2023年2月10日、東京・荻窪に新たな音楽スポットが誕生した。その名は、「TOP BEAT CLUB」。ここの代表を務めるのはTHE NEATBEATSの眞鍋“Mr.PAN”崇だ。今から3、4年前。Mr.PANがライヴハウスを作ろうとしてるらしい、という話は人づてに聞いてはいたが、まさか本当にオープンさせるとは正直驚きだった。ここ3年近く、音楽をはじめとするエンターテインメントは、新型コロナウィルス感染症による影響をモロに受け、それこそ閉店したライヴハウスも数々あった。にも関わらず、ある種無謀ともいえるプロジェクトを立ち上げ、それを実現させたのだ。彼を突き動かしたものは一体なんだったのか。まだコロナ禍が終息したとは言えないが、さまざまな規制が緩和され、徐々にライヴハウスに日常が戻りつつある今。改めて眞鍋に「TOP BEAT CLUB」に託した思いを聞くべく、荻窪へと向かった。ロックンロールの魔力にとりつかれ、夢を現実にした男の物語。
(これは『音楽と人5月号』に掲載された記事です)
東京の西のほう、新宿から中央線で約10分の距離にある街・荻窪。ラーメンは有名だが、中央線沿線の中では、映画や演劇、音楽といったカルチャーの匂いがあまりしない場所だ。駅から歩くこと10分。幹線道路沿いに立つ建物の1階にカウンターメインのカフェ、2階にギャラリーとしても使えるフリースペースを併設したレコード・ショップ、そして地下1階にライヴスペースが広がる音楽複合施設として「TOP BEAT CLUB」はオープンした。
地下のライヴスペースは、眞鍋が敬愛するビートルズゆかりの地、英国リヴァプールにあるキャバーン・クラブさながらの煉瓦造りのアーチ型天井の内装が施され、ヴィンテージ機材も常設と、かなりのこだわりが窺える空間となっている。これまで自身のスタジオを作ったというミュージシャンの話はよく聞くが、ここまで本格的なライヴハウスを作ってしまうバンドマンがかつていただろうか。そもそもなぜ彼は、こういう場所を作ることを夢見たのか。それはかれこれ30年近く前に遡る。
「パンク大好き少年で、地元の和歌山で中学生の時からバンドはやってたんやけど、最初はほんとちょっと女の子にモテたいなぐらいのレベルでしかなくて。でも高校入って、いろんなジャンルの音楽をいっぱい聴くようになって、最終的にエルビスとかチャック・ベリー、あとビートルズやローリング・ストーンズっていう50年代、60年代のロックンロールが自分の中心となる音楽になっていったんだよね。で、19歳の時に1年ぐらいイギリスに行ったんだけど、日本でロックンロールを聴いてた時とは全然違う、初めての感覚、刺激がいっぱいあって。ロンドンで最初に遊びに行ったのがゴシップス(註:ロンドンカルチャーの中心地・ソーホー地区にある人気クラブ)だったんだけど、そこでトロージャンズのギャズ・メイオール主宰の〈Gaz's Rockin Blues〉っていうイベントがやっててね。そこで〈何これ! 誰!?〉、〈このレコードどこで売ってんの?〉っていう、自分が聴いたことない、ロカビリーとかパンクとかスカのマニアックな曲がガンガン鳴ってて、もうびっくりして。これまで自分が聴いてた音楽は表面だけっていうか、すごい浅瀬だったんだなって。この海はもっと深いぞっていうのを目の当たりにしたんだよね。しかも、そういうイベントが平日でも、街のあちこちのパブやクラブでやってて、どれも中身が濃い。だから〈今日はあそこ行かなあかん〉ってもう毎日のように忙しかったよね(笑)。そうやって生活と音楽が乖離してない、日常として音楽がある。そういう文化が根付いてることが、まだ19歳の自分には何よりも衝撃だったし、今考えるとあの時に、ほぼ自分の人生のすべてのことが決定したかな」
とくに何か目的があったわけでもなく、同級生に誘われるまま訪れたイギリスで触れた現地の音楽シーンに刺激を受けた眞鍋は、ロンドンのパブやクラブで行われるライヴやDJイベントに通うようになる。そしてそこで知り合った人間を介し、THE KAISERSというマージービート・スタイルのバンドの音源制作にお手伝いとして参加することになった。その現場となったのが、のちにミッシェル・ガン・エレファント(シングル「ゲット・アップ・ルーシー」/1997年作)や、ザ・ホワイト・ストライプス(『エレファント』/2003年作)らもレコーディングで使用したToe Ragスタジオだった。THE KAISERSとの出会い、Toe Ragスタジオでの経験が、その後の彼の人生に大きな影響を与えていく。
「ロンドンでパブとかクラブに通ってる中で、レコード屋とかレーベルやってるヤツに知り合って。その中のひとりを通して、THE KAISERSってバンドにも出会ってね。それがTHE NEATBEATS結成のきっかけになるんだけど、当時ロンドンで出会った人たちがやってることを全部やりたい!って、そう思ったんよね。それは別に音楽で食っていこうとか、これを仕事にしたいっていうより、これをやって生きていきたい!って感じ。たぶん、それが今の自分の活動の源流というか、TOP BEAT CLUBを作ろうと思った、そもそものきっかけなのかな」
THE KAISERSの作業を手伝ったことをきっかけに、ヴィンテージ機材によるアナログレコーディングを知り、マージービートにのめり込んでいった眞鍋。その後、マージービートを代表するビートルズの聖地、リヴァプールを訪れ、さらにイギリス滞在のあと、そのままロックンロールのルーツでもあるブルースの本場、アメリカ・シカゴへも向かった。そうやって自分の好きな音楽が生まれた場所へ行き、直に現地のシーンを体感し刺激を受けていくなかで、自分のやりたいことがはっきりとしていった。マージービートのバンドをやりたい。レコード屋をやりたい。Toe Ragスタジオで録音したい。そして、キャバーン・クラブで演奏したい――これが彼の夢となったのだ。
日本に帰国した眞鍋は、まず大阪で50、60年代のロックンロールやルーツミュージックを扱う輸入盤ショップをやりはじめ、その後、1997年にTHE NEATBEATSを結成し、レコード屋とバンドという夢を叶えた。THE NEATBEATSは、結成翌年、初音源をアメリカのレーベルからリリースし、年間100本近く、国内外で精力的にライヴを展開していく。そして、2002年にはメジャーデビューを果たした。
「メジャーでやりはじめたのが、30歳ぐらいなんよね。やっぱり30歳は……これは俺の持論なんやけど、バンドマンってだいたい30ぐらいで一回岐路に立たされる。周り見ててもそうやし、俺も実際そうやった。で、メジャーでやりはじめて、周りにいっぱい人がつくようになると、まあ天狗になるっていったらあれやけど、ちょっと楽するというか、自分でやらんでもまあええか、みたいな感じにもなって。でもそうすると、自分のやりたいことがやれてるというよりは、いろんな人の意見という名のフィルターかかったりして、どんどんほんとの自分かどうかっていうのもわかりにくくなったりして。だんだん〈俺はこういうことをしたかったのか?〉〈メジャーバンドとして生活したかったのか?〉とか考えるようになって……そこで、別にメジャーバンドをやりたかったわけじゃない。いろんなこと全部やりたい、それで生きていきたいと思ってやってきたんだって思い返して」