もしかしたら自分のLOVE & PEACEを唄ってるのかも。自分が今、愛と平和に満たされてるっていう
あ、そうそう、ちょっと前の吉井さんといえば、「ACIDWOMAN」では〈バラが泣くんだろ?〉〈都会が嘘をつくんだろう?〉とか、都会やロックの喧騒から離れようとした自分をもう一度けん制し直してる気がするんですけど。
「ああ、でもね、それは〈ビルマニア〉で唄っちゃったなと思ってて。これ、単純にそういう女性に対して唄ってる歌ですよ。僕のことではなくて、寂しい……と言ったらヘンだけど、けっこう多いんですよね、そういう女性って。たとえば結婚というものをものすごくおかしなふうに考えてたりとか、自分のために結婚をしない女性もいるらしいし、子供だけ欲しいと言ってくる女性もいるらしいし。それこそ、ね? 結婚をしたはいいけど、すぐに離婚したみたいな、罵り合って終わった、みたいなのとか……ある意味そういう人たちのアシッドな部分っていうんですか? 脳内麻薬がなんか邪魔してるんでしょ?みたいな」
うん。そういう歌だと。
「……と。まあ、自分のことではないと言いましたけど、自分の中に女王がいるんですよ、ずっと。花魁(おいらん)が。まあ昔から言ってると思うんですけど。そいつに向けて唄ってるのもあるし……ちょっとよくわかんない歌ですね、これ」
ね? ちょっと交差してる感じがありますよね。じゃあ今は孤独感と向き合うのはもう前提だという認識に至ってるんですか?
「うん、孤独感っていうか……そんなに孤独じゃなく感じてきたんですよね、自分のことは」
ああー、そうですか?
「うん。状況は変わらないかもしれないけど、自分はべつに孤独ではない。じゃないと〈LOVE & PEACE〉とか唄えないと思うし、〈FLOWER〉とか。だって、すごいたくさんのファンがいるし、べつに……ね? その、私生活でうまくいってないわけではないですし、釣り仲間もいるし、全然孤独じゃないじゃん、と。だから、ふざけて、よく『1週間レコーディングして、1週間釣りして』って言ってんですけど、それはすごく大きいことだったんですよね。自然に触れ合って、大の大人が魚釣ってガッツポーズしているんですよ? ボートで奇声あげて! そういうのはすごい重要だったですね、今回」
じゃあ今の状態も肯定的に捉えられてるんですね。時おり〈寂しいな〉と感じることがあるとはいえ。
「あるけど。それはクセですからね」
クセね。クセと認識したわけですか?
「そう(笑)……だから……ネガティヴ・シンキングだったんですよね。まあ、ひとことで言っちゃえば、ずーっと。それがポジティヴ・シンキングに『VOLT』ぐらいから変わったの」
ああ、そうなんですね。あのー、最近、〈気〉を気にしてるじゃないですか。
「はい。気マニア(笑)」
気の持ちようということを。そこは経験や年齢を重ねる中で、現状を肯定的に捉えられるようになってきたということなんでしょうか。
「かもしれないですね。それこそ〈LOVE & PEACE〉で唄ってますけど、いま日曜日の朝が来て、歯を磨いて『おはよう』って言えてるんだから、全然孤独じゃないし。もしかしたら、『日常のそういうLOVE & PEACEを唄った』って(自分は)言ってますけど……自分のLOVE & PEACEを唄ってるのかもしれないですね。自分が今、愛と平和に満たされてるっていう」
ああー……満たされてますか。
「満たされてますね、すごく。だから〈FLOWER〉の歌詞でも顕著ですけど……〈相も変わらずにこんなんだ/だけど毎日はそれなりにgoodだ〉ってのは、それのアンサーだと思うんですけどね。で、〈自分の血を愛せないと/人を愛せないとわかった〉っていうのは、ほんとに、自分の今の気持ちですから。すべてを――ルーツ、キャリア、親、先祖、すべて愛さないと、周りの人たちを愛せないなっていう」
そうですか。あの、血に関しては、どうしてそういう考えに至ったんですか。
「……(宙を眺めながら思案顔)……何ででしょうね? 自分で、こういう楽曲が……アルバムが完成しそうだったから、少し安心したのかもしれないですね。そのバランスが心地良くなりだしたというか。〈自分のやりたいことがもう鳴らせてるし、これはひとつ感謝の気持ちを述べとこう〉っていうのはあるかもしれない」
じゃあ吉井さんは自分の血のつながりを今、ポジティヴに捉えてる?
「うん、ポジティヴに捉えられてますね……まあ、もともとそんなネガティヴに捉えたこと、なかったですけど。ただ、やっぱり……父親が若くして死んで」
はい。前にも聞きましたが、旅芸人をされていたというお父さんが。
「うん。まあ今はべつにもう、こういう年齢だから、そんなことは、ね……遠い昔のことになってるけど。やっぱり幼少の頃っていうのは、それでガタガタ崩れることもあったし」
うん……。
「それで……そっから孤独になってったんですよね、僕は。で、母親ともべつに仲良くなかったし。まあ悪くはなかったけど…………〈あまり母親の愛情を感じたことないなぁ〉というふうにスタートしたのがヤングの頃じゃないですか。で、実際、現在のヤングでそれの真っただ中の人たち、いっぱいいるじゃないですか? でも自分の場合はそれはもう終わって、母親とももう仲良くなったし。しょっちゅうメールしてハートとか入れてるし(笑)」
(笑)そうですか。
「〈母ちゃん元気でなハート〉みたいな……母ちゃんとは言わないですけど(笑)。〈ともこさん元気でハート〉、そこ、ちょっとよそよそしいんだけども(笑)」
あはははは。
「だから……僕、『39(108)』の頃に母親と1回大ゲンカしてるんですよね、初めて。それはプライマル・スクリームっていう、その母親に怒鳴る――『どうだったんだ』『俺はもっとこうしてほしかった』と言うことによって心のキズが治るっていうのをやったんだと思うんですよ。すべてがそれで癒えたというか……」
プライマル・スクリームはジョン・レノンも受けた治療法ですね。それからお母さんとの関係も良好になっていったんですか。
「そうそう。そうですね。なんか〈そんなことで変わるんだな、人間性って〉と」
そうですか。あと、前にライヴで言ってましたよね? おじいさんが歌を唄われてたって。
「ああ、そうですね。おじいさんつうか、母親のおじいちゃんですね。長唄の先生だったって」
じゃあ、ひいおじいちゃんか。それが今頃というか、数年前にわかったんですね。
「そうそうそう。そのケンカしたあとぐらいの……まさに『VOLT』の頃にわかって。そういうきっかけもあるかもしれないですね。それで〈あ、自分にはそういう《和》な血が流れてんだな〉というか……だから〈じゃあ、もっと大事に出してかなきゃ〉とか。〈好きなものは、そんな洋モノ一辺倒じゃないんだな〉とか」
つまり、そこで日本的なことをやる照れ臭さも――。
「そうです。それと、アメリカに行ったりして感じたブルースと、イギリスに行ったりして感じた、ああいう、ね? ちょっと石畳な、古い、カビ臭い感じとか。そういう各国のルーツみたいなものが自分の中でつながったんですね。そこで、もともと持っている日本の血っていうのをほんとに消化されて、自分で演奏して、全部匂わせたい!っていうのが本心ですね〈UK USA JP〉というのは、そういう歌詞なんです。〈プリーズ プリーズ プリーズ〉のね」
なるほどなぁ。そういういろいろな要素が複合的に重なり合って、それで〈あ、俺ってこうだったんだな〉とわかってきたということですか。
「うん……よく最近いうのは、『中学生のアルバムだなと思う』って。金のある、予算と機材のある中学生のアルバムだって(笑)」
(笑)中学生のような青い気持ちで?
「そうですね。もうほんと、好きなものを――ミック・ロンソン好き!とか、リッチー・ブラックモア!とか(笑)」
そのまんまだと。
「そのまんま。ピンクレディー! クイーン!とか。まあ〈それしかできないな結局〉っていうのが……うん。〈自分はそんなレベルの高い人間じゃないし、こんなぐらいだから、このぐらいのことやろう〉っていうのがスタートです」
こんなぐらいの人間。
「うん。理想がすごい高い時代があったんですよ。もう理想と現実のギャップっていうのを知ったんじゃないですか? でも諦めたわけじゃないんです。そのほうが楽ですね。楽だし、はるかにいいものができますね。理想が高い時よりも!」
そうですか。まあ理想に向かって一生懸命頑張るのも美しいとは思いますけど――。
「そうですね。つねに、今でも、理想は高く持ってますけど。あとは、テクニカル的なことのコンプレックスもあったんですよ。自分は唄がヘタだとか、ギターがヘタだとか。学歴がないとかね」
学歴がない(笑)。
「まあ、それはいいんだけど(笑)。でもヘタでもカッコいい人いっぱいいるんだし、世の中に。うまい人にはないものがお前にはいっぱいあるじゃないか!って思ったんです、ある時。そう思ったら、じゃあ演奏も自分でやってもいいじゃん、もう味で勝負しよう!って。そのかわり、この自分が歌とか演奏で出てくるヒダっていうのは、これを経験してるからじゃないと出てこれないヒダだろうから……それだけはスペシャルなはずだから。そこをちゃんとしよう、というのは重要でした」
そうですね。だから特に今回は吉井さんが演奏してるからこそ、こういう音になるんだろうなと思いました。
「うん。昨日も若いミュージシャンと仕事したんですけど……THE BACK HORNとかフジファブリックとか。あとは(斉藤)和義くんとか。特に(山内)総ちゃんが『絶っ対にこうは弾けない!』と。『いや、弾けるよ、総ちゃんなら!』と言っても『弾けない』って。うますぎるんですよ。世界に通用するギタリストだから(笑)」
吉井さんは?
「僕はもう、北区では通用するかもしれない(笑)。十条では通用する」
(笑)子供の頃に住んでた十条ね。ともかく〈自分はこういう人間なんだな〉というのがわかってきたんですね。
「うん、とくに最近思いますね。〈自分はもっとこうだ〉と思ってたけど、そうじゃないっていう。やっと気づきだしたかもしれないですね」
じゃあ、さっき理想って話がありましたけど、自分が思ってた像と実際とは、どう違ってたんですか? 思ってたよりもすごかったとか、意外と〈あれ?〉だったとか。
「……いや、思ってたよりも良かったと思いますよ。ほんとに自信がなかったですし、つねに。うん……だから…………(思案中)……」
自信がなかった。
「うん……何でですかね? べつに全然、謙遜してないですよ? ほんとに、ほんとにそう思う。あとは〈俺すげえだろ〉っていう人を、あんま好きじゃないし(笑)。ま、おばあちゃんにそう教わった。『あんまり偉ぶるな』とか『あんまり自分をすごいと思うな』みたいな」
「天狗になるな」みたいな?
「あ、でも天狗の時もあったな。ははは!」
(笑)ありましたか。
「(笑)…………天狗の時はあったけど、それは〈自分の力でこうなってる〉っていう天狗のなり方じゃなかったですね。なんか……」
えーと……つまり周りの状況的なものが盛り上がっていたからのもので?
「そうそうそうそう。〈いま運がいいぜ俺!〉みたいな天狗の在り方です。だから……自信がついた頃にはもう50か、みたいなことですね(笑)」
まだ先ですか(笑)。ネガティヴ・シンキングの一端でしょうか。
「そうかもしれないですね……うん。でも……ほんとに、ほんとに静岡の田舎の少年だったわけですよね。それがあるバンドに誘ってもらって、ツアーやるようになって。で、そのバンドが解散して、自分はまだ19だったから、もうちょっとバンドやりたいな、もうちょっと遊んでたいな、と。バンドで食ってこうとは思ってなかったですから、そん時は。イエローモンキーで唄いはじめて、やっと〈これしかない!〉〈これを極めたい!〉って思ったんですよね。だから〈ああ、これ楽しいから、これでいいか〉みたいな。ある意味、そこは……エスカレーター式っていうの? エレベーター式? どっちだっけ?」
エスカレーターでいいと思います(笑)。
「エスカレーター式に(笑)、わりといいところまで連れてってもらっちゃったんで。だってヴォーカリストになった1年後ぐらいにもうデビュー決まってたわけですからね。しかもヴォーカル探してたのに!」
もともとはそうでしたもんね。じゃあそのへんは勢いのまま来ちゃった感じですか。
「(笑)〈勢いのまま〉って…………まあ忘れちゃったのかもしれないけど。まあイケイケな時代もありましたからね。〈俺ら無敵だ!〉みたいな時期もあったでしょうし。でも……なんか……〈オシャレじゃないなあ!〉とかね」
オシャレじゃない?
「なんか、今イチ、〈20万枚みんなより足りないなあ!〉とかね(笑)。ははははは!」
20万枚足りない!(笑)。なんかスケール大きいなー。
「はははは! イエローモンキー時代とかね。『スピッツとかは100万すぐ超えるんだけど、うちらは超えねえなあ、やっぱ! 何だろうなあ?』みたいな」
満たされないものが。
「『俺が歌、ヘタだからかなあ?』とか、そういう、つねに。『ベーシストの髪型がクシャクシャだからかなあ?』とかね! 『あの人の顔がいかついからいけないんだ!』とかね(笑)」
ヒーセさん、かわいそうです(笑)。
「とか言ってみたりもしたけど。『何だとぉ!?』とか言われたけど。『あんたの顔が怖いから売れないんだよ!』って言ったりして(笑)。『そのロンドンブーツがいけないんじゃないか?』とかね。ちょいちょい、そういう失態があるから! ……失態じゃないけど」
ははははは!
「ちょいちょい、そういう、なんか……その時代でクールと言い切れないものがあるから。でも! 今の若い子たちは、あの時イエローモンキーが、ある歌番組の生放送の特番で、ロンドンから今帰ってきたばっかりで、全員毛皮のコート着て、ね? 古着の、シド・ヴィシャスのTシャツ着て〈楽園〉とか〈BURN〉とか唄ってるのが、ほんと死ぬほどカッコよかった!って言ってくれるの。〈じゃ、それでいっか!〉みたいな(笑)。〈それが良かったんだ〉っていう」
なるほど。そうですか。でも当時は何かしら不満があったんですね。
「不満っていうか、そこはコンプレックスですよね。そういう格好して、それを言っちゃうってことは。ケンカ売ってるわけじゃないですか? だから圏外被害者意識がすごく強かったバンドなの。とくに僕とヒーセね!(笑)。兄弟はまったくなかった。被害者意識は。加害者だから、どっちかというと! エマとかは(笑)」