すごい煮詰まって、終わりにしようかなって悩んでたけど決心した。「街が直ったら行くから」って約束したからさ。それまではバンドやろうって
……。でもそれぐらい動けるっていうか、可能性を知ったっていうか。
「うん。だから俺なんか、みんなが平和だとグジグジしてるでしょ?」
そうだね。
「みんなが平和でみんなが幸せだと、ひとりで『何だよ〜』ってグジグジグジグジした歌詞を書くんだよ、俺。みんなが平和だ、ラヴだってずっと唄ってたのに、俺は1個も唄えなかった。それは……それが夢物語だって知ってるからだよ。俺もどっかで知ってるだけで、自分が今死んでるわけじゃないし、いつか人生が終わるってことは今はまだ架空の話だった。だけど今回、俺はその場で被災したわけではないけど、すべてにリアリティを感じたわけ。そうなると話が違うし。自分の書いてきた歌詞に対しても今、確信を持ってるし」
ミュージシャンはそうだと思うよ。目の前に表れたリアリティに対して、どう抗うのか、試されてる。たぶんこれから生まれてくる音楽って、すごく強いものが出てくると思うんだよね。
「そうじゃないとダメだよな。今生きてる実感があるし、電気がつくだけでほんとに有り難いと思う。今までもそう思おうと思ってたわけよ。だけどやっぱり怠惰な生活にどんどん戻ってって、エアコン全部つけっぱなしで寝て、酔っぱらってくだ巻いて、いつもの生活をしてたわけよ。それがさ、何か1個あるだけで有り難く思えるじゃん。水がある。その前に人がいる、友達がいる、友達が生きてる。自分がいる。〈こんな有り難いことってないんだなぁ〉っていう」
そうだね。
「……俺がこんなことインタビューで言うとは思わなかったわ」
バンドにもいい意味で影響しそうだね。
「俺さ……去年、曲はちょっと出来たんだけど、詞が全然書けなくて、自分自身すごい煮詰まっちゃってたのね。今年入ってからは、ほんとに枯れ尽きたなって思ったし。なんか情熱も湧いてこなくて。ほんとに俺、終わりにしようかなって思ってたのね」
ブラフマンを?
「うん。もちろん続けたいけど、でももう終わりなのかもしれないって。すごい悩んでたのね。で昨日、震災後初めてライヴやったんだけど、なんか感謝することばかりでさ。俺、世の中にも人にも今まで甘えさせてもらってきたんだなってすごくわかった。俺、けっこう被災した街にライヴで行ってんのよ。だから……」
そうだよね。
「あ、ちょっと待って。(電話に出る)もしもーし……はいはい、大丈夫だよ。インタビュー中だけど大丈夫、代わって。はい……もしもしブラフマンのTOSHI-LOWです。名前は? オサム? あははは……どう気仙沼は……うん、東京でもそっちを心配してる人たちいっぱいいるから。なんかあればすぐ手伝うし、必ずライヴしに行くから……うん、頑張ってね……うん………あははは、そうだよな、突然だよな。うん……いくつ……25か。うん……俺もまさかこうやって話してるとはな……とにかく動けるヤツ動いて頑張んねぇと。これからまだまだ続くだろうから、大変なことが。だけど、諦めねぇで頑張って……おお、頑張れよ!(電話切る)」
誰だったの?
「今さ、スラング(88年に結成された札幌のハードコア・バンド)のKOが、被災した街に支援物資届けてるんだよ。札幌で物資を募って、宮城と岩手廻って、今気仙沼着いたらしくて。まだまだ廻るんだって。その避難所で足りないものを、ちょっとずつ下ろしながら。あんな入れ墨だらけの人が避難所来たら、みんな救援物資差し出すと思うんだけど(笑)。そしたらさっき『現地の子で、ブラフマンのファンの子がいるから代わっていい?』ってメールがあって。『全然いいよ』って返したら、今かかってきた。25歳、気仙沼のオサム。『ちっちゃい時から聴いてました!』って言われてショックだったな(笑)」
でも、ライヴしに行く、って約束してたね。
「そうだね。本当に悩んでたんだよ。今年どうしようかな、って。けどこうやって約束したわけじゃん。『街が直ったら行くから』……ってことはさ、少なくとも俺はそれまでやんなきゃいけない。で、やる決心がついた。声が出ねぇ、詞が書けねぇぐらいで悩んでる場合じゃなくて。そこまで行く覚悟がやっと出来た。だって約束しちゃったもん。気仙沼の子とさ。気仙沼が復興して、俺たちをライヴに呼ぶようになるまでは時間かかる。それまではバンドやろうって決心したから」
当たり前だけど、自分が何やるかつったら、復興する為に荷物募って運ぶことじゃなくて、バンドであり、ライヴやることなんだよね。
「もちろん。それが復興する、少しでも手助けになるんなら、それが俺の使命なんだと思う。こういう関わり方しちゃったっていうことは」
そういうことですね。こういう動きをしたことが、TOSHI-LOWにとって必要だったんだな、って気がしたな。
「うん。この状況を傍観してるバンドマンにも言いたいよ。何かしたいと思ってるんだったら、事務所に止められたとか、そんなくだらねぇこと言ってねぇで動けよ。今がその時だよ。今動かなきゃいつ動くんだよ。何の為に今まで甘やかされて育ってきたんだよ。本当に何かしたいんだったら、何か出来る。どっかでやりたくないから、傍観を決め込んでる。『いや、僕、何も出来ないんで。心配はしてるんですけど』みたいなのは、やっぱり言い訳だよね。何か出来ることなんかいくらでもあるぜ。みんなに普段『愛を与えに来たぜ』みたいな歌唄ってんだったら、もっと与えろよ、もっと!って思う。強そうなメタルTシャツとか着て、MCで偉そうに煽ってんなら、今こそ煽れよって思う。あるバンドのヴォーカルがさ『茨城は大丈夫でしたか?』ってメールしてくるから、『大変みたい。じゃ、救済ライヴやってな』って返したら、そこには触れてこない(笑)。なんか残念だけど」
やっぱ温度差があるんだね。
「うん。みんなが俺みたいなことやる必要はないけど、心配してますよって言ってくれるんなら、1個だけでいいからアクション起こせよ。だけど……悪いけど1個じゃ足りない、今回はそんだけデカいから。でもそれが、2つ3つ4つ、もう20、30ってアクションが増えて行ったら、街が復興するのは思ったより早いかもしれないし」
今はそういう実際のアクションが必要だっていう話ですね。
「そう。思想とかジャンルなんかどうでもいいよ。YouTubeで〈曲作りました、聴いてください〉とかさ〈被災地の方へ、ビデオで励ましのメッセージです〉とかさ、死ねよ。それ見てんの、ほとんどが被災してないヤツらだよ。みんな津波でパソコン流されたんだって! あっても電気きてねえって! バカか!と思うわ」
だからあれって、残念だけど、被災した人にはそんなに届かないんだよね。
「そうだよ。その気持ちは嬉しいかもしれないけど、今やるべきことは違うアクションだよ。募金しろよって言ったら、『団体の詐欺もあるし……』みたいなこと言うんだよ。だったらその事務所行って、見て、話聞いてこいよ。気持ちがあるんだったら行けばいいじゃん。見りゃいいじゃん。判断する材料なんかいくらでもあるよ。それをやらないでそういうことを言うのは、やっぱりただの傍観者だし、いくら言い訳こいてもやってないだけだよ」
言い方悪いけど逃げと自己満足でしかなく。
「そうだよね。ビデオメッセージとか、新曲作りましたとか、そんなのやるならその曲ちゃんと配信して、その売り上げ全部募金に回せよ。無力だとか言うな。『僕らには歌しか唄えないので』とか言ってる、若ぇ弱っちいミュージシャン。そんなわけねえよ。アクションしろ!」
いや、ほんとにそう思います。
「しかも、俺より人気あるくせに! みんな(笑)」
最後はそんなオチなのか(笑)。
文=金光裕史
撮影=三吉ツカサ