遠藤ミチロウ死去。1982年にデビューしたTHE STALINには、パンクロックのすべてがあった。その後の彼の生き様にもそれは脈々と受け継がれ、その言葉には、いつも知性と優しさがあった。2010年、還暦を迎えた彼の全キャリアを網羅した2枚のトリビュート・アルバム『ロマンチスト〜THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album〜』と『青鬼赤鬼 ‾ ザ・スターリン・遠藤ミチロウ還暦 & 30周年トリビュート ‾』がリリースされたタイミングでのインタビューを、追悼の気持ちを込めて再掲する。今こそ別れめ、いざさらば。
(『音楽と人』2011年1月号に掲載された記事です)
遠藤ミチロウのトリビュート・アルバムが凄い。今年還暦を迎えたミチロウに、ザ・スターリンから始まった、遠藤ミチロウの全キャリアの中から、彼を本当にリスペクトしているアーティストが楽曲をカヴァーした、本当のトリビュートである。銀杏BOYZ、BUCK-TICK、AA=、DIR EN GREY、YUKI、フラワーカンパニーズ、UA、WAGDUG FUTURISTIC UNITY、戸川 純、MERRY、グループ魂、黒猫チェルシーという、ジャンルもキャリアも何もかもが違う12組が参加したわけだが、この参加メンバーに共通しているのは、自分が世界とどこか違和感を憶えてていて、それを音楽として表現せざるを得ない、という部分だ。その感情は、つねに革新であろう、という意識に繋がる。そしてそれこそ、遠藤ミチロウが30年間、やり続けてきたことであり、歌で表現する者が抱える宿命なのだ。
ミチロウはそれをずっとやり続けてきた。30歳でザ・スターリンを結成し、5年で解散。その後ソロ・プロジェクトでMichiro Get the Help!、パラノイア・スター、ビデオ・スターリンとして活動し、一時は新生ザ・スターリンを結成するも、3年で解散。それから現在に至るまで、アコースティック形態のアンプラグド・パンクをライフワークとして続けてきた。それは、唄い続けるために他には何もいらなかった彼が、人はディスコミュニケーションに立脚していることを確信し、それでも唄い、叫び続けていく中で手にした結晶だ。そういう意味ではこのトリビュートは、彼に、続けてきたことが間違ってなかったことを証明した。遠藤ミチロウの存在を認めさせた、そんな1枚なのだろう。
ご本人にお聞きするのもなんですが、凄いトリビュート・アルバムになりましたね。
「ですね。僕がちょうど今年還暦を迎えて、同時にスターリンが30周年だったんです。10年前も20周年ということでトリビュートを出していただいたんですけど、あの時はあえて、僕の身近なミュージシャンが中心だったので。もっと幅広く、僕の音楽に影響を受けてる人たちによるトリビュートを出したい、というお話を頂いて。スターリンだけじゃなく、遠藤ミチロウとしての曲も入れることになったので、より幅広い内容になったと思います」
このトリビュート12曲を聴いてどう感じましたか?
「自分の曲なんですけど、聴いてると、それをすっかり忘れちゃうんですよ。〈うわ、なんかいい曲やってるぞ〉って(笑)。自分が作った野菜が、いろんな人に渡って、美味しい料理になって帰ってきて、それを食べさせてもらってるような感じがしてます。美味しく頂いてます(笑)」
自分の楽曲がどんなとらえられ方をしているのかを感じたりはしますか?
「それはしますね。女の人が、僕の曲を唄ってくれるのはすごい新鮮でした。中でもYUKIちゃんが〈ア・イ・ウ・エ・オ〉を選んでくれたのは、意外だったし嬉しかったですね。これ、自分の曲の中でいちばん好きな、ストレートなラヴソングなんです。その曲を、アコースティックになってからの僕も、聴いてくれてたんだなって思えたことも嬉しかった。だって僕、この30年のうち、バンドやってたのは12年で、アコースティックやってたのが18年。しかもスターリンは、頭の5年間だけですからね」
その、スターリンという亡霊が、ずっと自分についてきてるように感じますか?
「あ、それは全然ないです。僕は自分のやってきたことは全肯定ですから。途中で、あれはやらなきゃ良かったとか、重荷になったとか、否定することは全然ないんです。ただ自分がやりたいことをずっとやってきた結果が今なんで。今の結果の中に、それがすべて含まれてます。常に今だし、その今に、それまでの自分自身がすべて出ているわけだし」
常に集大成だと。
「そう。音楽性はブレるんですよ。特にひとりでやる前のほうがブレてるんです。そりゃそうですよ。自分が『こういう音楽をやりたい』って言っても、他のメンバーのエゴだってあるわけですから。でも歌とか歌詞とか、そういうものに関しては全然ブレないんですよ」
そのブレない核みたいなものは……。
「周りに相容れない自分、みたいなものですね。世間に対する違和感みたいなものがずっとあるんですよ。居心地の悪さ、というか」
ミチロウさんは、ディスコミュニケーション、を常に標榜してましたよね。
「表現の原点はそこですからね。なんで歌を唄うんだって言われたら、やっぱり自分に対しても、周りの世界に対しても、拭えない違和感があるからですよ。それを表現せざるを得ないからだし、それがある人だけが唄っていいんだと思うんです。歌だけじゃないですよ。映像作家になろうと、小説書くことになろうと、それは同じで。表現したいんじゃない。表現せざるを得ないんですよ」
そこが今の音楽とは圧倒的に違いますよね。今はほとんど、コミュニケーションを求める、深めることが原点だったりしますから。
「自分の思ってることを人に伝えたいってところに、あんまり表現ってないんですよね。たまたま僕は唄うっていう方法論を取ってるから、伝えるって形に見えてるけど、基本的には自分との格闘なんですよ。だから違和感だらけの自分をなだめすかすために表現があって、それが唄うって形になる。人に伝えたいことがあるから唄ってるなんて、嘘だと思います、僕は」
ミチロウさんというと、パンクという文脈で語られますけど、パンクという括りに関してはどう思ってらっしゃいますか。
「僕はね……たぶん他の人とパンクに対するとらえ方が大きく違うんじゃないですかね。実際スターリンやってる頃は、もっとパンクって具体的で、豚の内臓投げたり、裸になったり、生きた豚を会場に放そうとしたり、エキセントリックなステージをやってたけど、今、僕にとってのパンクっていうのは、要するに革新的なことをやる、それだけなんです。昔、『アマデウス』って映画があったじゃないですか。モーツァルトがそれまでの音楽シーンを全部一新していく。あれ見た時〈うわ、パンクだな〉って思ったんですよね。僕にとってはそういうことなんですよ。今までの価値観がガラッと変わって、それまでのことが無になる。それがパンクなんです」