佐藤良成と佐野遊穂によるハンバート ハンバートは、今年、結成25周年を迎えた。その節目にリリースされたアルバム『FOLK 4』は、ふたりの弾き語りのみで構成される企画シリーズの第4弾で、新曲の他に、耳なじみのあるJ‐POPのカヴァーやセルフカヴァーなどを収録。この一枚を聴くとよくわかるが、公私共にパートナーであるふたりから生み出される音楽は、圧倒的なオリジナリティにあふれている。どんな曲を演奏しても自分たちの色に染めてしまう芯の太い歌と音。さらに人間の生々しい感情が浮かび上がるような佐藤の歌詞を、佐野の伸びやかな歌声が受け止めてポップなものへと昇華させる。そんなハンバート ハンバートの音楽はふたりの間でどうやって出来上がっているのか。そして精力的な活動が25年も続いてきた秘訣はどこにあるのか。佐藤と佐野、それぞれのインタビューで紐解いてみることにした。
(これは『音楽と人』2023年11月号に掲載された記事です)
〈佐野遊穂 INTERVIEW〉
結成から25周年、ハンバート ハンバートの活動が始まってから遊穂さんの人生は大きく変わったんじゃないですか。
「そうですね。大学時代に良成に誘われて音楽を始めるまでは、特に音楽に関わってきたわけではなかったので。彼はその頃から卒論を書く時間ももったいないという感じで音楽に没頭していたんですけど。私は大学卒業後に小さな編集プロダクションに就職したんです。でも、半年でクビになっちゃって(笑)」
それはショックですね。
「あんまり仕事ができなかったんだと思います。そのあとは長く務めるような仕事を探そうとも思わなくて、バンドの活動と並行してできるようなアルバイトをしていました。今もそうなんですけど、もともとすごく楽観的な性格なので。これがダメになったらどうしようとかそういうことを考えないんです」
では遊穂さんが音楽を続けていこうと思った理由ってなんだったんでしょう。
「良成が私の大学の文化祭に遊びに来たのが最初の出会いだったんですけど。その時に周りの友達が彼に『せっかくギター持ってきてるんだから唄えよ』みたいなことを言って、何の歌か覚えてないんですけど、いきなり唄い始めたんです。そんな人を見たのは初めてだったし衝撃で。それにその頃から自分の音楽を作ることにすごく情熱を傾けていて。だから、こんなに一生懸命やっている人と一緒に音楽をしていたら、きっとみんなに聴いてもらえるんじゃないかなって。この人についていけばなんとなるというか(笑)」
良成さんが作る音楽を自分の声で表現するんだという使命感みたいなものはありましたか。
「最初は良成がメインで唄って私がコーラスだったんですけど。最初にデモテープを持ち込んだレコード会社で『彼女がメインで唄ったほうがいい、君が唄うのは1割か2割でいい』みたいなことを言われたらしく。だから本当は自分で唄いたかったんじゃないかなと思うし、使命感というよりそういう流れで今に至ってます」
そうなんですね。今や音楽活動でも家庭でもパートナーとして一緒にいて、大変だなと思うのはどんな時ですか。
「私たちが揉めるのは音楽のことがほとんどなんです。意見がぶつかるというよりは私が怒られるんですけど」
どんなふうに?
「真面目にやれ!って。これは私の性分なんですかね、すぐ真面目にやらなくなっちゃうんですよ。でも、お互いに突き詰める性格だったら、煮詰まっちゃうと思うんで……って自分で言うのもなんですけど」
いいバランスだと。
「そうですね(笑)。例えばライヴのチケットが全然売れなかった時も、良成だけだったら『もうダメだ!』ってなってたと思うけど、私が『いやいや大丈夫でしょ』って。どうしてそんなふうに思えるのかは自分でもよくわからないんですけど」
良成さんが突き詰めすぎてると思うのはどんな時ですか。
「基本的に、なんでも突き詰める性格なんですよ。アルバムを録音し終えて、ミックスの段階になると自宅の作業部屋で細かいことをずっと調整しているんです。夜になると『これ聴いてくれる? どっちがいいと思う?』って聞いてくるんですけど、私には違いがまったくわからないし、何を変えたの?って思うことがしょっちゅう。『こっちのほうが明るい感じがするかな』とか答えられる時は言うけど、『どっちでもいいと思う』って言うと『そっか……やっぱりそうだよね』って(笑)」
なんにせよ遊穂さんに意見を求めるんですね。
「彼はいろんな物事に対して、あんまり適当なことができないんです。私は特に音楽に関してはあんまりいろんなことを知らないほうが直感でわかると思っているので、長くやっていても知識を取り入れたりすることはないですし、深掘りしたりすることにも向いていないのでしませんけど。とにかく良成は昔から、音楽以外のことを考えている時間が1日にどれだけあるのかなっていう感じで生きているので。本当に毎日、音楽にどっぷり浸かってるんですよね」
そんなに音楽漬けの人と生活していると、家族としては気を遣う場面も出てくるんじゃないですか。
「ありますね。一番困るのは、食事の支度が終わったら『ご飯ができたよ』って、呼ぶじゃないですか。でも呼ぶと作業を中断したくないのか『うるさい』って言われるし、呼ばなかったら『なんで呼んでくれなかったんだ』って怒るんですよ」
どうすればいいんでしょうか(笑)。
「だから最近はLINEで『ご飯できたよ』って送ってます」
平和な解決策ですね。3人のお子さんを育てながらご夫婦でミュージシャンをされているわけですが、育児と音楽を両立させるためにどんな工夫をされていますか。
「今はなるべく子供たちに家のことを手伝ってもらっています。末っ子は小学4年生なのでまだ戦力外なんですけど、その上に中1と中3の子がいるので『ご飯を炊いて』とか、『お味噌汁を作って』と言うとやってくれます。これまではツアーで家を空ける時は、私の親に来てもらって子供たちのお世話をお願いしてたんですけど、もう自分たちでできるよなと思って『なるべくあんたたちでやりなさい』って言ってます」
几帳面な良成さんと、楽観的な遊穂さんだと、子供との向き合い方も違いますよね。
「そうですね。私は子供たちに対して料理でも何でもとにかくやらせてみるんです。例えばリンゴの皮むきも、手を切りそうだなと思ってもやらせてみる。良成はそれを『ああ〜っ!』とか言いながら横で心配そうに見てるんですけど、私はあえて見ない(笑)」
その光景が目に浮かびます(笑)。良成さんが書く歌詞はどう感じていますか。
「良成がメインで唄っていた本当に最初の頃は、1人称が全部〈僕〉で、〈僕〉の歌ばかりだったんですけど。だんだんいろんな主人公が出てくるようになっていって。男だったり女だったり、子供だったり老人だったり、すごくヴァリエーションが増えていきました。だけど『FOLK 4』の制作でいろんな方のカヴァーを唄っていて気づいたのは、良成はどんな主人公が出てきても、やっぱり〈僕〉のことを唄ってるんじゃないかなって思ったんですよね」
いろんな主人公に良成さんのパーソナルな部分が投影されていると。人間の感情の闇の部分を生々しく描いている歌詞も多く、『FOLK 4』に収録されている「ひかり」もドキッとさせられる内容です。おふたりにとってどんな曲ですか。
「この曲ができる少し前に一緒に『潜水服は蝶の夢を見る』という映画を観たんです。フランス映画で、ファッション誌の編集長で華やかな生活を送っていた男性が交通事故に遭い、身体が動かなくなってしまったという実話をもとにした作品なんですけど。その作品だけじゃなく、同じ保育園に子供を通わせてるお父さんで若い頃に交通事故に遭って身体が不自由になってしまった人がいて、その人が自費出版で出した手記を同じような時期に読んでいて。なので、このふたつが創作のもとになっているんだろうなと私は思っていたんですけど、それをあとになって話したら本人は全然気づいてなかったです」
一緒に生活をしていると何がインプットになっているかも自然とわかるから、すんなり唄えるんですね。
「実際に唄う時はそんなに考えないですけど。私、とにかく唄うことに必死なので」
10年くらい前にある取材で「どんな想いを込めて唄ってるんですか」って聞いたら「どんな想いも込めてません」って遊穂さんがおっしゃってたのが印象的でした。
「あはははは。でもそれはたぶん、良成に『そんなに唄い上げないで』みたいなことを言われたからだと思うんですよ。『この曲はどういう意味ですか』なんて聞かれるんですけど、曲にメッセージを込めたり、こういうふうに受け取ってほしいとか、そういうのがないんですよ。良成が言うには、メロディができた時点で、言葉はなくても物語はあるらしいんです。その音の並びの中に、悲しいとか、驚いたとか、切羽詰まってるとか、そういう感情が含まれていて、メロディが持っている物語をなぞって歌詞に落とし込んでいく。だから私は歌唱に想いを込めたりせずに、リズムとか一音一音の長さとか、そういうところにこだわって唄っています」
シリアスな歌詞でも遊穂さんがフラットに唄うことで浄化されるような効果があると思いますし、おふたりのハーモニーもまた、ハンバート ハンバートの強みですよね。
「声が重なると一番自分たちらしいなと思います。今回のアルバムで曲をカヴァーする時もコーラスアレンジに一番時間をかけました。お互いに家にいるので、なんでも思いついたらすぐに試せることも強みかも」
そしてお互いの音楽の向き合い方が違うのがいいんだなっていうのがよくわかりました。
「結局、心配性の人のほうがいろんなことを準備したり頑張ったりすると思うんですけど、私は楽観的すぎて頑張るところから逸れちゃうところがけっこうあって。それで良成は時々嫌になっちゃうみたいですけど(笑)。でも、だからこそ25年続いてきたかなと思います」
文=上野三樹