2023年にソロデビュー20周年を迎える吉井和哉。『吉井和哉20th × 音楽と人』と題して、『音楽と人』の過去のアルバム記事を特別公開しています。今回は、6作目となるアルバム『The Apples』のインタビューを公開。この取材は、東日本大震災の前日に行われました。
(これは『音楽と人』2011年5月号に掲載された記事です)
現在の吉井のリアリティが痛いほど刻み込まれている『The Apples』。つねに襲いかかってくる巨大な孤独感と、数多くの現実がもたらす途方もない悲しみ。それでもそこでロックにすがることで生き抜いてきた人生――。やはり彼はここで生きるしかないのである。その結果として到達したのが〈愛と平和〉を唄う「LOVE & PEACE」であり、揺るぎない思いで生きることを表明する「FLOWER」なのである。
以下のインタビューを行ったのは3月10日の夕刻。静かな口調の吉井からは、自身の現状を冷静に捉えながらも、その内面にはたしかに熱いものを持ち続けていることが感じられた。東日本が大地震で揺れる21時間前の対話である。
非常に濃ゆい作品ですね。
「そうですね、濃くなりましたね」
で、先々月号でこのアルバムは「ロック万華鏡」と宣言されてました。
「はい」
でも、その言葉の派手で華やかな響きとはちょっと違うというか。
「ああー、そうですか? いや……一番派手だと思うけどな、今までのアルバムで」
あ、吉井さん自身はそう思います?
「派手というか、まあキラキラしてると思いますね。喜んでるというか」
うん、生命力はありますよね。ただ、外に弾けてくエネルギーというより、刺さってく方向はむしろ個々人の心の中という気がするんです。どうですか?
「ああー……でも前回インタビューしていただいた時は、まだ歌詞ができてなかった曲が4、5曲あったんですよね」
ああ、「まだ書けてない」ってその時言ってましたね。
「はい、はい。それで、イメージしていたものは、もうちょっとチャラめの歌詞だったんです。もっと、いわゆるロックの持つ、セックス、ドラッグ、ロックンロール的な。そんなに深いメッセージみたいなことを唄うイメージじゃなかったんですけど……〈LOVE & PEACE〉ができて……そのあと〈FLOWER〉ができて。それで今回、どっちかっていうと重いメッセージを伝えたとこもあるので。その、きらびやか感というのは、ちょっと減ったかもしれないですね」
それは、アルバムを作ってる途中からもっと人の中に入り込んでくような歌にしたくなかったからですか。
「う~ん……そう……かもしれないし……44歳にして思う日本語の良さというのに、また気づいたというか。自分のことは2行でいいかな、と思うようになったという」
2行ですか。
「あとはもう君のために、みんなのために、と。今までは全部、吉井和哉で、2行が君のことだったんですけど(笑)。それが逆になったんですね」
なるほど、シングルになった「LOVE & PEACE」がそういう曲でしたもんね。あと、このアルバムにものすごく感じるのは、吉井さんの孤独感なんです。
「孤独感? ああ、ああ……孤独感というか、もう孤独を肯定していますね、今回は。はい。〈孤独バンザイ!〉みたいな」
孤独バンザイ!?
「〈人はみんな孤独だろ〉っていうアルバムですよね」
バンザイ、ですか(笑)。ともかく孤独がポイントだと思うんです。僕がアルバムの中で一番好きなのが「ロンサムジョージ」なんですけど、これは――。
「カメのことですよね、うん。これも二転三転してて。途中とか、鍋の歌になっていたんですよ」
鍋~? よくわかんないなー(笑)。
「あはははは! ほんとにほんとに(笑)。鍋の歌の時があったの! 歌詞、何回か書き直してた頃に。途中、鍋の歌になって、〈鍋の歌はまだ早いかなぁ?〉と思って。で……長縄の歌になったり」
な、ナガナワ!?
「こういう、校庭で夕方にやる長縄ね(笑)。そういうグルーヴで、その中の悲しさみたいな、いろんな世界をね……まあ頭おかしいんで、もう最近(笑)。それで……まあ〈もうちょっとカッコよくしようかな?〉って。それでよく知らなかったんですけど〈ロンサムジョージ〉っていうタイトルが出てきたんですよね。で、クロスロード、人生の交差点とか、長老のブルースマン? この国最後のブルースマンみたいな、おじいさんのイメージで書いてたら、そういう歌詞になったんです」
それにすごく迫るものがあって。で、この曲の後に「MUSIC」が続く流れがまた好きなんです。
「ああ! 〈昭和バンザイ〉!(笑)」
あはは!
「昭和バンザイですよね、今回のアルバム! けっこう。昭和50年代バンザイかもしれないけど」
懐かし感が(笑)。そうやってにじみ出るものがものすごくあるアルバムですね。
「ああ、そうですか? それはうれしいな~!」
それで歌から伝わってくるものも大きいし。で、「GOODBYE LONELY」とか……。
「またカメ出てきますけど(笑)。〈どんだけカメ好きなの〉みたいな!」
(笑)でもこれも、決して孤独と別れてない気がするんです。それで吉井さんは孤独感を強く感じてる時なのか?と思ったのですが。
「ああー……まぁべつに『孤独だ』って言っていた時と今は何ら変わってないですから、孤独は孤独だと思うんですけど。でも〈悲しい〉って気持ちはないんですよね、今。〈だから悲しい〉とか〈寂しい〉とかは……うん。〈でも音楽やれてれば、それで最高!〉っていう時期ですから。だから、そりゃあバランスとれないよな、って話なんですよ。だって……僕みたいな年齢になって、こういう音楽作るには、やっぱり、かたや幸せな家庭生活があったら、できないかもしれないし」
ああー。そう思います?
「うん。だって、これを作るためにいろんなものを犠牲にしてきた、ぐらいの気持ちはあるので。そういう意味ではたまにふと、そりゃ〈孤独だなぁ〉と思う時は……〈このまま孤独死するのかなあ?〉っていう」
孤独死!? 死なないでくださいよ!
「あはははは。いつかね? 誰の介護を受けることなく、金も尽き! あはははは!」
不吉だなあ(笑)。
「老人ホームのお金もなくなり!」
編集部・樋口「……もういいです」
「あはははは! そっちから声が来るとは(笑)」
そんな将来のことを?
「(笑)いや、考えてないです! 考えてないけど」
ないけど?
「いや、でも、うん…………でも孤独感っていったら、もうある意味、最初っからありますからね。それがいい心の、健全な状態で出るか、健全じゃない状態で出るかっていうのが過去のアルバム……で全部はかりやすいと思うんですよ。いい健全な状態でできたのが、昔で言ったら『SICKS』だったし。それが健全じゃなくなった瞬間に、自分はちょっとマズイことになるのかな、ってことも学習したし(笑)。時間かかりましたけど」
じゃあ今は健全な状態で孤独を語れるということ?
「そうですね。だからシングルのカップリングの〈星のブルース〉なんか顕著にそのことを唄っているかもしれないですね。〈LOVE & PEACE〉はパイロット・シングル的な、僕の中ではちょっとしたミニ・アルバムだったんですけど。一般の日常の方が思う愛と平和。で、〈リバティーン〉はやっぱり、ああいうヤリチンが抱えてしまう恐ろしさ。それで〈星のブルース〉みたいな、孤独なんだけど、生きている限りはステキな人生だっていう……その3つのテーマがこのアルバムに広がってるような気も……知らない間にそうなってる気もしますしね」
ですね。だから切迫感とか悲壮感とは違う孤独だという気もしてます。じゃあ昔の自分が抱えていた孤独感はどんなものだったと思います?
「昔の自分が抱えてた孤独感……どれぐらい前ですか? 時期によって違うんですよ」
ではイエローモンキーの初期で。
「イエローモンキーの最初の頃は、やっぱり自分の……存在意義、ですよね。まだ夢もつかんでいないし、認められてもいないし……コンプレックスだらけだし。それがある段階で〈太陽が燃えている〉とか〈JAM〉とか、ああいう曲で周りとコミュニケーションがとれるようになったから、売れてったんだと思うんですね。そのコミュニケーションをとることによっての快感だとかも覚えていったし、感じていったし。で、今度はそれが満たされてしまった時の孤独感……」
満たされたから出てきた孤独感。
「うん。夢がかなってしまって、なんか……。あとはねぇ、暗示にかかってるとこもあるんですよね。ちょっと〈悲しい楽曲とか、暗い楽曲の方向に行きたいなぁ〉って。そういうの好きだったから。で、そういう曲を作ろうとすると、もう心底そういうモードに入ってっちゃう。それで成功しているのに失敗した、みたいな……すっごいヘンなスイッチがあったんですよ」
うーん。それはツラいですよね……。
「で、今度はそっから音楽的な理想が高くなっていって、『やっぱりこのままではダメだ』って。『いや、現状維持で続ければいいじゃないですか』っていう意見もあるんだけど、『いや、そうじゃない』って言って、『もっと!』と。ああ、あと……一番感じたのは97、98年かな。ロックが変わっていった時代だったと思うんです。フェスが始まったり」
そうだ、イエローモンキーがフジロックに出たのも97年ですね。
「97年か……あの挫折も大きかったし。もっとスキルをつけないと、若いバンドも面白いバンドいっぱい出てきて、っていう。やっぱ今でも、30代半ばのミュージシャンって1回考えるというか……〈これでいいのかなあ?〉というか。結婚する人も多いでしょ? そのぐらい。で、今度は奥さんがいろいろ、ああだこうだ言ったりとか、子供がワーワー言い出したりして、両立できなくなってくるんですよね」
ああー、両立ね! それはなかなか難しいですよね。家庭とロック……。
「うまくしている人もいますけどね。それは日米問わず……もう永遠の課題じゃないですか?」
そこで吉井さんは新たな孤独感を覚えはじめたってことですか? だって、そのしばらくあとから『at the BLACK HOLE』のデモを作りはじめるんですもんね。
「やっぱり古いロッカーだから、遊ぶじゃないですか? まあ今のロッカーも遊んでる人は遊んでますけど(笑)」
はははは。
「だけど、家庭を持つと、やっぱり遊んでるわけにもいかない、でしょ? でも『遊んで遊んで!』ってなるわけでしょう? 僕は遊んでないですけどね」
そうですか?
「ふ(笑)。でもそういうのって、やっぱりバランス崩れると思うんですよね、すごく。イエローモンキーの後期は、僕に関しては、そういうものもありましたね。それが……爆発してしまって、〈もう遊ばない!〉って決めて。〈ちゃんとしなきゃ〉……ってなると、今度は妖しい吉井和哉はいなくなるわけじゃないですか? それは、他人は〈はあ~?〉と思うかもしれないけど、これ、大問題なんですよ! 僕にとっては」
うん、うん……。
「大問題だったんです! うん……だからそういうので、ヘンな話、僕はバランスが崩れたんですよね……何でこんな話しなきゃいけないんだ? 俺が話してるのか(笑)」
いや、大事な話ですよ。うん。
「でもほんとに、そういうのにリアリティがあるんですけど……いや、バレてもバレても、そのたびに謝って謝って、ずーっと永遠に浮気を繰り返している人だっていますよ」
まあ、そうですよね。
「欧米のバンドとかも、ヒストリー本読んでいるとそういう時期が必ずあるわけですよね? これって、音楽――こうやって『ロックだ!』って、『イェー!』ってやってる限りは、ほんっとに逃れられない環境の問題というか(笑)。で、それによって解散したバンドは、ほんとに星の数ほどいるじゃないですか? ダメになったアーティストもいるし。でも、そっから自分はソロ時代に入ってくんですけど、もっとバランスがとれなくなっていくんですよね。もう引退しようと思ったわけだし、『at the BLACK HOLE』の時は」
うんうん。そうでしたね。
「でも唄いたい自分がいるし。つうか、唄うことしかできない、音楽しかできない自分がいて。ほかに仕事を見つけようにも、もう見つかんないですよ。30代後半だから! 職安行ってもないですもんね? 仕事も」
ああ、「ガソリンスタンドで働きたいと思った」って言ってましたよね。
「そう、言ってたんですよね。だって『音人』の、今でも忘れないけど、あの『WHITE ROOM』の時の下田ロケ!(註:2005年4月号表紙巻頭) もうバックナンバー買って見てみろ!っちゅう話じゃないですか? ギッスギスんなってガリガリで! 酒も呑んでないし!」
樋口「あの時の吉井さん、怖かったなあ」
「え、怖かったですか? ……ああ、でもそうでしょうね。自分もあの時の吉井和哉、怖いですもん。同じ人とは思えないですよ、ほんとに」
ヒリヒリしていた感じ?
「まあ、そうですね。しかも何で下田なのよ!?っていう(笑)。今思うとぴったりのロケーションなんですよね。やっぱり、その……ある意味、こう、ね、いろんなものから除外されるというか、人気(ひとけ)から離れるというか……。そのあとは『39108』の、お寺の本堂ね!(註:2006年11月号表紙巻頭)」
ははははは!
「そう! 『音人』の表紙見れば、当時の僕のモチベーションがわかりやすいよ!(笑)。本堂だよ、お寺の!? 『39108』の表紙が!!」
(笑)108だから。じゃあ今回はどんな写真なんですか?
「今回もまた幽霊みたいにされましたよ。もう死んでましたね! 死んだあとみたいに、もう霊になったりして! 言ってましたよ、『吉井和哉もついに霊の域に達してきた』みたいな(笑)」