『音楽と人』の編集部員がリレー形式で、自由に発信していくコーナー。エッセイ、コラム、オモシロ企画など、編集部スタッフが日々感じたもの、見たものなどを、それぞれの視点でお届けしていきます。今回は、あるコーヒー店に訪ねた若手編集者が、そこでの気づきを綴ります。
先日、気になっていたコーヒーショップを訪ねた。神楽坂に昨年オープンしたばかりのAKHA AMA COFFEE JAPAN(アカアマコーヒージャパン、以下アカアマコーヒー)というお店で、本店はタイにあり、記念すべき海外初の店舗がここ。扱っているコーヒー豆は、タイ北部の山岳地帯に住む少数民族であるアカ族の人々が栽培したもので、注文の際に店員さんが豆の特徴や生産者の方について丁寧に教えてくれる。私が今回選んだのは紅茶とまではいかないがそういった口当たりの軽い浅煎りコーヒーで、とても飲みやすかった。落ち着いた店内でゆっくりと味わい、そろそろお店を出ようと思ったタイミングで、店員さんになぜ日本でお店をオープンしたのか聞いてみた。すると、かつてタイに旅行した際にこのコーヒーに出会い、その味に惚れた現在の日本店オーナーのご夫妻が、現地のアカアマコーヒーをブランド化した、アカ族のリーさんと交流を深めたことがきっかけとなったそう。その中でご夫妻は、アカ族が住む村はかつて貧困だったが村で栽培したコーヒー豆が売れるようになったことで状況が変化し、リーさんがコーヒー栽培をするお母さまのおかげで村では初となる大卒者となり、やがて地元のコーヒー豆を広げたいという思いでこのブランドを立ち上げたこと。その思いに感銘を受けて、日本でも広めるべくお店をオープンし今に至るそうだが、本来であれば現地で豆の焙煎を教わって、本場と同じやり方でコーヒーを提供したい。だけど今はコロナでタイに行けず実現していないこと、それでもいつか叶えてアカアマコーヒーをもっと多くの人に広めたい、という夢も教えてもらった。そう語ってくれた店員さんも、もともとタイが好きで、偶然ここを訪ねてお店の背景を知り興味を持ち、今では働くようになったのだそう。オーナーのご夫妻も、この店員さんも、アカアマコーヒーの物語に共鳴し、今ではそれを誰かに届けようと奮闘しているが、そうやって人々の思いや物語が語られ、共有されることでそれがまた別の誰か届き、輪が広がっているのを感じるし、私もそんなエピソードに心が温まったからこそこれをまた誰かに話したい、伝えたいと思い書き残している。
といっても、今までの私は編集、ライターという立場でありながら、自分のこと、自分が感じたものを素直に言葉にするのが怖いという感覚であったり、誰かに伝えたいけれど私の中に留めて大事にしまっておきたい、と矛盾することがよくあった。だから先輩に「俯瞰したり、客観的な立場で書いたりするのも大事だけど、もっと自分自身に寄せて物事を書いていいんじゃない」と言われたり「もっと自分の言葉で書きなさい」とかけられるたびに、どうしたらうまくできるのかと悩むだけでなく、自分の内側をさらけ出さなきゃ面白いものは生み出せないんじゃないか、と考えてみては私の覚悟が足りてないのか?と自問してきた。それでもアカアマコーヒーでの出来事を通じて、自分がある物事について真摯に向き合ったうえで、そこで湧き上がった思いを素直に言葉にして共有すれば、時として人の心を動かすだけでなく、そこから新しい物語が生まれたり、次へ繋がる可能性を秘めている。そう感じたのだ。
思えば音楽だってそういう面があると思う。自分が感銘を受けた音楽も、振り返ればそのどれもが作り手の、飾りのない本音というか真っ直ぐな感情がその人らしい言葉や音で表れている気がするのだ。そのひとつが、私の場合は吉井和哉が生み出す音楽なのだけど、昨年末に観た武道館のライヴでもそう感じた。今の吉井さんは、自分が人生の折り返し地点に来たこと、そして残された時間の中で全うしたいのは歌を唄うことなのだ、と昨年ビルボードで行われたライヴでも話していたし、年末の武道館でも「俺はずっとここにいる」と力強く言い放っていた。そのあとに披露された「みらいのうた」でも〈いつかここから消えるなら今日もただ歌おう/いろいろいろんなこと知ってしまう後も/君と僕を繋ぐメロディになるなら/怖くはない未来の歌 いつか叶え未来の歌〉と唄っている。だから胸の中で湧き上がった思いがちゃんと素直に音楽に落とし込まれているのがわかるし、吉井さん自身も言葉にすることであらためて自分の思いを確かめている面もあるのかもしれない。そして私もその思いに触れて、今度は自分自身のことに置き換えて、未来のことであったり自分はどうしたいかも考え、最後は不安に思っていた未来も少しだけ明るく見えてきて気持ちが楽になった。だから純粋な思いを宿った言葉は、最終的に誰かの心に寄り添える力もあるのではないのだろうか。そんなこともふと思う。
今までの私はもしかするとどこかで自分の思いを否定されるのが怖かっただけなのかもしれない。だけど、それはきっと単なる思い込みだし、実際に言ってみなければ、共有しようとしなければそれがどう伝わったり、相手に受け止めてもらえるのかはわからない。私がコーヒー店や音楽を通じて触れた、誰かの真っ直ぐな思いに心が動いたように、おこがましいかもしれないが、自分にもそんなふうに誰かの心に振動するものや、寄り添える何かを生み出せる可能性はきっとゼロではないのだろうし、今はそれを目指してみたい。だから怖がらずに、自分のフィルターを通していいと思ったものを、ちゃんと素直に表に出して共有してみよう。今年も『音楽と人』というメディアを通じて、素敵な音楽を届けていきたい。そして、自分が音楽を通じて心が楽になったように、先の見えない現状の中で少しでも癒しや楽しさを感じてもらえるものやきっかけを提供したり、それを一人でも多くの人と共有できたらと願ってやまない。そのためにできることからひとつひとつ丁寧に取り組んでいこうと思っている。
文=青木里紗