できれば終わりを決めたい。自然になくなっちゃったとか、永遠にやりますって言葉で逃げずに、ちゃんと完結させたいね
今回のツアーをやってみて、年齢ゆえの変化を感じたりしましたか?
「や、それを感じるのはもうちょい先なんじゃないかな。俺、今年で50だから、そのうち感じるようになるとは思うけど。バンドもあと10年ぐらいかなって思うし」
それ、10年前から言ってるけどな(笑)。
「わははははは。思ったより体力あるんだよね」
まあ、その体格で体力ないとかおかしいだろ(笑)。
「それに今のほうが全然面白いし、単純に昔に比べて力量が備わってるというか。だから年齢で弱くなってる気はしないんだよ。ただここからは、枯れていく部分もあるから、そういうものと折り合いがつくかどうかは、まだ見えてない。目標だったGAUZEが解散してしまったのは、ちょっとデカいけど」
GAUZEのようにスパッと終わりにしたいですか? それとも、もっとボロボロになるまでやってみたい?
「できれば終わりを決めたいね。自然になくなっちゃったとか、永遠にやりますって言葉で逃げずに、終わりますってはっきり言うことで、ちゃんと完結させたい。まあ最近は、そういうのを考えざるを得ないことが多いじゃん」
……ですね。
「去年いろんな不幸なことがあったし、突然自分のバンドがそうなったら、ってことを勉強させてもらってると思っていて。やっぱり俺たちは、その見たこと、感じたことから学習するべきであって」
とくに去年後半は、バンドにはいつか終わりが来る、という事実を突き付けられましたよね。
「そう。その一方で、ハイスタみたいにさ、終わらないって選択肢もあるんだなって。それもそれでと思うし。でもやっぱ、チバユウスケがいなくなったのはね、デカかったよ」
ねえ。
「自分がこういう感情になっているのが意外だった。心の中でチバの存在ってデカかったんだなと思って。帰ってくるって勝手な思い込みもあったし、ここ最近、すごく仲良くしてたからさ。2人で部屋呑みしたりね。ライヴのあと、コロナ禍だから呑みに行けなくてさ。『今日このあとバーチーの部屋で呑もうよ』って言ったら『え、俺の部屋かよ?』って話しながら帰ってさ。しばらくして〈ほんとに来る?〉ってメッセージが来て(笑)」
はははははは。
「そういうこと思い出したりね。なんか心がポカンってなるじゃない。穴が空くみたいな。すべての知り合った人にそれはあるんだけど、その穴が思ったよりデカくてさ。〈俺ってこんなにチバのこと好きだったんだ〉と思っちゃって。いろんなこと思い出した。フジロックで『マヌ・チャオ観たいけど、どこ行っていいかわかんねえ』ってベロベロになってっから、連れてったら、途中で『ラーメン食いてえ』ってなって。ようやく着いたら入れなくてトボトボふたりで帰ったな、とか(笑)」
チバらしい(笑)。
「バースディになってからすごい好きだったんだよね。ミッシェル時代とかは反目だったけど、すげえカッコいいなと思うようになって。これからたくさんライヴ一緒にやりてえなって、マジで思ってたし」
そういうのに気づくように、あなた自身も変わってきた部分があるんじゃないですかね。歌に向き合ってきたことで、表現が変わったり、直接的な言葉で優しさを唄うようになったり。
「そうなんだろうね。それは年齢とか自分の経験が影響してるんだろうし、チバユウスケにロックスターみたいなものじゃなく、人間っぽさを感じたから、俺も仲良くなったんだろうな」
そういう経験をして、書く歌詞もまた変わってくるんじゃないですかね。
「変わらざるを得ない2023年だったよね。死生観とかは変わらないし、ずっとそこに向き合って音楽をやってきたつもりだから、何かが大きく変わるわけじゃないんだけど、よりリアルなもの、もしかしたら自分の生活というか人生に近いものになっていかざるを得ない年だった。だからなのか、今、珍しく制作に入りたいと思ってるから。ブラフで」
お、「Slow Dance」以来だから2年半ぶりだ。
「今年、描き出したくてさ。そうすると、当然いろんな人たちの顔が浮かぶだろうね。ツネ(恒岡章)、櫻井敦司、チバユウスケ……まあまだいるけど、すごい1年だった。なんかさ、遺言ってのは嫌だけど、終わりはちゃんと考えておかないとダメなんだなって、そう思うようになった。あといつ終わってもいい、そう思えるようなライヴをしていかないと」
それがバンドのアイデンティティだからね。
「ずっとそうやって、毎回後悔ないようにやってきたし。俺は、死んだら終わりでいいんじゃねえ?って思うけど、答えがあるわけじゃないから。追悼ライヴをやろうとか、残ったメンバーで続けようとか、新しくメンバー入れようとか、いろんな選択肢があるじゃん。終わりなんて、絶対自分の思い通りにならない。後悔だらけで終わっちゃうよ。でも最後を決めたら、バンドを楽しむ、最大の見せ場になんだろうとも思うからさ」
見せ場?
「バンドなんて、人生かけて遊んでる俺たちが、いろんなヤツらと作った居場所なんだよ。だから最後まで面白くして、散り際も、〈やっぱこいつら面白えわ!〉って思われるような見せ場にならないと。だってステージ上ではいくらスターだったとしても、結局、最後に突きつけられるのは自分の人生なんだから」
ほんとそうだわ。
「だったらやっぱ自分の思う形で、音楽と共に去らないと。こういうほうが面白いっていうか、カッコいいとかキレイとか、なんでもいいけど、そうやって最後までセルフプロデュースしたほうがいいよ。それでもたぶん思い通りにはいかないから」
そうなんだよね。あとそこには自分の思いとは別に、ファンとかスタッフとかさ、メンバーとかの気持ちが出てくるし、その中で自分が生きてるから。
「だから今何をすべきか、今をどうやって生きるかっていうことがもっともっと重要になってくる。そういうのを〈Hands and Feet〉のツアーに行くと感じるし。正直、ここのライヴハウスが最後でもいい、そういうライヴをやんなきゃいけないわけ。酒田で終わんのかとか、釧路で終わんのかって思いながら(笑)。東京ドームで終わりたかったとか、そういうんじゃないんだよな」
どこであろうと悔いがないように、ね。
「そうなの。それを1回1回確かめることができるってことはすげえなと思うし、客も周りに何もない、指宿の峠まで観に来るわけだからさ、すごいと思うよ。その感謝の気持ちをMCで返すんじゃなくて、音楽で返したいわけさ」
コスパは悪いけど、そこに生きてる実感があるから。
「そう。別にデカい会場でもいいのよ。でもやっぱり俺はストリートなんだよね。だからライヴハウスなんだろうな。で、そこにいるとさ、若いやつもいるけど、オッさんもいっぱいいんのよ(笑)」
横浜もそうでした。
「自分もオッさんだけど、目の前にオッさん、オバさんがいっぱいいるの、ほんと嫌でしょ(笑)。でもそいつらの人生にも、バンドが好きでよかったって気持ちを残してあげたいんだよね。〈こいつらを応援しててよかった〉って思わせることが、俺たちにできることだからさ。歳を重ねても、音楽は磨けるじゃん。生き方次第で。だからまだやろうと思うし、頑張れるわけ。〈50歳に見えないですね〉みたいなことじゃなくてさ、これまでの生き方がにじみでてくると思うから」
そういうライヴでしたよ。ただ感情を爆発させたいだけじゃない、お互いへの信頼があったというか。
「昔からそのつもりではいたけど、ライヴは最低限のマナーはありつつ、ある程度は来る人たちの自由でいいと思ってるから。今回もセキュリティの人間入れなかったし、柵も取っちゃった。90年代にバンド始めた時の、なんのルールもなかったライヴハウスが好きだったから、自分たちの現場ならできるだけあのままでやりたいんだよね。だからステージダイヴもしていいよ。ただ、することに対して責任を取れるなら、だけど」
そういうライヴがどこでも日常になってきたことで、ルールは作んなきゃいけないって空気になって、セキュリティが必要、柵は必要、ダイヴはNGってなったわけで。
「最初に話したことと一緒だよ。それと真逆をやりたいし、そこに本当のことがあると思う。それをやるためには、ひとりひとりの考えや体力に基づいてないと」
今回の能登半島震災で、道路が渋滞するから行っちゃダメだ、みたいな空気で、社会がガチガチになるのと似てますよね。
「そう。衝動みたいなもの、自分の描いてたイメージを飛び越して、なんだかわからない気持ちがあふれだす。そんな瞬間を求めてるのに、勝手に決められた堅苦しいルールに従うんじゃ、ライヴも人生も面白くないじゃん。かといってめちゃくちゃやればいいってことじゃないし、そんな歳でもない」
説明するのも難しいんだよね。衝動のままにダイヴして、普通に観てるやつに危険じゃねえかって言われたら、そこへの答えは正直出にくい。
「だからそういう論戦になるバンドでありたくないのよ。こいつらか、しょうがねえなって思われてりゃいい(笑)。危ねえじゃねえかって怒ったり、禁止しろとか言うやつは居なくていい。俺らのライヴハウスなんだからさ。俺も横浜で、飛んできた客のかかと落とし食らったからね(笑)。久々にクラッとしたよ」
ほんと、このままでいたいですね。
「うん。社会的にありたくないために、社会的に真摯でいなきゃいけない。今、なんかそんな感じなんだよね。まあ最終的には反社でいいんだろうな、俺らみたいなものは(笑)」
反社って(笑)。
「そう考えたらなんでもできるし。世間がどうのこうの言ってたって、北陸に行くしね。10年前の震災の時にさんざん言われて、気にも留めなくなった。それからはずっと、自分に向き合えてる。考えてみたら、それまではただ反抗してただけなんだよな。誰も俺のことをわかってくれねえ、なんだこの世の中は、って。でも震災以降、向き合うようになったんだよ。音楽もそう。だから投げ出したり、どうせ終わるんだからって諦めるんじゃなくて、最後までしっかりやって諦めたい。なんかチバがさ、バースディになって、愛とか生きるとかストレートに唄うようになったの、わかる気がするんだよな」
クソみたいな世界だから、と諦めたくなかった、と。
「じゃないかなあ。なんか面白いね、人生って。若い時と真逆なことが起きてく。だから今は、ちゃんとめちゃくちゃをやりたい。なんか俺、増子兄ィ(註:怒髪天/増子直純)と似てるなって思うことが増えた(笑)」
増子さんも変わったもんね。ある時から。
「だってあの増子直純が、メンバーに、演奏がなってない!って怒ってんだよ?(笑)。でもそうなることも含めて、人生は面白い。死ぬまで生きるってだけなんだけどね」
文=金光裕史
撮影=西槇太一
ヘアメイク=小坂知未