大いなる才能の無駄遣いっぷりに惚れた。自身のYouTubeチャンネルで注目を集めたシンガーソングライター、小林私。先日、アルバム『光を投げていた』のレコ発ワンマンを観に行ったら、そこには想像とまるで違う彼がいたのだ。弾き語りには広すぎる殺風景なステージで、冒頭からパントマイムを始める幕開けに微妙な空気が流れる会場。かと思えばアコギをぶっ叩くように鳴らし、がなり声を轟かせ、その空気を一変させてしまう。しかしその余韻に浸ることを許さない喋りや奇行(ライヴ中に爪を切るな!)がその後も繰り返されるのだ。感情の壁打ちみたいな彼の歌にこちらが思いを重ねようとしても、それを彼自身が拒絶しているようなライヴだったが、そんな彼の姿は、才能と思念を持てあまし、自嘲気味に内省を吐き出すことしかできない不器用な音楽そのものだった。本誌初インタビュー。
(これは『音楽と人』8月号に掲載された記事です)
ライヴを観て、すぐ取材したいと思って時間をもらいました。
「なんか……友達の家に遊びに行くようなスピード感ですね。『今から行っていい?』みたいな(笑)」
ライヴっていつもあんな感じなんですか?
「いつもあんな感じですね」
自分でああいうふうにやろうと?
「そうですね。ああいうふうにやろうというか、ああいうふうになっちゃったというか(笑)」
いつ頃からああいうライヴをやるようになったんですか?
「高校生の頃にコピバン組んでて、それが半分コミックバンドみたいな感じだったんで、その勢いのままっていう感じですかね。そのバンドは楽器経験ゼロの人しか集まらなくて、あんまり難しいことできないから、みんなが知ってて弾けそうな曲をやったり、あとは友達にウケたらそれでいいっていう」
その延長線上でやってるライヴに、あれだけの人が集まってるっていう状況についてどう思ってます?
「ま、今だけでしょうね。ここからどんどん減ってくんで、今のうちに調子こいておこうと思ってます(笑)」
(笑)ちなみにライヴの感想ってどういうものが多いですか。
「Zepp Hanedaのライヴは、〈終始笑いっぱなしでした〉っていう人と、〈案の定、スベってたな〉っていう意見で二分してて、見え方って人それぞれだなって思いました」
そういう意見を次のライヴに反映させたりするんですか?
「いや、全然そういう気持ちはないです。基本、自分がやりたいように無理なくやって、それを喜んでる人がいれば、そうじゃない人もいる。それを知っても〈そうなんだ〉っていう感じですね」
人の意見に踊らされず自分のやりたいようにやるだけだと。
「そうですね。例えば僕がやってる動画配信って長時間に及ぶものが多いんですけど、基本的には全然喜ばれるコンテンツじゃないんですよ。でも僕は人の長時間配信を見るのが苦じゃないし、好きなので、そういうコンテンツがあってもいいんじゃないか、みたいな気持ちですね」
ぶっちゃけ僕も長尺の動画はあんまり見ないんで、小林さんの配信は長くてすぐ挫折しちゃいました(笑)。
「で、低評価ボタンを押して終わるんですね(笑)」
押してないです。そっとパソコンは閉じたけど(笑)。
「はははははは!」
音楽も動画も先日のライヴも、自分のやりたいようにやってるだけで、それでもあれだけの人が集まるのはどうしてだと思いますか。
「どうして……たぶん、まだあんまり知られてないアングラっぽいYouTuberを見つけて、〈俺こんなの知ってるんだぜ〉みたいな気持ちを持っておきたいっていうのは、あるのかもしれないですね。みんながあんまり知らなさそうなミュージシャンを知ってると、ちょっと鼻が高い感じがするじゃないですか。そういう感じなのかなと」
じゃあ、自分のどういうところが好かれてるんだと思います?
「どういうところ……」
曲なのか、パフォーマンスなのか、喋りなのか、見た目なのか。
「どうなんですかね。人それぞれに好きなポイントがあるんじゃないですかね。誰でもそうですけど、僕にもいろんな側面があって、それをツイッターとか配信とか曲とかライヴとか文章とかで出してるんです。で、中には曲は好きだけどツイッターはゴミだと思ってる人もいれば、ツイッターしか知らない人もいるだろうし。その中でもライヴに来る人って、それぞれ好きなポイントが違ってて、いろんな気持ちを持って来てくれてるのかなって感じはします」
バカみたいな聞き方しますけど、ライヴは楽しいですか?
「まぁ、それなりに」
「それなりに」をもうちょっと詳しく。
「唄うのは好きなのと、でっかい声を出せて楽しいっていうのは、ライヴをする上での喜びとして大きいところではありますね。日常であんな声を出したらヤバいじゃないですか。だから大きな声が出せるのは、ああいう特殊な場じゃないとできないし、それをみんなが観てるっていう状況は……まぁ変ですよね。変だな~って思いながらやってます(笑)」
人に観られてる、聴いてもらってるという部分に関してはどうでしょう。
「曲を作ったらそれを人前に出しておきたいっていう気持ちがあります」
聴いてもらいたい?
「ていうか、もともとYouTubeも最初の動画は〈歌ってみた動画〉だったんですよ。僕がインターネットを触り始めた頃には誰かの〈歌ってみた動画〉が普通に上がってる状態だったんで僕もやりたいと思って。で、高校の時に小林としてツイッターを始めたんですけど、その頃ツイッターに上げられる動画が30秒までで。だからフル尺を上げる場所としてYouTubeを選んだんですけど、それはやっぱり人から観られたいっていう気持ちが大きかったからだと思います」
個人的にすごく好きなのは「地獄ばっかり」って曲で。でも、あれ聴きたいな〜と思う時の自分って、あんまりいい精神状態じゃなくて(笑)。
「そうでしょうね。ていうか僕の曲はほぼそういう感じですけど(笑)」
(笑)つまり、これを書いた人もあんまりいい精神状態で書いてないんだろうなって思いながら聴いてるんですけど。「地獄ばっかり」に限らず、小林さんが書く曲って、誰かに向けて唄ってるというよりも、何もない壁に向かって唄ってる感じのものばかりで。
「そうですね。というのも、どっかの誰かに向けたとしても、最終的に自責であったり自省に戻さないと、自分で責任とれないなと思っちゃうので」
責任ってどんな責任のことでしょう?
「例えば〈こうしろ、ああしろ〉みたいな曲だったとして、その人がその通りに受け取ってしまっても、僕はその人の人生になんの責任もとれないじゃないですか。だから最終的には自分に返るようにはしたいと思ってて」
そんなことまで考えちゃうんですか。
「考えちゃいますね」
それだけ相手のことを考えてるっていうこと?
「いや、むしろ本当に相手のことを考えてたら、たぶんちゃんと言える気がしますね。それこそめちゃくちゃ仲よしの友達にだったら言えるんですよ。思ってることをそのまま『こうだろ』って。それはそいつとずっと仲よくしていくつもりだから。でも、そうじゃない人には全然言えないですね。何か思うことがあってそれを相手に言って、あとから『おまえあの時そう言ったじゃん』って言われても、ちゃんと責任持てないし」
一理ありますけど、人との関わり方がややこしいですね。
「そうですかね? もっと言うと、自分にとってどうでもいいのかもしれないですよね、人の営みというものが」
どういうこと?
「どう生きてても人は美しいと思ってるというか、どう生きててもしょうがないっていうか。日常で嫌なことがあったとして、その人はそれを選んで己の幸福を信じているわけで、その信念に対して何か言える権利はないなって。基本的にほとんどの人に対してそう思っちゃうので」