米咲がインプットする音楽のヴォリュームは尋常ではなく、多種多様なジャンルの楽曲を何度も教えてくれた
『猛烈リトミック』の完成からほどなくして、米咲はことあるごとにGARAGEにふらっと立ち寄ってくれるようになった。彼女は必ず6本セットの缶ビールを手土産に持ってきてくれた。時折、赤い公園のメンバーやアーティスト仲間も引き連れて。事前の約束なく集まった、そこにたまたま居合わせた人たちと、時に真剣に音楽のことを語り合い、時に誰かが楽器を鳴らして始まる即興のセッションを楽しみ、時に酒のつまみにもならないくだらない話をしては大声で笑い合った。そんな夜が数えきれないほどあったし、これからも続いていく。そう信じて疑わなかった。
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2017年3月のある日、米咲からメールがきた。
「踊Foot Worksって知ってる? 今日の22時に初音源をフリーでリリースするらしいから聴いてみて!」
それが現在、僕がマネージメントやレーベル運営を手がけている現・ODD Foot Worksというグループとの出会いのきっかけだった。米咲がインプットする音楽のヴォリュームは尋常ではなく、自分の琴線に触れた、ジャンルという概念をハナから持ってないというくらい多種多様なジャンルの楽曲を何度も教えてくれた。自分以外の優れた音楽家やバンドに嫉妬するよりも、積極的に周りに広めることで正当な評価を受けてほしいと願う。そういう人だった。
今思えば、2017年は赤い公園にとっても、僕の人生にとっても分岐点だった。
2017年7月3日。赤い公園はヴォーカルの佐藤千明が同年8月31日をもって脱退することを発表。彼女たちはそれまでも事務所の移籍やそれに伴ったスタッフ変更を幾度となく経験していたし、そういう面でもずっと平坦ではない道のりを歩んでいた。しかし、佐藤の脱退はまさに青天の霹靂だった。ヴォーカリストがいなくなるということは、楽曲の顔が抜け落ちてしまうということ。これから先の赤い公園を想像するのはあまりに難しかった。しかし、その後のやりとりからひしひしと伝わってきたのは、米咲の覚悟だった。赤い公園を絶対に終わらせない――彼女は固く決意していた。
旧体制での最後のフルアルバムとなった『熱唱サマー』をリリースした直後の2017年8月27日、Zepp DiverCity TOKYO。赤い公園は最後まで陽性のムードに包まれたライヴを貫き、佐藤を送り出した。それから所属事務所やレーベルから離れ、フリーランスとなったスリーピースの赤い公園はしばらく沈黙した。しかし、やはり米咲は呼吸するように曲を作り続けていた。
スリーピースの赤い公園が沈黙を破ったのは、2018年1月4日。立川BABELにて開催された、2015年から新年恒例となっていた自主企画イベント〈こめさくpresents〜もぎもぎカーニバル〜特別版 赤い公園ワンマンライブ2018☆はじめまして☆〉。通常、この〈もぎもぎカーニバル〉は主に米咲がその時点でもっとも気になっているバンドを招聘する対バンイベントとして企画され、前年は爆弾ジョニー、Official髭男dism、泥黒がゲストアクトとして出演していた。そんな〈もぎもぎカーニバル〉における初のワンマンライヴで、米咲、藤本、歌川はとてつもないチャレンジ精神をオーディエンスの前で体現してみせた。披露した20曲はすべて未発表の新曲。ヴォーカルは3人が入れ代わり立ち代わりで務め、さらに楽曲によっては楽器のパートもチェンジし演奏する。当然だが、ライヴのクオリティ自体は未熟なものだったが、20もの新曲には未来しか感じなかったし、何より3人の気概が頼もしかった。
ほどなくしてバンドは新たな事務所とマネージメント契約を締結。新ヴォーカリストを探す時間が始まった。3人は最大のピンチをタフに乗り越え、これからやってくる未知数の将来に不安よりも大きな期待を抱いていた。
そして出会ったのが、当時18歳、広島在住の石野理子だった。石野は2014年にアイドルネッサンスのメンバーとしてデビュー。その歌唱力はグループ時代から定評があり、3人は石野が赤い公園の楽曲を唄うオーディション音源を聴いて満場一致で「この子だ!」と即決したという。彼女なら、赤い公園の顔を託せると確信した瞬間だった。
新生・赤い公園の初ライヴは2018年5月4日、〈VIVA LA ROCK〉のステージ。そのど真ん中に立った石野は、表情にはまだあどけなさを残しながら、しかし、実に堂々とした歌唱とステージングを見せた。バンドストーリーの新たな主人公にふさわしい石野の凛とした態度と透徹した歌声に呼応するようにして、3人の演奏も活き活きとした瑞々しさを獲得していた。こうして、赤い公園の新章は幕を開けた。
そこから丁寧に時間をかけ、メンバーの関係性を揺るぎないものに育てながら新曲をレコーディングしていった。2019年の3月から4月にかけて新体制初のツアーを開催。全国の小さなライヴハウスをバンドワゴンに乗って廻った。またこの年、石野は上京と同時に大学に進学。米咲、藤本、歌川の3人は以前にも増して仕事終わりに行動を共にし、GARAGEなどで会うたびに「理子がハタチになったら早く4人で呑みに行きたい!」と口々に言っていて、そんなところも微笑ましかった。
ここまでYouTubeのMVと配信のみで新曲を公開していたが、10月に満を持してフィジカルEP「消えない‐EP」をリリース。エモーショナルな表題曲を筆頭にバラエティに富んだ4曲は石野のヴォーカリストとしてのポテンシャルを提示するには十二分な内容だった。サウンドプロダクションに関してもギター、ベース、ドラムの音で勝負するのだという意気込みが全面に出ていた。それからバンドは1月から12月にかけて、この年二度目のツアーを廻った。
このツアーの合間に、僕は米咲がパーソナリティを務めていたラジオ番組にゲストとして呼んでもらい、ラジオブースでいろいろなことを語り合った。僕が「津野米咲に聞きたいこと」を質問するコーナーがあり、そこでこんなことを彼女に問うた。
――今の米咲が希望を抱いていることと、絶望していることはなんですか?
「希望をね、見つけようとしていたんですよ、ずっと。今もどこかでしているのかもしれないけど。でもね、それがなくても大丈夫になってきた感じがあるかもしれないなぁ。ちょっと上手く話せないけど。絶望は、いっぱいあるよ。〈なんでこの人こんなこと言うんだろう?〉とかもそうだし(笑)。上手くいかないなぁとかさ」
――僕は傍から見ていて、赤い公園の希望って今の状態そのものだと思いますけどね。
「それならいいや。希望がなくても、希望になれるということかもしれない。それって希望があるね」
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2020年、新型コロナウイルスが猛威をふるう中、赤い公園はニューアルバムを完成させた。実に2年8ヵ月ぶりのオリジナルアルバムであり、新体制で誕生させた二度目のファーストアルバム『THE PARK』。この事実上のセルフタイトル作は、最初の緊急事態宣言中の2020年4月15日にリリースされた。米咲は石野のヴォーカリストとしての大いなる可能性と、みずからのギターとリズム隊の生々しく表情豊かなアンサンブルを遺憾なく引き出すようにして過去最高に風通しのいい楽曲郡を作り上げた。石野もこのバンドの絶対的な主人公であることを謳歌するように唄い、演奏陣の音からはこの歌が高々と飛翔するようにという願いが聴こえる。個人的にはODD Foot Worksのラッパー、Pecoriを客演に呼んでもらい「chiffon girl feat. Pecori」がアルバムに収録されたことも感慨深かった。
「ここから目指すのは、東京ドームです」
4人はそんな大望を掲げ、『THE PARK』を世に放った。そして、5月から7月にかけてリリースツアーを開催し、初日の東京・LINE CUBE SHIBUYAがバンドにとって初のホール公演となる予定だった。しかし、コロナの影響で全公演中止。人生に〈たられば〉は禁物だとわかっていても、このツアーが無事に開催されていれば違う未来があったのだろうか、と思案してしまう。
バンドはツアーの中止を受け、8月29日に立川BABELにて無観客配信ライヴを開催。当日、僕はライターとしてライヴレポートを担当すると同時にPecoriがゲスト出演するので会場にいたのだが、これが米咲にとってのラストライヴになるなんて微塵も思わなかった。