2017年6月9日。Theピーズ(当時)は30周年記念のライヴを日本武道館で行った。あの日、あの場にいた人、誰もが幸せだった。きっとこれからも、このバンドはゆっくり続いていくんだろう、そして共に歳を重ねていくんだろう、そう思っていた。しかしその後、バンドは休止状態に。はる(大木温之/ヴォーカル&ベース)は1人ピーズとして弾き語りを続け、徐々にひとりずつ新しいメンバーを加え、ラストはほぼ隠居状態だったアビさん(安孫子義一/ギター)が現れ、4人で〈ピーズ〉として再出発した。しかしその矢先、はるの食道がんが発覚。バンドどうこうより、まず元気でいてくれ、と祈る中、無事に復帰を果たす。そしてコロナ禍で思ったように活動できない中、『2021』という5曲入りのミニ・アルバムを完成させた。このような状況が3年近く続くのに、何も伝わってこない状況に業を煮やし、メンバー全員にここまでの歩みを聞いた。
(これは『音楽と人』1月号に掲載された記事です)
2017年6月9日に行われた日本武道館ワンマン後、ピーズは、二度、今の形で再始動しようとした。が、一度目は、はるが食道ガンになり、休まざるを得なくなった(2018年夏〜19年夏)。二度目は、無事手術を終えたはるが、意外なほど早く復帰し、ライヴの予定をいくつか発表したところで、世の中がコロナ禍になってしまった。
その期間を引くと、現在の体勢が整うまでに、2年ちょっとかかった、ということになるが、その間、心配していたファンは多かったのではないかと思う。というか、自分がそうだった。休止以降、シンちゃんことドラムの佐藤シンイチロウは、the pillowsの活動に専念。アビさんは、一回目に脱退した時と同じように、人前から姿を消した。そしてはるは、それ以前からバンドと並行して行っていた〈1人ピーズ〉(ひとりで行う弾き語り)と、トモフスキーとコゴローズ、そしてサード・クラスのサポートとして、ライヴを継続していた。
「50過ぎの身体にムチ打ってでっかい音出せんのは、これがいいチャンスだなと思ってさ。音量を下げていかなきゃ、唄う時の音程もとれなくなってきてるから。でも武道館までは、でかい音でやらしてもらおうかな。なんでもここを区切りにできるチャンスだと思ってさ」
「そういう耳の問題で演奏がきっちりやれなくなってる。だから力まかせな、青春まかせな音の出し方を改めなきゃね。今までは、デカい音を出してたまたまひとつになった時に〈ああ、気持ちいいね〉だったけど、武道館終わってからは、ひとりひとり演奏して〈あ、そうきたか。じゃあこっちはこう行こうかな〉って、アンサンブルみたいなことを始めていかないと、この先ライヴやれねえなと、俺、思うんだよね」
日本武道館直前のインタビューで、はるはそう言っていた。ここを区切りにして新しいやり方に移行するのだから、当然、「はい、じゃあ次のライヴからそうします」というわけにはいかない。表立った活動をいったん止めて、根本的なバンドの体勢の立て直しから、始めなければいけないのだろう。と、その時は納得できたが、ずっと、はるは、ひとりでやっていた。バンドを再スタートさせる気配は、微塵も感じられない。気になって何本かライヴを観に行ったら、調子はとても良さそう。MCで「もう1年近くバンドやってないけど、悪くないな」なんてことまで口にして、オーディエンスのブーイングを浴びていたこともあった。
そして休止から約1年後。はるは、まず、自分の14歳下のベーシスト、みったんこと岡田光史を参加させて〈2人ピーズ〉と名乗るようになり、さらに半年後には、みったんより10歳下のドラマー、myeahns(マヤーンズ)の茂木左を引き入れて〈3人ピーズ〉とした。この時はさすがに混乱した。いや、〈3人ピーズ〉って、元々3人じゃん、ピーズ。えっ? じゃあ、「武道館を区切りに」というのは、メンバーチェンジも含めてという意味だったの? 武道館の前のその発言を、果たしてはるは憶えているだろうか。ということから、彼への質問を始めた。
大木「それは、武道館終わったら一回バンドを休みますよ、って、言い訳してたんだと思う。休まざるを得ねえだろうなって。みんな疲れてる感じだったから。このあとはないな、って」
なんでそんなに疲れてしまったんでしょう? と聞くと、「たぶん、依存症同士のズレだね」という答えが返ってきた。
大木「(シンちゃんも)依存症みたいなもんだからね。自分もそうなんだろうけど、武道館をやる5年前あたりから、アルコールは断ったんだよ。止めたの。そのまま今まで続いてる。でも、治ってないと思うんだよ。脳味噌が何かに依存する癖は治らないもんだって、お医者さんも言ってたよ。ただ、ひとりはそこで酒を無理矢理やめたけど、ひとりはまだ呑んでる。そのズレって演奏にも出るんだよね。3人バンドだと特に。だからやっぱり一緒にできなかったね……でも、向こうにしてみたらさ、『おめえもまた呑めばいいんだよ』って話だと思うんだよ。いつもアビさんは基本的にシラフで、俺とシンちゃんだけが酔っぱらってたから。10年以上そうだった。だからアビさんは、俺より早くから、もうやめたかったと思う。武道館までは付き合ってくれたけどさ」
現にアビさんは、武道館を終えたあと「もう3人でやることはないだろう」と思っていた。
安孫子「俺はそう思ってたよ、これで終わりだな、って。逆らえない流れってあんじゃん? ヤバいからなんとかしよう、この流れを止めようとかじゃなくて、逆らわずに流されていこうとするところが俺はあるから。俺がそう決めたとかじゃないですよ? ただ、そうなっていくんだな、って流れを受け入れて、そのまま流されようと思った。でもはるは、何らかの形で音楽をやっていくだろうな、って」
話を戻す。はるは、ひとりで活動を始めてから1年後、2018年の3月から、みったんをライヴに参加させる。
大木「最初は、第二の人生を始められる喜びがありましたよ。バンドのリーダーはさ、メンバーが喜んでくれる新しいネタを提供できるかなって、いつも思ってるの。リハに出かける時に、気持ちがワクワクしたり、しんどかったり。ひとりだとそういうのがなくなるから、すごく楽だった。でもへたっぴだからね。だんだん〈こんなへたっぴな自己満の弾き語りは、そう長くは続かないな〉って思うようになった。やっぱ俺には、バンドへの憧れがずっと基本ラインにあるんだよ。弾き語りの人だけじゃいられない。で、1年後にみったんで、1年半後に茂木ちゃん、ぐらいの感じか」
ちなみに、自分がヴォーカル&ギターに回って、新しいベースを入れるというスタイルは、90年代のピーズでも、一時期試していた。今回もそうだ。ギターを入れて、自分がベースを弾く選択肢は、彼の中にはなかったようだ。
大木「ギターのコードワークなら、自分がやったほうがいいよ。今でもそれは思ってる。7thのニュアンスとか、カッティングの軽い柔らかさとか、そういうのは自分でやったほうが、ベースよりも全然表現できる。あと、T字路s観て〈ああいうやり方もあるんだな、アコギにベースのルート音だけ合わせるのもありなんだな、なるほどな〉と思った」