『音楽と人』の編集部員がリレー形式で、自由に発信していくコーナー。エッセイ、コラム、オモシロ企画など、編集部スタッフが日々感じたもの、見たものなどを、それぞれの視点でお届けしていきます。今回は、美術館やギャラリーを訪れた若手編集者が、そこで得た気づきを綴ります。
最近、自分の中で熱いのが、アートギャラリーと美術館巡りだ。これまでも好きで、気になる展示があれば観に行っていたのだが、今あらためて面白いと思うようになった。そもそも美術館という場所に興味を持ったきっかけは、地元の宇都宮美術館に展示されている、ルネ・マグリットの「大家族」という絵を小学生の頃に観に行ったことだったと思う。「大家族」は、曇天の海原に鳥の形に切り取られた空が浮かんでいる絵なのだが、そんな現実ではありえない光景を間近で体感できたことにときめいたのを今でも覚えているし、さまざまな絵が飾られた、しんと静まり返った空間が当時の自分にとってまるで別世界のようでワクワクしたのだ。
それ以降は古典的な絵画に興味を持つことが多かったので、現代アートはいちばん縁がないジャンルであり、難しくてとっつきにくそう。自分には到底理解できるはずなんかない……そんな勝手な偏見もありなかなか興味を持てずにいたのだが、昨春に東京都現代美術館で開催された、マーク・マンダースという作家の展覧会を観て、現代アートへの抵抗が和らいだ。彼は「建物としての自画像」というテーマに沿い、一人の架空の芸術家の自画像を「建物」という枠組みを通して探求していく制作を30年以上続けていて、「建物」の部屋に置くことを前提とした彫刻やオブジェを次々と生み出し、そういった個々の作品の配置を含めて人の像を構築していく、というイメージを持っているのだという。この時に見た作品からは、今にも崩れ落ち消えていくのでは?といった脆さと、何らかの理由で時が止まってしまい、だからこそ今ここに存在する物体は変わらず永遠にあり続ける。そんな相反するイメージが湧いてきたのだ。作家自身も現代美術館によるインタビューを通じて、物は移り行く世界の中でそのままの状態であり続け、最も強い瞬間をとらえることができるものだと思っている、といった考えを話していたので、作品から受けた印象と合致する部分もあり一層面白いと思った。だが、彼の制作意図や考えをすべて理解できたわけではないし難しいと感じる部分も多々あったけれど、作品を通じて今を生きる作り手の視点や思想に触れられること。それ自体が刺激的で、自分の考えをさまざまな素材を用いて形にしていく作業に憧れも抱き、いろんな人の作品を見てみたいと思うようになった。
現代アートに興味を持ち始めて前よりも身近になったのは、アートギャラリーだ。都内には大小さまざまなギャラリーがあり、無料で出入りできるところも多い。先日は、中学校を改修して作られた3331 Arts Chiyoda、1928年に建設されたビルを利用しているトーキョーアーツアンドスペース本郷、加えて200年の歴史を持つ由緒ある銭湯を改装しオープンしたSCAI THE BATHHOUSE という3つのギャラリーおよびアートスペースに行ってきた。どの会場も現代で活躍するアーティストのいろんな作品――彫刻、写真、映像といったさまざまなジャンルのものが飾られていて、選択された手段はみな違っているけれど、それぞれが興味の赴くままにテーマを設定し、自身が思い描く理想や日々考えていることをここに示そう。そんな気持ちがにじむ作品ばかりのように思えた。また、作品やそれが置かれた空間を通じて、目には見えない作者の言葉や思いを感じ取ろうと試みた時にこそ、自分と外の世界、言ってしまえば他者と繋がる最初の一歩なのではないか、とも思ったのだ。と言っても、生きていくうえで言葉を介して誰かと接触したり、自分の考えを言語化することからは避けられない。例えば仕事などを通じて他者とコミュニケーションをとる機会は日々絶えないが、自分の言いたいことを言葉にしたり、それを相手に伝えるためにどうすればいいか頭を働かせること自体に疲弊してしまう瞬間が私にはある。これは自分が伝えたいと思ったことをちゃんと適切に表現できているのだろうか。相手を傷つける表現ではないだろうか――そんなふうに自分の中でグルグルとしてしまうこともあるし、常に適切に言語化しなければ、ちゃんと説明しなければ、といった強い縛りのようなものが心のどこかにある気がしてならない。でも、現代アートに触れたことで、世の中には言語化すること以外にも自分の考えや思いを外に出す方法もあるし、作品を通じてその人の考えや思いを想像し、新しいコミュニケーションが生まれる可能性も秘めている。そんなことを感じて、人や世の中との関わり方は決してひとつではないんだな、と思え結果的に心が楽になったのだ。
今の時代、ネットやSNSが発達したことで常に大量の情報、つまり言葉が自分の中に流れ込んでくる感覚があるのと同時に、それを見て何事もわかった気になったり、相手のことも簡単に理解したつもりになってしまう時もある。わからないことがあればスピーディーに検索し、情報を仕入れられるのは便利で良い部分もたくさんあるけれど、受け取ったものを一回自分の中でかみ砕いて理解しようと試みたり、これはどういうことなのかと想像してみること。そうやって立ち止まってみると、自分の考えや物事が整理されて気持ちがスッキリすることがあると私は思うのだが、その点で現代アートはじっくり考えたり、丁寧に読み解く余地を与えてくれる。そして考え想像しても結局理解できないことも多々あるけれど、理解しようとする試み自体に意味があると思うし、そういう姿勢をもって日々のいろんな物事に向き合えたら、これまで見ていたものが今までとは違って見えたり、他者とのコミュニケーションなどにも変化が出てくるのではないかと思った。だから、現代アートを通して得た気づき――自分で考え、想像し、理解しようとすること。それを忘れずに生活できたらと思うし、いろいろなものを見たり他者と関わるなど経験を重ねて、今よりももっと広い視野を持てるようになりたいと思う。
文=青木里紗