気持ち?
「そうだね。だからといって、わかりやすくやるつもりもないけど、何かを感じてくれる若者がいてくれたら本当に嬉しい。音楽業界は嫌いだけど、音楽を嫌いになったことはないし、未来を作る唯一の方法は、目の前にある一瞬を本気で生きる以外に何もないんだよね。これだ!って思ったことをその瞬間に一生懸命やるしかない。それはなかなか形にならないし、命懸けでやったところで、何かを変えることができるとは限らない。むしろほぼうまくいかない(笑)。でもそれを諦めなければ、いつか拓けるよね」
最近のインタビューで、キャリアのあるミュージシャンの方が、結局、音楽で世界は変えられないってわかってるけど、そこでどう足掻くかが大切、ってよく口にするんですよ。
「みんなそこに到達すると思うよ。だって今の政治を見てたら、絶望するでしょ。で、こんなクソみたいなことになってる中で、自分が心折らずに生きるためには、何か強く信じるものが必要で。それが音楽にあったらすごくいいなと思う。そう思って山を登り続けるしかないんだよね。つねに登ってるけど、つねに頂上が見えないのがいい」
まだ先があるのか、って思いません?
「ずっと登るんだろうな、と思ってるよ。頂上が見えたら滑落しそうな気がする(笑)。だからそれを継承して、次の世代に受け渡すのが俺の仕事だと思ってるから。俺がチャボさんから受け継いだものを、例えば亮介(佐々木亮介/a flood of circle)に渡す。あいつもたぶんたどり着けないんだけど、そのことを含めて次の世代に渡していく。たどり着いた先に何があるかなんて、たぶんわからないよ。武道館をやったとか、何枚売れたとか、そういうのじゃないところにたぶん答えはあるんだよね。あと、もう無理だなと思っても、きっと誰かが助けてくれる。まっすぐに向き合ってれば、きっとね」
そういうこともありましたか?
「あったよ。俺、いっとき精神的に死にかけてたことがあるの。裏切られたというかね。もう何ヵ月も家から出れなくて、ソファーでぼんやりしてる毎日。その時、ニューヨークに住んでた兄貴分に電話して『もうダメかも』って話したら、その声で悟ったらしくて。すぐ飛行機に乗って会いに来てくれた。家に来て、俺の様子を見て『いいか洋、今のお前に一番きついことを言う。3文字しかないからよく憶えとけ。〈走れ〉』って言って帰ってった(笑)。飯も食えずにボロボロな俺に、何を言ってるんだこの男は、と思ったけど、じゃあ死ぬ前に走ってみるか、と思って、表に出て全力で走ったの。そしたら一瞬、心のきつさから解放されたわけ。そこからバカみたいに走り始めたら、足の爪も8つ剥けたけど、けっこう走れて。半年後にマラソンに出たら、3時間40分のタイムだったの。その兄貴分に報告したら『そんなに走れとは言ってない』って(笑)」
あはははは!
「いつの間にか元気になってた。でもあの〈走れ〉がないと、たぶん俺はもう死んでた。何が言いたいかって、世界に向かって自分が信じたものを投げ続けていれば、必ず誰かが助けに来るってこと。それに期待しちゃダメだけど、誰かが君のことをきっと見てる。音楽をやるということは、何かを放出してるわけだから。それをキャッチしてる人が絶対どこかにいる。そういう人が、自分がピンチの時にフッて現れる。そういうことが何度もあった。だから、費用対効果とかCDが何枚売れたとか、一切気にしなくなったんだよね」
