俺にとってのロックの始まりが30年経った今、戻ってきてる。だから最近よく考えるんだ。なんであの時、俺は始まったんだろうって
銀杏BOYZの音楽もライヴも、少しずつそういう方向に変わってきてますよね。でもアメリカツアーやって、ハードな経験を共にしたことで、このメンバーでバンドをやる自信というか、リアリティがより強くなってきた気がしますけど。
「そうだね。あと日本語で唄っても、向こうのお客さんに届くものは届くし。対等の目線でああいう空間を作れたのも自信になりましたよね。昔は洋楽コンプレックスがあったけど、もうそれは持たなくていいんだ、って。ちゃんとわかってくれる人はわかってくれる。だってどの会場もチケット売り切れたし、俺たちを待ってた人たちがいっぱいいた」
すごいね。でも確かに、洋楽コンプレックスはあった。
「そうね。やっぱ〈自分がロックという音楽をやるとして、向こうの人たちと同じことをやってて通用するんだろうか?〉みたいな気持ちがずっとあるわけ。いわゆる〈日本のロックとは?〉みたいな。それがつねに自分の命題としてあったんだよ。たとえばラーメンって中華料理だけど、今の日本のラーメン文化って世界に誇れるものでしょ。ルーツは中国だけど、中国とはまったく違う日本のラーメンって料理が確立されたわけじゃん。それがロックでできればいいなと思ってたの」
日本人ならではのロック表現ってこと?
「でもそれは、わかりやすく演歌調になるとか、歌詞が日本語とか、アニメっぽいとかそういうんじゃなくて、日本の土壌から生まれるもっと独自のロック。俺はそれを自分なりに表現できれば、絶対向こうの人に伝わるはずって思ってて。今回俺がアメリカでツアーしてみて実感したのは〈ショボければショボいほどカッコいい。それが日本ならではのロックなんじゃないか?〉ってことでさ」
銀杏BOYZ以降、そういう自分のダメさやダサさを突き詰めていく人たちが増えた感覚はありますか?
「ありますよ。今の若い人のほうが素直ですよね。憧れがないぶん〈こういうのがいいんじゃない?〉って、肩肘張らず、素直な言葉でやれてるのはすごくいい傾向なんじゃないかな」
その人たちが憧れてるのは、君なんだけど。
「自分ではわかんないよ、そんなこと。俺の時は、直属の先輩としてハイスタ(Hi-STANDARD)とかがシーンを作っていて、そこに乗れない自分がいて。そのカウンターとして日本語の歌詞で、ドラムの音が途中で切れちゃうような、破綻した形でしか立ち向かえなかったんだ」
だから特異な存在だったんだよ。
「そのぶん上からも横からも叩かれたけどね(笑)。でもそれが支持されたことで自信になったし。とにかく俺らが出てきた頃は、周りがカッコいい音楽ばっかりだったんだよ。だから……カッコいい音楽ばっかりだったのが許せなかったのかな?(笑)」
わはははは。
「そういうのを凌駕する、ダサいけどカッコいいものが作りたい。それはまだ全然できてないって思うかな。夜曲書いて、朝起きて聴いて〈ダメだ、これだっせぇ〉……その繰り返し。300曲作って、残るのは2曲ぐらいか(笑)。自分なりにあんまり妥協せず、いい食材を見つけてるつもりなんだけど」

それが形になるのはいつなんでしょう?
「…………来年ぐらいかな」
お! 今「来年」って言いましたね(笑)。
「もうやってんすよ、レコーディングは。ただ俺、9月から大人計画のお芝居に入る予定で、それで今年は埋まっちゃうから、それまでに8、9割は作っておきたいと思ってるのよ。だからアルバムは来年には出るはず」
そんな宣言しちゃって大丈夫かな?
「今回アメリカツアーをやるにあたって、就労ビザを取ったのよ。3年間有効だから、またアメリカツアーに行くつもりなのね。でも来年の6月は俺、プライベートでサッカーのワールドカップ観に行くから、そう考えるとツアーは再来年になるのかな」
じゃあ、アルバムも2年後くらいだと思っておきましょう(笑)。
「あとね、ちょっと俺の話になるけど、音楽聴く時ってレコードが多いんだけど、5年前かな? EGO-WRAPPIN'の森(雅樹)さんがやってる、浅草の商店街のDJイベントに誘われたの」
DJやるんだ?
「そう。今までやったことなかったけど、けっこう面白くてさ。そこからいろんな人が誘ってくれるようになって、今、ちょくちょくDJやるようになってんの。この前も呼ばれて、自分の出番が終わって、外の喫煙所に行ったら、いろんな人が声かけてくれるんだけど、そん中のひとりが、さっき言った高校の時に俺の右後ろに座ってて『ネヴァーマインド』を貸してくれた吉田くんだったんだよ!」
それ、偶然?
「俺の知り合いがたまたま仕事で静岡行って、バーに入って銀杏の話をしてたら、シェイカー振ってたお兄ちゃんが『銀杏って銀杏BOYZのこと?』って話に入ってきたんだって。そしたら『峯田にニルヴァーナのCD貸したの、俺なんだよ』って(笑)。そのバーテンが吉田くんだったんだよ。で、その知り合いが俺に内緒でそのDJイベントに連れてきたの。もうドッキリで、30年ぶりに再会だよ。しかも俺、吉田くんが来てるのなんか知らないのに〈スメルズ・ライク・ティーン・スピリット〉を、その日かけてるんだよ」
神様が引き合わせたとしか思えない!
「すごかった。お前のせいで俺の人生変わっちゃったんだよ、って、やっと伝えられた。それが3日前。アメリカツアーでカートの家見たとか、3日前に吉田くんと会ったとか。俺にとってのロックの始まりが30年経った今、戻ってきてる。だから最近よく考えるんだ。なんであの時、俺は始まったんだろうって。それがそのまま作曲に向かう原動力になってるよね」
ロックやパンクにハマった時のあの気持ち?
「なんか40超えて、俺の生活は今こうなんだ、うまくいかねえんだ、ムカつくんだとか、そんなブルースみたいな曲は書きたくもないの。そうじゃなくて、今俺が書きたいし知りたいのは〈なんで俺はあの時始まっちゃったんだろう?〉ってことでさ。〈エンジェルベイビー〉でも、そういうことは唄ってるけど、最近はそういうところに立ち返って曲を書こうとしてる。もう30年経ってるから忘れてるとこもあるけど、ロックに出会ってしまったあの時の衝撃――でもあれが自分にとって一番確かなものなんだよね。結局〈スメルズ〜〉を聴いた時の〈うわぁ!〉って感じと、俺を〈うわぁ!〉って気持ちにさせた〈スメルズ〜〉を自分で作りたいだけなんだよ」