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ハイキングコースの終着点は小さな展望台だった。目の前に広がるのは瀬戸内海とそこに点在する小さい島々、そして東京では見ることのできない澄んだ色の空だ。それらがパノラマで満喫できる素晴らしい眺望。「あれが女木島で向こうが男木島。さらに向こうは……」と波多野が島の名前を教えてくれる。その景色には高松港へ向かうフェリーと上空を旋回する海鳥以外、すべてが変わらず存在し続けているような厳然な風格があった。すぐ横で冷たい海風を気持ち良さそうに浴びている波多野も、出会った時から容姿がずっと変わらないままだ。そういえば彼が今いくつなのか、自分が把握していないことに気づいた。
以下、そんな素晴らしい景色を眺めつつ『Tabula Rasa』について繰り広げられた2人の対話。実際はもっと砕けた会話だったが、そのまま活字に起こすと読みづらいので、インタビュー形式に整えさせてもらった。
前のアルバムは4年ぐらいかかってるのに、今回はどうしてこんなに早くできたの?
「めちゃくちゃ急いだんですよ。というのも世の中の流れが早くて、僕らが蓄積の末に作り上げた『Kodomo Rengou』がすぐ古くなってしまったような気がして」
そもそもあのアルバムはピープルの集大成的な作品というか。
「その先をバンドとして早く示したいっていう欲求が強くなったんです。そう思った発端が具体的ではないんだけど……ただはっきりしていたのは『Kodomo Rengou』を3年かけて作っていた時と、世の中はまるで変わってしまったというか……どんどん悪い方向へ行ってしまってる気がして、すごく落ち込んでた」
何がどう悪くなったと?
「いろんな出来事の積み重ねがあって……ひとつはいろんな言葉が無力化していくことだったり。例えば〈多様性〉っていう言葉があって」
多様性、つまりダイバーシティ。
「そう、ダイバーシティ。そもそも多様性って希望の言葉だったはずなんですよ。人としていろんな在り方が許される、いろんな在り方があっていいんだっていうことを象徴する希望の言葉で、僕はこの言葉が大好きだった。自分もどちらかというと多様性を彩るというか、〈これもアリなんだ〉みたいなことにコミットしていく側だから。けど実際は〈多様性〉って言葉にそんな機能はなくて、むしろ多様性をどんどん切り捨てていくような世の中になってる。なんて虚しい言葉なんだろうって」
むしろ人との違いとか差異を浮き彫りにさせるだけだったと。
「つまり多様性というものに対して、人はそう簡単に寛容になれない。むしろ世の中が多様性をどんどん排除しくような動きを見せている。たぶん人って自分と違うものに対する恐怖心が強い生き物なんですよ。つまり多様性を簡単には肯定できない」
もともと多様性って言葉は〈世の中にはいろいろな人がいますよね。人はそれぞれ違って当然だから、それを認めていきましょうね〉ってスローガンだったのに。
「本来そういう言葉なのに、世の中は真逆の方向に向かっていて。でも〈自分とは違う〉ことの恐怖心にどう抗うか、が本来の世の中にあるべきで。そういう現実にウンザリするし、SNSもそういう恐怖心の巣窟だし。で、僕は今までずっと音楽を作ってきて、それって何のためにやってるんだろう?って考えた時、安易な連帯だったり手近な共感で内側を向いて安心するのではなくて、どこにも壁を作らず、もっと根本的なところで人と共有できる何かが音楽でできないだろうか?って思ったんですよ」
政治的な主張だったり行動ではなく。
「もっと根本的なところで、今話したような僕の個人的な感情や思いを音楽という形にしようと思って。それが今の現実に対して僕ができることなのかなと思ったんですよ。そこから先はいろんなことを考えずに歌詞を書いて」
パッと見はいつも波多野くんの歌詞のようだと思ったけど。
「音楽は自分の言いたいことを抽象的かつ複雑な形にすることが許される表現だと僕は思っているから。だから自分なりに今の現実を〈自分にはこう見えてます〉っていうのを最もふさわしい形に書き進めた結果なんですよね」
ここから見える景色に、彼が言うところの〈変わってしまった世の中〉は見当たらない。しかし実際には世の中はものすごいスピードでいろいろと変わっていて、確かにそれはあまり良くない方向へ向かっている。でもそのことに感覚を麻痺させたり、見て見ないフリが必要だ。そうでないとまともな自分を保つことは難しい現実がある。だが彼という人は、それができない。人間として真っ当な感覚を、進んで麻痺させたり見ないフリができないのだ。そんな彼が〈変わってしまった世の中〉と自分の音楽をどのようにリンクさせるべきなのか、香川と東京を往復する生活の中で見出そうとしているようだった。
屋島の駐車場を出た車は、いよいよ波多野の自宅に向かうことになった。傾き始めた太陽の光がフロントガラス越しに顔を突き刺すと、彼はおもむろにサングラスをかけハンドルを握りなおす。この時、初めて彼がサングラスが似合う男であることを知った。次に彼らを撮影する際は全員にサングラスをかけてもらおう。そんなくだらないことを思った。そういったユーモアも彼らの音楽には少しだけ注入されているはずだから。