本日9月9日にニューアルバム『DEEP BLUE』リリースした9mm Parabellum Bullet。15年前、学生時代にバンドを結成し、華々しいデビューを経て、さまざまな壁にぶつかりながらも、決してその足を止めることはなかった。そんな彼らの歩みに思いを馳せるべく、2011年11月号の記事を再掲載する。9月9日を「9mmの日」と銘打って、ただただやりたいことをがむしゃらに追求する4人の姿からは、どこか青さすら感じ取れる。その青さに、新たな青を塗り足して深い青になっていくのが今だと、最新号で菅原卓郎が語っているが、まさにそうなのだろう。過去があるから、今の彼らがいる。そうしてひとつひとつの経験を重ねて、9mm Parabellum Bulletは終わりのない旅を続けるのだ。
(これは『音楽と人』2011年11月号に掲載された記事です)
4枚目のアルバム『Movement』リリース後、横浜アリーナでのワンマンライヴ『Move ment YOKOHAMA』を行ない、その後は夏フェスを挟みながら、全国のライヴハウスを細かく廻るツアーに出た9mm。ツアーも後半となり、会場もZeppクラスに切り替わったその2日目、9月9日。そう、誰が決めたか(笑)9mmの日である。毎年この日は何かしらのライヴを行っている彼らだが、狙ったのか偶然なのか、今年は開催場所が福岡……つまり九州! 9が3つ並ぶ特別な9mmの日となった。
当然のようにツアーのメニューとは違う、特別な一夜となったわけだが、そこには『Movement』に感じた彼らの今と繋がる何かがあった気がする。終演後のインタビューを含め、この特別な一日を独占取材!
9月9日は9mmの日。
その数字の並びから、毎年この日は〈カオスの百年〉と名づけた自主企画を行なっていた彼ら。僕は2008年に渋谷ラママで観たのが最初だったけれど、なぜか芸人のダイノジが対バン……て、もはやバンドではない(笑)。アンコールはダイノジと共演。全員がダイノジの定番虎トレーナーを着て、エアギターの定番JETのカヴァーをするという混沌っぷり。まったくもってカオスだった。その翌年は日本武道館。カッコよくキメて終わるかと思いきや、くるりとメタリカのカヴァーを披露し、帰りは全員に記念品としてブドウ缶を配るという衝撃の展開は記憶に新しい(笑)。昨年は新木場での〈カオスの百年〉をソイルとブンブンを迎えて行なったが、9mmの日恒例のメタリカのカヴァーはちゃんとやった。このデータを基にすると、毎年何らかのことが行なわれている9mmの日だが、あとひとつの“9”が揃うと確変するわけだ。
そして今日は9月9日のZEPP福岡……そう、9州! 2019年か、もしくは郡山の♯9でライヴしか思い浮かばない私は、もちろん福岡に飛んだ。もちろん『Movement』ツアー真っ最中のメンバーのテンションも確認するために。
開演は予想通り、19時09分。2年前の武道館で使用されていた“999”のバックドロップがご開帳。そして轟音と共に「Survive」「Scenes」と『Movement』のキラーチューンが炸裂。9mmだから当然だが、いきなりのフルスロットルでトップギア。全開で「Cold Edge」「Face to Faceless」までぶっ飛ばす。前半は『Movement』ツアーが前提のセットリスト。その充実っぷりが伝わってくる。しかしこの日は9月9日。中盤に変化があった。 「ツアーでもあり999でもあり、アンビバレンツな感じだけど、イイトコどりして9月9日が終わらないうちに楽しみましょう!」という卓郎のMCに続いていよいよスタート。まず恒例のカヴァーだ。イエローモンキー「TVのシンガー」、くるりの「青い空」、そして栗山千明に提供した「ルーレットでくちづけを」のセルフカヴァーの3連発。残念ながら、今年はメタリカなし! しかしどれも見事に9mm節に昇華されているから素晴らしい。
まだまだ続く。「続々、催し物コーナーが!」と卓郎が言うと、滝の前にキーボードが運ばれてきた。それもご丁寧に、最近彼らがコラボしたいいちこの前掛けつき(笑)。「レッツ・サーフィン!」という卓郎の声に続くのは当然この曲「The Revenge of Surf Queen」。これが見事な出来。「次の駅まで」もそうだったが、ギターの音数が少なくなったぶん、ひとつひとつの音が聴こえ、そのビートが非常に安定しているのがよくわかる。続いてメンバーが全員ステージ袖に引っ込むと、ご丁寧に再びSEが鳴り再登場。しかし立ち位置が違う。ドラム滝、ベース/ヴォーカル卓郎、ギターかみじょう、ギターを持ってセンターに立ったのは和彦。パートチェンジだ。曲は「Vampiregirl」。全員が本気で真剣にかき鳴らすので、演奏の上手い下手を越え、何だかわからないテンションが伝わる。ここまで自由な、何でもありなロックバンド、他にない。
「ここからはシリアスに」と卓郎が呟くと、『Movement』ツアーのモードに切り替わる。あのアルバムにあった〈渦中〉の切迫感がじわじわとにじみ出てくる。解放感に満ちたものではなく、むしろ、何かを変えたその出来事の前に、自分たちは何を得て何を失ったのか、を反芻し、振り返っているような。考えてみるとそれは、無邪気に音楽を楽しんでいた自分たちが、今の自分たちが立つ丘の上から、その頃の自分たちを見つめているように聴こえる。彼らはこの作品に『Movement』と名づけたが、〈移動〉というのは〈成長〉に逆の意味で近いのかもしれない。『Revolutionary』に至るまでの自分たちがどこにいたか、何をしたか、どうだったか、を確認しているような。9mmという世界の変化は、革命は、どうして起こったのか、何故今こうなっているのか。その事実を彼らはひとつひとつ確かめている。同じ地図の中で、時空を行き来しながら。そしてそれは結果として、自分たちの根っこを探すこととなっていく。こうやって9mmの日に、カヴァー曲を披露し、パートチェンジで演奏し、クソ忙しいツアーの真っ最中、この日のためだけにキーボードを披露する。それは彼らがどこかで、何かを忘れないでいようとする本能のような気がしてしょうがなかった。そしてそれは『Movement』が〈ここでどういうことがあったか知りたい〉という視点から歌詞が描かれていることと重なり、今の彼らと、本能的な衝動のみで音を鳴らしていたあの頃の彼らを、自然と結びつけるものになっていた。いつもそうやって、自分たちの過去と闘い、変わらぬままでいられているか、確かめているのだろう。
「キューキュー九州……次は99曲やる、ってわけにはいかないか。そんなに曲ないもんな」「あ、あるいは9曲だけとか?」と笑う卓郎はとても無邪気に見える。本編ラストは「新しい光」だった。しかしこの曲にあるように、確かなものを持って前に進んでいきたいのだろう。連れて行く、という覚悟も出来ている。「いろんなことがあるけど、また、必ず会いましょう」という最後の言葉に、その思いが表れていた。
そして終演後の楽屋である。9mmが醸造所に行って仕込んだいいちこが並んだ楽屋。頭に氷嚢をのせたまま笑顔で表れた卓郎。そして話の途中でいきなり指がつっていた和彦。全身全霊で向かっていることがよくわかる。そんな中15分だけ、インタビューすることが出来た。