2003年のニューヨーク
文=清水浩司
2003年12月にオレはニューヨークに行った。
もう仕事を辞めてから2年近くが過ぎようとしていた。ライター業に行き詰まり、小説家になるんじゃー!とぶち上げ、当時やってた珍妙な編集ユニットをぶっ壊してから早2年。時間はあまりにも早く流れていった。「三十代・無職」というどうしようもない肩書で迎える年の瀬も2回目となると、さすがに身に沁みてお寒いものがあった。
ニューヨークに行ったのは気晴らしのためだった。小説は書いていたが、ずっとひとりで篭っているとなにがなんだかわけがわからなくなり、途中で放り出してここに逃げ込んだのだ。異国の地でなんか突破口でも見つかるといい。そんな期待も当然のようにそばにあった。
ニューヨークは思ったよりも暖かかった。暖かいのを幸いに、オレは街を歩き回った。セントラルパークでスケートに興じる子供たちを眺めた。ミュージカルなんぞを鑑賞した。地下鉄で怖そうな地区に出向き、スリルを愉しんだ。オレは歩きながら、ここはいい街だな、と感じていた。誰もオレのことなど気にしない。別に日本にいても誰もオレのことなど気にしないが、日本にいた時は常に息苦しかった。日本にいると、否が応でもさまざまなプレッシャーが襲ってきた。心配してかかってくる友人からの電話、知人の成功、投げ出した小説の続き、まわりの目線、世間体、減り続ける貯金残高、オレはこれからどうするんだどうなるんだどうにもならないのか……ニューヨークにいると、そんな重圧を忘れられた。簡単なことだ。オレはものの見事に現実逃避に走ってたってわけだ。
美味いスープ屋を見つけた。いかすFM局も見つけた。地図なしで街を歩けるようになった。このままなにか別の仕事でも見つけて、この街で新しい生活を始めるのはどうだろう。オレは街を歩きながら、そんなことを夢想した。そしてそのなかに潜り込んでしまおうとした。
ほんのつい1ヵ月前の話だ。
吉井和哉は2003年の7月にニューヨークに行っていたという。いや、YOSHII LOVINSONは行っていた、というのが正しいのだろうか。おそらくそれは本人にもまだよくわかっていないような気がする。自分が吉井和哉なのか、それともYOSHII LOVINSONなのか。
『at the BLACK HOLE』——暗闇の真ん中で。彼のソロデビュー作に、オレは不思議な親しみを感じ取ってしまった。イエローモンキーを活動休止させて3年。三十代・無職。セカンドキャリア夜明け前。2003年のニューヨーク……スケールは天地ほど違えど、オレはこの作品が、どうも他人事とは思えない。
オレはアルバムの音に耳を傾けた。アルバムに渦巻いていたのは、不安でいっぱいのひとりの男の——正確に言うならば「ロックスターを追い続けた自分」(本人執筆のアルバム紹介文よりの抜粋)の——むせるほどの妄執だった。
彼は唄っていた。「未来がぼんやりでも/おびえるものなど何もない」。果たしてこれは誰に唄っている言葉なのだろうか。「先のことなど考えない/夏は遊べばいい/好きなことだけするのがサマーデイ」。本当にそんなことができていたら、口にする必要なんてあるのだろうか。「まだBABY耐えるんだ/まだ頑丈じゃ/頑丈じゃない」。では、いったいいつまで耐えればいいのだろうか。
言葉も音も、声も想いも不確かに震えていた。それは時には強がり、うそぶき、自らに言い聞かすようでありながら、時には脆く、取り乱し、あられもなかった。ある部分はわかってほしそうに剥き出しになりながら、ある部分では剥き出すことを畏れるように、ぼかし、かわされ、煙に巻こうとしていた。乱れていた。混濁していた。なにもかもが、まるで整理がついていなかった。
震えるロックンロール。
聴き終わってすぐに出てきたのはそんな言葉だった。おかしな作品だと思った。ここでの彼は、例えばソロ一作目の奥田民生がそうであったように、ひとりの生身の男として開き直り、ぶっちゃけることができていない。またはかつての彼がそうであったように、フィクショナルなロックスターとして役を演じ切ることができていない。吉井和哉な部分とロビンな部分、プライベートな自分とパブリックな自分、不安に震える現実の自分とそれを許せないでいるかっこつけたがりの理想の自分が、からみあい、もつれあい、結局バランスを取ることもできずに噴き出してしまっている。
そう、噴き出してしまっているのだ。オレは思った。彼は明確なビジョンをもって、このソロキャリアをスタートさせたわけではないだろう。半分生身・半分虚構というYOSHII LOVINSONというアーティストネームに象徴的なように、彼はキカイダーにも似た自らの体質に正面から向かい合い、悩みに悩み、震えに震えた結果、ついに耐えきれず走り出すことを選んだのではないか。
ありがたいな。
聴き終えた後、そんな想いがオレを包んだ。不安に震えていたのはオレだけではなかったのだ。かっこつけようとして、だからこそ自分にがんじがらめにされてしまった、自意識過剰の三十路男はオレだけではなかったのだ。
窪田空穂という人が詠んだ短歌がここにある。
「何をさは苦しみてわれのありけるぞ立ちて歩めば事なきものを」
結局オレはニューヨークに居続けることができなかった。そしていま東京でこうして文章を書いている。結局オレも不確かなまま、こらえきれずに噴き出してしまっている。
立ちて歩めば事なきものを——それが真実かどうかはわからない。ただわかるのは、彼が立ちあがって歩きはじめたこと。3年間の自己内問答を経て、歩き出すことを決意したこと。暗闇は暗闇のまま、外へのドアを開いたこと。
それがオレには、とても嬉しく思えたのだ。