彼はプロデューサーとして、サポートギタリストとして引く手あまただ。そしてそれは、彼がバンドという形に誰よりも夢を見て、憧れているからできることでもある。俳優、永嶋柊吾と組んだsunsiteが約5年ぶりにリリースするEP「Magan」にもそれを感じる。このインタビューでは、山本のバンドへのこだわりを、彼の歩みと共に聞いた。
(これは音楽と人2026年4月号に掲載された記事です)
山本幹宗。
〈幹宗〉と書いて〈かんじ〉。名前はよく目にしているはずだ。サポートギターおよびプロデューサーとして、いろんなバンドのクレジットに名前がある。
彼がギターで在籍し、2013年に解散したシガベッツは、めちゃくちゃカッコいいバンドだった。美しいメロディに英詞がのって、ロックンロールリヴァイバルにのって出てきた多くのバンドの中でも、群を抜いたセンスだったが、2枚のアルバムで解散。バンド在籍時からくるりのサポートに呼ばれていた彼は、その後、ブンブンサテライツ、エレファントカシマシ、銀杏BOYZなどでギターを弾く傍ら、プロデュース業に引っ張りだことなる。最近は若手のgrating hunnyから、ベテランのGOING UNDER GROUNDまで幅広く手掛け、休む暇もない。そんな彼が、俳優の永嶋柊吾と組んでいるバンドがsunsiteである。3月18日、デビュー作の『Buenos!』から5年ぶりとなる4曲入りのEP「Magan」を配信リリースする。
「レコーディングしたのはずいぶん前で、2023年の夏にベーシックは録ってたんですよ。1曲だけ早く完成させて、それを先に出してその間に他の仕事をやろうと思ってたら、いつの間にか1年、2年と過ぎていって(笑)。ようやく去年の7月に完成したのが〈Summer〉。それでやる気に火がついて、ようやくEPが完成しました」
ずいぶんタームがゆったりしてるように感じられるが、永嶋の俳優としての活動もある。さらに山本は、tricotの中嶋イッキュウと好芻(スース)を結成し、この間に2枚のミニアルバムをリリース。さらにBenlouというバンドも立ち上げていた。
「Benlouはヴォーカルが途中で辞めて、空中分解しちゃいました。もともとはsunsiteとBenlou、両方やろうとしてたんです。どっちかが形になれば、もうひとつもやりやすくなるだろう、と思って。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるって言うじゃないですか(笑)」
こういう自虐的な物言いは照れ隠し。しかしサポートおよびプロデュースで多忙なはずの彼が、自分のバンドを、シガベッツ解散以降初めて、それも2つも始めようと思ったのはなぜだったのか。

「それまでめちゃくちゃ忙しかったんですよ。1日に違う現場2つやることもあったし、実入りもすごくよかった。2016年にくるりの事務所に入れてもらって、制作の手伝いと同時に、銀杏BOYZや片平里菜ちゃん、ネバヤン(never young beach)にエレファントカシマシのサポートをして。どれも刺激的だし、楽しい。ギャラも悪くない。バンドやんなきゃ!なんて思いもしなかったですね。それが2020年、コロナ禍で仕事が全部飛んじゃったんです。びっしり埋まってた1年半のスケジュールが、いきなり真っ白。こう言うとドライに聞こえるかも知れないけど、受ける仕事ばかりやってたらこういうことがあるんだな、と思い知らされたんです。マジで実家帰ろうかと思いましたから。これからも音楽で食っていくなら、自分主体のプロジェクトがないと、と思ったんですよね。で、シガベッツ解散以来、7、8年ぶりぐらいに重い腰を上げたんです」
sunsiteのヴォーカル、永嶋柊吾とは、友人の役者である仲野太賀がライヴに連れてきて知り合った。後日、下北沢のイベントで唄っている永嶋を観たのが、一緒にやりたいと思ったきっかけだった。
「呼ばれて行ったら、柊吾がそこで唄ってて。いい声してるのは覚えてたから『あいつとやったら面白いかも』と思ったんですよ。こういうの久々で、楽しかったんです。自分の好きなように曲を作って、好きにアレンジして、好きにメンバーをアサインするなんて、久しくやってなかったんで。ただ、歌詞や曲を書くのがちょっと面倒(笑)。だってくるりも銀杏も、詞、曲、アレンジ、どれも素晴らしいじゃないですか。そんな現場にいたから自己評価はかなり厳しいです(笑)。歌詞に関しては、俺はよくて30点。シガべッツがよかったって言ってくれるのはうれしいけど、無鉄砲な強さって、どのバンドにもあるんですよ。ここまでいろんなバンドを知って俯瞰することを覚えちゃうと、なかなか難しい」
そのシガベッツだ。初めて作ったバンド。周囲からも認められて福岡から上京。自信満々。鼻っ柱も強かった。そのバンドが解散したことへのコンプレックスや、悔しさみたいなものが、なかなかバンドで動こうとしなかった根っこにあるのではないだろうか。
「どうだろう。でもそもそも最初から、職業としてミュージシャンになろうと思ってたところはありますね。自分のこのパッションを叩きつけてとか、唄いたい熱い思いがとか、夢は世界平和とか、そういう部分は一切なかったんで。ただ、8年間やってなかなか結果が出なかったから、ちょっと疲れてましたね。2枚目のアルバム出したら、作品のクオリティには満足してるのに、周囲の反応も悪いし、手応えを感じないから、あがきもしなかった。潮時だねって、ワンマンライヴ2回やって、機材車のローン返して、お疲れさまでした(笑)。年上のメンバーが30になる歳だったから、人生取り戻すならここだな、とも思ったし」
音楽やバンドをやることは、どこか潔癖なものであってほしいと思う人は多い。きっと彼は、そういうのがあんまり好きじゃないのだろう。しかしバンドに未練はないのだろうか。少なくともシガベッツがうまくいかなかったことは、彼の音楽人生に影響を与えているはずだ。
「野球に喩えちゃいますけど、自分のやりたいスイングでバットを振らなくなりましたね。巨人にいた元木(大介)に近い(笑)。鳴り物入りで入団したけど、駒田、吉村、原、クロマティという強打者揃いで、ホームラン狙う長距離打者としてだと、出番がなくて生き残れない。だから確実にランナーを返すバッティングや、相手の嫌がる走塁をして、曲者としてレギュラーになった。それと一緒で、繁くん(岸田繁/くるり)や宮本さん(宮本浩次/エレファントカシマシ)、峯田くん(峯田和伸/銀杏BOYZ)を見てたら、俺があんなふうになれっこないのはよくわかる。でも、今日のライヴでギター弾いてたあいつ、カッコよかったなあとか、あいつがいないとライヴができないから呼べ、って言わせる、そういう存在にはなれると思ったんですよね」

プロデュースやサポートに欠かせない存在として、それは実現した。ではsunsiteというバンドはどうなのか。2人で夢を見て、こうなりたいとか、こういうことがやりたいとか、そんなことを思ったりしないのだろうか。
「そこにあんまりレバレッジをかけてないですね。できた曲に対して全力で取り組んで、丁寧に丁寧に、よりいい曲にするってことしか考えてない。彼は俳優の顔も持ってるし、僕はサポートの仕事も忙しい。お互いの領分を歪めてまでバンドに向き合うことは、あまりよくない気がしてるんですよ。逆に空中分解しちゃったBenlouは、J-ロックやJ-POPと言われるところに行こうとしてたんです。それに、一緒にやってたヴォーカルが詞曲を書いてて、これだったら(バンドとして)戦えるかもしれない、と思ったんです。でも彼が、昔いた巨人のヒルマンのように『肩に小錦が乗ってるみたいだ』みたいなこと言い出して(笑)、投げられなくなっちゃった。やっぱり……自分はもう長くこの世界でやらせてもらってるから、見てるものの水準が高くなっちゃってるんですよ。で、彼はアマチュアから来たばかりの20代で、才能はめちゃくちゃあったけど、新人。要は〈これじゃダメだよ〉っていうのが伝わんなかったんですよね。本人はいいと思ってるけど、こっちは経験でダメだってわかってるから、折り合いがつかない。僕がそこをうまくアドバイスして修正できればよかったんだけど、できなかったし、バンドって形に期待しすぎたところもある。サポートは、できなかったら終わりなんですよ。やれなかったら違うやつが呼ばれるだけ。だから『できる?』って聞かれたら『できます!』って答えて、必死でできるまでやるしかない。負けたら終わり、勝つしかない。そういう世界にずっといたから、彼にもそれを求めちゃったんですよね」
