男闘呼組は、まさに青春じゃない?(笑)。そこで4人とも自分のやりたいものを見つけて、自分たちの世界をつかんでいったし
わかりました。で、27年半前に取材した時に印象的だったのが、ADDICTのことを「もう完全に自己満足」って言われてたことだったんです。
「(笑)いや、みんなそうじゃないの?」
いや、メジャーで出す場合はポップにしたり、時流を意識したりはありますよ。やりたいこともやりながら。
「まあ今もそうだけれども、その時流がわかんないんですよね(笑)。というのはテレビを見る生活をしてないし、当時だと好きな洋楽しか聴いてないし。流行っちゃってたら、それやってもダメじゃん?って思うし(笑)。ただ、自分がやってる舞台にしても、映像にしても、誇りに思えるもので、それが10年20年30年後に見ても恥ずかしくないものじゃないとイヤなんです。それは男闘呼組もADDICTもそう。で、今、(当時のADDICTの音源を)聴いてみると、全然悪くないんですよ。それは時流に乗っからなかったからなんですよね」
たしかに。で、当時観たライヴでは、岡本さんが、ステージ上でどんどん解放されていったのが目に焼き付いてるんですよ。
「へえ~(笑)……ええ」
「これ、あの岡本健一だよな?」と思いました。
「いや、すぐ突き抜けますよ(笑)。生の音が好きなんです。あとデカい音。ステージ上はほんとにいいんですよ。12月のライヴもアーカイブを観たら、良かったですね。27年ぶりなのにね」
で、なぜあのバンドをここに来て再始動させたんですか?
「ちょくちょく車の中でこのアルバム(1st)を聴いてたんですけど、コロナで舞台の仕事が2ヵ月ぐらい中止になった時があって。その時Motmに『これ、もう1回やってみない?』って声をかけて。それが去年の春ぐらいですかね。久しぶりにスタジオに入って、音出して、その次には『ライヴやってみない? 1回やってみようよ』って」
復活したんですね。ただ、ADDICT以降の岡本さんは、長い間音楽から離れていたように見えたんですが、なぜですか?
「離れましたね。ADDICTが終わってから、Floorってバンドを作ってたんです。一切告知しないで、月一でライヴだけやろうと。97、98年ぐらいかな。最初は対バンのライヴに出ても客がいなかったのが、だんだん入るようになってきたんだけど……そのバンドが99年頃に終わったら、音楽から離れたんです。その頃、いろいろと試行錯誤してる時だったんですけど、事務所の副社長に説教を食らったんですよ」
あ、そうだったんですか?
「うん。音楽も芝居もやることに対して。要は二足のわらじを履くのか、って。それは男闘呼組の時からそうだったんだけど、お前は両方やることで中途半端になってる、と。その時、俺は主に舞台に力を入れてたんだけど『じゃあ俺が音楽やらなかったら、芝居もっと良くなるの?』って聞いたの。そしたら『だってそのぶん時間を費やせるでしょ』って。もっともだよね。それで2000年からはずーっと芝居だけで来た」
そう決めた時があったんですね。
「そうなんです。でも……7年ぐらい前かな。石川さゆりさんの博多座公演に出た時、第二部のさゆりさんのコンサートで、久しぶりにエレキを弾いたら、めちゃくちゃ楽しかったんですよ。あと4年ほど前にも、劇団☆新感線の〈メタルマクベス〉って舞台でも弾いて。それまでギターソロは弾いたことがなかったから、教則本を買って練習して(笑)。(成田)昭次はマイケル・シェンカーが好きだったから、俺はそのサイドギターでいいと思ってたんでね(笑)。あと、段田安則さんとフォークデュオみたいなこともやってた。事務所には『舞台に打ち込むから、音楽は一切やらない』って話したけど、もう20年以上も経ってるし、ここまで来れば、まあ大丈夫だろうと」
成田さんといえば、12月のライヴでの共演はどうでした?
「いや、あのねえ……昭次が一昨年ぐらいから活動を再開してきて。ジャニーさんのお別れ会で、何10年かぶりに会ったんですよ。昭次とは一緒にいるのが一番長かったんです。一緒に住んでたし、男闘呼組ができる前、ジャニーさんから『YOUたち、2人でデビューしたらいいよ』って言われたくらいだったから」
そうなんですか!
「その頃、2人組って狩人ぐらいしかいなかったから『2人でデビューって、なんかイヤだよね?』って話して、逃れるためにバンドを作った記憶がある(笑)。そのお別れ会で会って、ちょっと連絡を取るようになったかな。それからあいつが東京来て、ギターを人前で弾くようになったんだけど、12月のライヴの1週間ぐらい前かな。昭次が『ギター弾かしてくんねえ? でもお前の世界があるしな』って言ってきて。『いやいやいや、昭次が弾きたいんだったら弾いてよ』ってお願いしたんですよ。俺らが一緒に人前でやるのは男闘呼組以来だった。でも良かったよね? 〈ああ~、このギターの音が聴きたかった!〉みたいな感じだった」
感動的な光景でした。
「俺もグッときちゃってさ。昭次がいい感じにならなかったら絶対乗っかんねえ、と思ってたけど、ずっと聴いてたいな……って思ってた。すごく良かった(笑)」
今思うと、男闘呼組という存在はどんなものだったと思います?
「15歳から23、24ぐらいまで一緒にいたんですよね。まさに青春じゃない?(笑)。人生において一番多感な時期で、しかも『ロックよ、静かに流れよ』という青春映画がきっかけでデビューして……不良少年たちが主人公の映画の話が来て、男闘呼組の土台が形成されて、それでレコードデビューしたわけだから。そこで4人とも自分のやりたいものを見つけて、自分たちの世界をつかんでいったし」
いま4人とはどんな関係なんですか。
「連絡を取り合えるようになって……みんな大人になったのかな。より交流を持つようになりましたね。でも『ふざけんなよ、お前!』って揉めることもある(笑)。そこはあまり変わんない。年に何回かは会ったりしますよ。でも、とにかく忙しいんだよね。みんな(住んでるところが)バラバラだし」
そういえばさっきの『ロックよ、静かに流れよ』の30周年のイベントでは、岡本さんが唄われたそうですね。
「3年前にね。それは映画館の人に、上映会で登壇してもらえませんかって言われて、それで監督とトークショーをやったの。そしたらチケットがすぐ完売して。ありがたいなと思ったから、そのお礼を伝えたくて、弾き語りの曲を届けたいなと思ったの。映画の中で使ってた〈LONELY…〉って曲と、昭次の〈不良〉って曲をアコギで弾いてみようと思って。その日、登壇したら、すごい声援だったんですよね。そういう経験、男闘呼組をやめてからあまりなくて。めちゃくちゃ懐かしい感じがしたんです。女の子たちの声援とか、昭次の曲とか……ね。ギター持ってる姿を見て泣いてる子たちがいたり、〈どんだけ舞台をやってても男闘呼組のイメージを持ってる人は多いんだな〉と思ったし」