岡本健一、52歳。演劇界の第一線で活躍し、いくつもの受賞歴を持つ舞台俳優である。彼は80年代から90年代に存在したアイドルにして、ロック・バンドでもあった男闘呼組(おとこぐみ)の元メンバー。ジャニーズアイドルの先駆的な存在なのだ。
また岡本は90年代半ば、自身のバンド、Addict of The Tripmindsで、ダークなサイケデリック・ロックを鳴らしていた。このバンドは昨年12月、27年ぶりにライヴを敢行。そこに男闘呼組のメンバー、成田昭次が1曲参加したのも話題になった。そして僕はこの夜、昔と同じようにステージで陶酔する岡本の今に迫りたいと思った次第である(なおADDICTの次回のライヴは3月10日の14時~、クラブチッタ川崎が決定)。
今回、岡本と27年ぶりに言葉を交わした。その結果、いつも正直で自然体の彼は、大人になる過程で自分が許容する範囲を広げたことで、芝居をする人間として、また一個人としても成長したのでは、と感じた。こんな素敵な生き方をする元アイドルの大人がいることに、ぜひ触れてほしいと思う。
(これは『音楽と人』3月号に掲載された記事です)
昨日の昼に舞台が終わって、そのまま大阪から戻ってこられたそうですけど、お疲れではないですか?
「疲れはないですね」
そうですか? 舞台ってかなりタフじゃないと乗り越えられない世界なのかなと思ってしまうんですが。
「いや、作品と、その内容によりますね。サルトルとかシェークスピアの芝居とかはずーっとしゃべり続けたりするけど、とにかく疲れないようにやろうと心掛けてます。日常から入り込んでやってた時もあったんだけども、そうすると持たないんですよ。体力と神経が。舞台に出るようになった最初の頃は……ライヴでもそうだけど、それに全身全霊を懸けて、そこでみんなに認めてもらいたかったんで」
舞台の仕事も30年以上ですよね。すぐ入っていけました?
「最初の頃が一番のめり込んでましたね。80年代後半……蜷川(幸雄)さんとか唐十郎さんがいたり、野田(秀樹)さん、つかこうへいさんとか、皆さんすごい大人たちばかりで、何だこの世界!?みたいな演劇がたくさんあったんです。観るたびにカルチャーショックを受けまくって……その頃、自分はある種メジャーな仕事をずっとしていて、そういう華やかな世界もいいけど、アンダーグラウンドなほうにすごく興味が湧いて。それで舞台役者になろうと思ったんです。しかも舞台って(テレビなどで)見たことないような人がすごいことをするんですよ。俺も早くそういうふうになりたい、そのためにはやり続けるしかないんだな、と思ってました。いろんなところで使ってもらうたびに感動を覚えるというか……日生劇場をやったあと、150人くらいのベニサンピットに出たり。ショーン・ペンとかアル・パチーノとやった外国の演出家と一緒にできたりとか……それでいろいろ学びましたね」
当時、芸能活動と役者の仕事はどう保ったんですか?
「舞台の仕事があってもスタジオには入れるし、時間を縫えば歌番組にも出れますから。ほかのメンバーにしても、自分がやりたいと思ったものとか、それぞれに来た仕事についてはやったほうがいいという考えだったし」
どちらにも打ち込んでいたんですね。
「うん、でも今のほうがもっと打ち込んでる感じがします。10代はすぐ過ぎてしまったけど、20代前半の頃には、先のことも考えたりしてたので。〈20代とか30代の若い頃よりも、50、60、70になった時にピークのほうがカッコいいんじゃないかな?〉って。だって〈あの頃の感じはもう俺にないのか……〉って思うようになったら、寂しくない?」
(笑)そりゃあ寂しいですけど。
「歳はとっていくものでしょ。だから〈50、60とか70になった時にすげえいい!〉ってなったほうが人生的には絶対いいなと思ってました。そのためには今ちゃんと気合入れて作品を作り上げてく、ってところに行くんですよ。で、50になったらもうちょっと解放していこう、って」
その20代前半って、男闘呼組をやりながら、他の音楽にも興味を強く持ってたんですよね?
「そう。トランスとかも入ってきた頃で、雑居ビルみたいなところでレイヴパーティーやってて……楽しくないわけはないでしょ(笑)。今思うとすごいDJがそこで回してたりして……みんなが知らないところでこんなに盛り上がってるシーンがあるんだ!って」
それはさっきのお芝居もそうですよね。アングラな世界で、そこにすごい人たちがいるんだって。
「ああ、続いてるのかな(笑)。そういうカルチャーが好きなんでしょうね」
そのパーティーの感覚がADDICTの結成につながっていったということですか?
「そうですね。レイヴパーティーの影響もあるな。あとロサンゼルスに行ってた時に、ロックが流れてるクラブがいっぱいあったんですよね。ガンズ・アンド・ローゼズが出てきた頃で、ジェーンズ・アディクションとかもいた。そこでドラムのMotm(=本村隆充)と出会って、自分たちでやんない?って話になって。それから寺田倉庫借りて、ポールダンサーいっぱい呼んで、ライヴもやって」
男闘呼組とは別のバンドを組んだ、と。
「そう。男闘呼組でも曲を作ってたけど、俺、30曲ぐらい持って行っても、アルバムでほとんど使われないわけ(笑)。〈この音楽性は、男闘呼組じゃないでしょ〉みたいな感じになるんです。それで〈確かにそうだな、だったら自分でやろう〉って。男闘呼組を念頭に置いて作った曲はちゃんとシングルになったけど」
その頃の岡本さんの曲はテーマがはっきりしてますね。愛し、愛されること。ここではないどこか、それに自由を求める思い。あとは孤独感。これらはADDICTでも男闘呼組でも見られるんですよ。そのことはどう思われます?
「あのー……思うようにいかないじゃない? 人との関係にしても、もちろん恋愛もそうだし、人生にしても。そこで〈なぜなのか?〉みたいなことをすごく考えちゃうんですよね。それと、ポジティヴでハッピーでラッキー、なんて幸せなんだ!みたいな曲が流れてると〈いや、絶対そんなことないだろ!〉って思うんですよ」
それで楽しい気持ちになる人も多いですよ。
「まあ、もちろんいるけれども。自分が……幸せな時は、まあいいんですよ。何も考えなくても幸せでハッピーだから。じゃなくて、落ちた時にどうやって上がっていくかが大切で。そういう時に自分から曲が生まれて、最初に出てくる言葉がそっちの世界に行くんですよね。日本人なんてとくに自殺者が多かったりするじゃない? 今なんてコロナ禍で、より増えたでしょ。そういうことがあると、俺はよけいに〈ああ、人とのつながりってほんと大事だな〉と思うんですよね。それを直接的に言わないで表現していくと、こういう歌詞になるんです」
では音楽で、自分の中の何かを吐き出してる感覚はなかったってことですか? 愛を求めてるとか、自由が欲しいとか。
「いや、ほんとに自分の居場所がないと、そういうことは唄えないです(笑)。そんな時の自分を乗り越えてきたからこそ書ける、みたいなことなのかな。たぶん」