30年前、〈勝ち〉は東京にしかなかった。一方で田舎には〈負け〉しかなかった。今ではもう違うのかもしれない
今ではもう違うのかもしれない。
しかし今から30年近く前、音楽というのは勝ちと負けが鮮やかに表れる世界であった。〈勝ち〉は売れることであり、ヒットであり、メジャーとの契約だった。〈負け〉は売れないことであり、才能がないことであり、バンド解散であった。勝ちと負けとは言い換えるなら、成功と挫折ということであった。
それで言うと、当時〈勝ち〉は東京にしかなかった。一方で田舎には〈負け〉しかなかった。レコードデビューしてサクセスするためには東京に行くしか手立てがなく、さまざまな事情で東京行きを諦めた人は、イコール夢を諦めた、勝敗の決するリングにあがるのを諦めた人であった。他方、東京に出て頑張ったもののうまくいかなかった人、デビューを果たせなかった人がたどるのは〈田舎に帰る〉というのが常道だった。夢のタイムリミットとしての30歳限界説。無論そのまま東京で足を洗う人もいたが、夢を失った者に都会の風は冷たいものがあった。
こうして書いてみるとまるで時代錯誤の劇画か演歌のように思えてくる。しかし永ちゃん(矢沢永吉)がBIGになることを目指して夜行列車で横浜に降り立った60年代後半はもちろん、CDバブルの90年代においてもリアルな東京vs地方の構図は引き続きそういうものであった。当時音楽だけに限らず、ポップカルチャーに夢を見た者にとって、地方で〈勝つ〉方法というのははたして何かあっただろうか? 多くの若者が東京に憧れ、東京に向かい、そして散った。いくら凄腕であれ地方に残った、または地方に帰ってきた人は夢の成就ができなかったという意味で、誰もが敗北者であった。そういう感覚が私の中にあったからだろう。
「なに、これ、全然メジャークラスじゃん!」
「広島にもこんなすごい人たちがいるんだ……」
東京から広島へ。この敗北者たちの街でも音楽は平然と鳴らされているのか……。こうしたあまりに失礼な上から目線は、私が当時都落ちのような感覚を味わっていたからこそ出てきた言葉であり、私は負け組に転落した自分自身をどうしていいか持て余していた。もう以前と同じ音楽の聴き方はできないような気がしていた。
そういう意味で言えば、ロストエイジもまた敗北者だった。
五味岳久、拓人の兄弟と岩城智和のスリーピース。ここに行き着くまではいろいろあったようだが、そういうことも含め私は何も知らなかった。『僕等はまだ美しい夢を見てる ロストエイジ20年史』(blueprint刊)を読むまでは、彼らのことは名前くらいは知っているという状態だった。
地元・奈良で2001年に結成した彼らは、少しずつ活動の範囲を広げ、2007年にメジャーデビューを果たす。しかし周囲の高い期待にもかかわらず思ったように売り上げが伸びない。メンバー同士の軋轢、納得できないプロモーション活動、なんでこんなに人がいるのかよくわからないレコード会社スタッフ……数々のストレスの中、彼らは2011年、自身のレーベル〈スロート・レコーズ〉を設立することを決意する。故郷の奈良に拠点を置いた自主的な活動へとシフトする。
彼らはメジャーデビュー以後も奈良を離れることはなかったとはいえ、メジャーからインディへ、東京発信から奈良発信という変化は、自分と同じ都落ちであり、ランクダウンであり、まごうことなき敗北であるように感じられた。
しかし、ここからロストエイジは浮上していく。インディペンデントに活路を見い出し、根気強くそのシステムを築き上げていくことで、音楽的にも精神的にも充実の一途をたどっていく。それは時代の変化に対応しているとも言えるし、むしろ彼らが先頭に立ってその変化を牽引してきたとも言えるものだ。
いつのまにか〈負け〉が〈勝ち〉に変わっている。〈勝ち〉の中身が変わっている。はたして音楽において売れることが本当に勝ちなのか? 今のネット時代、売れるというのはどういうことか? メジャー/インディ、東京/地方の格差が霧消したこの状況で、信じられるものは何なのか? そして音楽を作る上で真に幸せな状況とはどういうものか? ……彼らは活動のひとつひとつで自分たちの仮説を立証していく。それが結果、私の身体にこびりついた古い常識を粉砕し、本のへりにポストイットの行列を作っていった。
それくらいこの本を読みながら「うーん」と唸らされたところは多かった。その中でも特に彼らの考え方が、私が別口でお会いした方の活動とあまりにシンクロしていて、あっ!と驚かされた部分が2つほどあった。
ひとつは五味が自分たちの音楽活動を農家の活動と重ねて見ている箇所である。
「スロート・レコーズがやっているのが街の八百屋なら、自分たちロストエイジがやっているのは野菜作りだ。日々の暮らし、その中にあるバイオリズムがゆっくりと音楽になっていく。ある程度育てば収穫して出荷する。それが八百屋から街の人たちの手に渡り、誰かが美味しいと思ってくれるなら、そこには不確かなものが何もない。」(124ページ)
先鋭的なパンクの面々と農業の接近は、近年顕著に見られる動きである。本書にも出てくるex.銀杏BOYZの中村明珍(元チン中村/初の著書『ダンス・イン・ザ・ファーム 周防大島で坊主と農家と他いろいろ』ミシマ社から発売中)と安孫子真哉は現在農業を営んでいるし、昨年GEZANのレーベル・十三月が恵比寿リキッドルームの屋上に「十三月農園」を開いたのは記憶に新しいところだ。野菜を作るように音楽を作り、野菜を売るように音楽を売る。ものづくりと社会との〈不確かなものが何もない〉共存。そこでは創作と流通、両方に対するパラダイムシフトが提示されている。
その中で私は以前、明珍さんと話す機会を持った。明珍さんは広島の隣りの山口県の周防大島で現在「中村農園」という農園を営んでいるが、活動の根底にはパンクのDIY精神が息づいていると言っていた。特にパンクには「ディストロ」という文化があり、既存の流通を使わず仲間同士助け合ってCDを販売する風習があるという(明珍さんいわく、農業で言うとJAがメジャー流通だとか・笑)。大手のシステムを頼らず、自分たちの作ったものを、自分たちの仲間と共に、自分たちが信じられる人たちに届けていくという、ある種の閉鎖的経済圏の構築。この〈顔の見える関係性〉を作ることは、確かに東京より地方のほうが有利かもしれないと思わされるところがあった。