加藤ひさし(ヴォーカル)は、11月22日で還暦を迎える。30年以上、同じロックバンドのヴォーカルとして活動を続け、いまだ現役感バリバリな存在は、これまでいなかった気がする。2020年はこの還暦を祝うアニバーサリーになるはずだったのだが、コロナの影響により、予定はほとんどが延期となった。しかし誕生日の翌日に大宮ソニックシティで記念ライヴが行われ、24枚目となるアルバム『別世界旅行〜A Trip in Any Other World〜』がリリースされる。真島昌利(ザ・クロマニヨンズ)参加の先行配信曲「お願いマーシー」から始まるこのアルバムは、コロナ禍の影響もあるのか、還暦を迎えた男の人生を俯瞰してみた歌詞と同時に、ロックンロール、サイケ、モッズ、ロックオペラなど、加藤ひさしがTHE COLLECTORSを通して表現しようとしてきた、様々なサウンドが聴こえてくる。彼の人生がここにはある。
(これは『音楽と人』12月号に掲載された記事です)
いいアルバムじゃないですか。
「まだ曲順決まってないよ。ミックス終わったばかりだから」
あ、これは仮なんですね。「お願いマーシー」が最後でいいな、と思いました。
「いや〈お願いマーシー〉は1曲目に聴かせて、クロマニヨンズの参加をアピールする。あとは余力で行けるだろ(笑)」
ははは! ちなみにいつ頃レコーディングしたんですか。
「ゴールデンウイークかな……いや、違う。ゴールデンウイークにやろうって言ってたんだけど、コロナの影響で1ヵ月近く延ばしたんだ。あれで本当に予定が狂ったよ。歌詞も違う方向に行っちゃったし。例えば〈お願いマーシー〉は、コロナがなかったら絶対できなかった。あの曲はもともと〈When I was a young boy〉って唄ってたのよ」
僕が若者だった頃、ですか。
「自分が10歳の時は何が大事だった、20歳の時はこうだった、そして60歳の今はこうなんだって歌にしようと思ってた。ところが自分の還暦を振り返るより、このコロナの現状を唄わないと」
11月で還暦を迎える自分をテーマにするはずだった、と。
「そう。30年前、〈…30…〉って曲を作って、大人になるのがすごく嫌だ、って歌を唄ってたから、あれから倍、歳をとって、どういう心境なのか、そのアンサーソングを作んなきゃなって思ってたけど、それも忘れるくらい、このコロナが影響したね」
その還暦についてはどんな気持ちですか?
「還暦っていうのはさ、車で言ったら、走行メーターが回りきって、走行距離がゼロに戻るってことじゃん。昔なら人生の終わり。そのあとは余生なわけ。それをものすごく意識してる。ここで終わってもいいんだってことを覚悟して、物を作っていこうと思ってるかな。つまんない話だけどさ、俺はバイク3台持ってて、車持ってて、自転車も3台持ってて、今、全部完璧に修理して磨いてるんだよね」
というと?
「ここから再スタートさせてあげたい気持ちがすごく強くなってる。きれいに磨いて、ベスパのホイール外して、毎晩サビ取りしてんの(笑)。もう1回サビ止め塗って、スプレー振って、ウレタン塗装でバッチリ仕上げてやるからな、って。バイクにも車にも、もちろん自分にも。そういう気持ちになってるね」
いったん自分の身辺をきれいに整理してみる、と。
「そういう気持ちになるよ。じゃないと新しいこともできないだろうし、いろんなことを受け入れられない。コロナの状況で、来年からライヴがどうなるかもわかんないし、次いつCDが出せるかわかんない、そんな中で1回覚悟を決めることが必要だったね」
だからこのアルバムは、コロナの影響下にある曲も多いですけど、どこか自分の人生を振り返って、俯瞰して見ている部分も強いです。
「うん。弱音じゃないけど、もう残り少ないな、って気持ちにすごくなる。またバイクの話だけど、俺、初めてベスパ買った時が23歳だったのね。今も走ってるし、今日も乗ってきた。10万キロ走ったからピストンとシリンダーを新しいのに買い替えて、また2万キロ走ってる。もう10万キロの距離は今からじゃ走れないじゃん。70歳まで乗ったとしても、あと10年しかない。めっちゃ寂しくなるよ」
先のほうが短くなった、と実感するわけですね。
「寂しいよね。でも、コータロー(古市コータロー/ギター)が大型バイクの免許取ったって聞いたら、こんなにバイク好きな俺が、生きてる間に乗れない排気量のバイクがあるなんて悔しくて。合宿免許でもいいから取るぞ、って思うんだよね」
60歳の合宿免許(笑)。行動が全然寂しくない!
「人間って面白いよね。夏休みの宿題と一緒でさ、こうやって迫ってくると、ようやくそういうことを一生懸命やりたがるんだよ。〈世界を止めて〉がスマッシュヒットして、まわりが頑張れって言ってた30代の中頃は、バイクで箱根の峠攻めたりしてたけど、そんなことしてる場合じゃないぞ、って、昔に戻って自分を叱りたい!」
あははははは。
「でも今から焦って、あれもこれもってやっても無理じゃん。だから結局、今まで以上に納得できるものをやっていくしかないんだよね。アルバムもライヴも」
なぜマーシーに参加してもらいたかったんですか?
「ライヴハウスも閉まってる、クラブも閉まってる、踊りたくても踊れないし、騒ぎたくてもロックンロールバンドはライヴをやってない。やれることと言ったらイヤホン耳に挿して、自分の好きなロックを聴くだけじゃない? そういう連中がいっぱいいると思うんだよ。じゃあ俺が、自分の身近でロックンロールを鳴らしてほしいって思うギタリスト。ひとりはコータローだけど、もうひとりゲストでいたら面白いな、と思って。それはピート・タウンゼント(ザ・フー)みたいなあこがれじゃなくて、もっと自分の人生の周りにいて、颯爽と現れて、ギターかき鳴らして帰っていくようなヤツ……マーシーしか思い浮かばなかったよ。あと『マーシー、もっとギター弾いてくれよ』って言ってみたかった(笑)。コータローが『マーシーがギター・マガジンの表紙やると部数が増える』って言ってたから(笑)」
はははははは。
「だから浮かんだ瞬間にマーシーに電話して、『マーシー、実はこういう歌を唄いたいんだけどどう?』って聞いたら『光栄です』って言われたよ(笑)」
もう付き合いも長いですね。
「付き合いも何も、ブルーハーツのベースを弾いてたかもしれない男だからね(笑)。ヒロトとマーシーに会うまでは、どんなバンドマンのライヴ観ても、俺のほうが絶対いい、って思ってたけど、ふたりに会って変わったからね。彼らに並んで、超えなきゃいけない、って。めちゃくちゃデカい壁だった。だからこそ、一緒にやったらダメだと思ったしね」