怒髪天とフラワーカンパニーズ。数年前、バトンを繋ぐかのように、それぞれ日本武道館のステージに立ち、多くのバンドマンに夢と希望を与えた両者。紆余曲折の道のりを辿りながらも、何よりもロックバンドであることを優先し、30年以上活動を続けてきた彼らが、一昨年より開催してきた〈ジャンピング乾杯ツアー〉。その特別編として、〈清水音泉 presents ジャンピング乾杯10周年記念公演〉と題し、10月4日に大阪城野音にて行なうライヴは、コロナ禍によって楽しみを抑制されてきたロックバンド好きにとって恵みの雨のごとき、楽しさと喜びをもたらしてくれるだろう――と仰々しく書いてみましたが、生きててよかった夜を探し続けながら、人生を背負って大はしゃぎする、この2バンドによるライヴが楽しくないわけないでしょ。ということで、勝手に開催直前盛り上げ企画として両バンドの代表者による対談を敢行。互いの絆を深めた(?)10年前の〈ジャンピング乾杯〉のことをはじめ、ツアーの思い出写真&エピソードとともにライヴへの意気込みをお届けします!
公演案内に〈怒髪天の増子とフラカンの小西が編み出した「舞台上からジャンプして乾杯」する必殺芸「ジャンピング乾杯」の誕生10周年〉とありますが、まずは、〈ジャンピング乾杯〉とはなんぞや、というところから話をはじめましょうか(笑)。
増子直純(怒髪天/ヴォーカル)「ひとつだけ訂正したいことがあってさ。俺と小西(ミスター小西/フラワーカンパニーズ、ドラム)が共同で考えたわけではなくて、あれは俺が考えたの」
グレートマエカワ(フラワーカンパニーズ/ベース)「OTODAMA(註: OTODAMA〜音泉魂〜。大阪のイベンター清水音泉主催による夏フェス)の打ち上げ会場が、ステージのある畳の宴会場で。そこに出演者だったり、スタッフが来るたびに乾杯するんだけど、『ただ乾杯しても面白くないから、ステージからジャンプしながら乾杯しよう!』って増子さんが言って」
そうやって始まったのが〈ジャンピング乾杯〉。
増子「や、これ自体は、骨折の2年くらい前の打ち上げからやってたのよ」
ということは、誕生10周年でなく、〈ジャンピング乾杯で骨折〉から10周年というわけですね(笑)。
増子「そう、正確に言うとね(笑)。だから小西が考えて、骨折したんなら自己責任なんだけど、小西はただ、『お、来た来た!』って呼ばれて、俺と一緒に肩組んで飛んだだけで(笑)。ただ間違いなく〈ジャンピング乾杯〉のピークはあの年の小西骨折の時ではあるんだけど」
見事に足の骨を3本折った小西さんでピークを迎えたと(笑)。
増子「まあ、それもあって〈ジャンピング乾杯〉は禁止になってね。それからはローリング乾杯に」
ええっと、ローリング乾杯ってどういうことですか?
増子「『カンパーイ!』って言って、グラス持ったまま前転」
マエカワ「当然、ボタボタこぼして中身が全部なくなるっていう」
増子「もうドリフだよ(笑)。『飲み物を大事にしてください!』ってPTAからクレームが来るやつ。でも、毎回、畳をビシャビシャにしてるのに、よく会場出禁にならなかったよね(笑)」
でも2010年のOTODAMAに、フラカンは出てないんですよね。変名でテントステージには出演されてましたが。
マエカワ「そうそう。あと、鈴木(圭介/ヴォーカル)と竹安(堅一/ギター)で弾き語りをやったりしたんだけど、小西は、打ち上げ司会に任命されててね」
小西「その年の最初の出演者発表の時に、〈打ち上げ司会!〉って発表されて。もうそっからずっとプレッシャーがあって。それまで司会なんかやったことなかったし、いきなりできるわけないじゃないですか」
でも、お客さんの前じゃなく、出演者およびスタッフしかいない打ち上げの司会ですよね?
マエカワ「それで緊張してんだから(笑)」
増子「けど結局司会せず、っていうな」
小西「ですね。僕、打ち上げ会場にいたの10分ぐらいですもん」
増子「確か遅れて来たんだよな。物販の片付けとかしてたんだっけ?」
マエカワ「そうそうそう。しかも打ち上げ会場ついた時点で泥酔だったの。この人」
坂詰克彦(怒髪天/ドラム)「それで足元がちょっとおぼつかなかった(笑)」
小西「片足で着地する時に、踵を上げたまま行ったのがダメでしたね」
やはり打ち上げ司会のプレッシャーもあって、会場でけっこう呑まれたんですね。
マエカワ「だって19時ぐらいに竹安がわざわざ『小西くん、ちょっと呑み過ぎだけど大丈夫?』って俺に報告しにきたから(笑)。本当にすごかったらしいよ。だからまあ、自業自得だね」
増子「乾杯したあとも、『ま、大丈夫でしょ~』って言いながらしばらく呑んでたんだよね。でもそのうち尋常じゃないくらい足が赤黒くなってさ」
マエカワ「足の甲がソフトボールみたいになって。これはやばいぞ!って」
小西「で、病院行ったら『レントゲン撮らなくても、これは間違いなく折れてます』って言われて。その瞬間、それまで肩借りて歩いてたのに、急に立てなくなるっていう(笑)」
増子「骨折って聞いて、気持ちも折れちゃったんだ(笑)」
マエカワ「病院に付き添ったスタッフから電話がかかってきて、『骨折れてました』って言われて。その4日後くらいにライヴがあったから、『どうしようかな。でもやらんわけにはいかないしなあ』って言ってたら、まずはOKAMOTO’Sのレイジが『俺叩きますよ!』って言ってくれて。そしたら、他にもいろんなドラマーが『俺もやるよ』と。で、OTODAMAに出てないんだけど、The Birthdayの事務所の社長もいて、『キュウはその日空いてるのかな?』ってなり、しまいには、当時SMAの会長だった原田さんが、『(奥田)民生のスケジュール聞いてみるか?』って言ったくれたりして」
また別の盛り上がりを見せたと(笑)。
マエカワ「そう(笑)。結局4時くらいまで打ち上げをやってたのかな。で、次の日の昼にホテルのフロントに降りて行ったら増子さんが来て、『俺が悪いんじゃないんだけど、なんかごめんな』って謝られて」
小西「ただ僕が酔っ払ってやったことなのに……その節は多大なるご迷惑をおかけしました!」
そのOTODAMAの1ヵ月後に予定されてたアルバムツアーは、サンコンさん(サンコンJr./ウルフルズ)とクハラさん(クハラカズユキ/The Birthday)が、ドラムを叩いたんですよね。
マエカワ「キュウちゃんに20本、サンコンに4本やってもらって、ツアーファイナルでようやく小西が戻ってきて」
そのアンコールでは、クハラさんとサンコンさんも加わって、トリプルドラムで演奏しましたよね。
増子「すごくおいしいよね。まあ結果として、フラカンのツアーにひとつトピックができたし、小西も注目されたし、いいことづくめだったな」
マエカワ「しかも復活したツアーファイナルが、たまたま小西の誕生日で。運命ってすごいんだなって思ったもん」
小西「本当にありがたかったですね。でも日高さん(日高央/元BEAT CRUSADERS、現THE STARBEMS)には、『いやあ、小西くんいない時のフラカン、最高だったよ!』って言われましたけど(笑)」
マエカワ「だいたい、あの年の〈OTODAMA〉は、ビークルの散開ライヴでもあったんだよね。だから本当ならビークルが主役だったのに」
増子「全部、小西に持ってかれたっていう。あそこが、小西の人生における最大ピークだったんだな(笑)」
くくくく。そして、この2バンドは、去年、一昨年と一緒にツアーを廻ってます。
増子「ずーっと取っておいた切り札っていうかね。老後の楽しみじゃないけど」
マエカワ「それこそ、10年くらい前から一緒にツアーやりたいって話は出てたんだけど、まだそれぞれのワンマンを大事にやっていく時期でもあったりして、先延ばしになってて」
それぞれ武道館のステージにも立ち、それを経て満を辞して一昨年からスタートしたと。
増子「そう。で、どうせやるなら恒例化させて、毎年やろうって。まあ、社員旅行みたいもんだよ」
マエカワ「今年ももちろんツアーをやる予定で、大阪では 10 周年記念日当日(笑)にやろうとし てたんだよね。でもこういう状況でやることが難しくなっちゃったし、来年に持ち越しかと思ってたらね、清水さん(清水音泉・番台)が、10月4日に大阪城野音でやらないか?って。野外だし、ガイドラインに沿った形でやりましょうよと言ってくれて。そこでやらん手はないってなってね」
しかも〈O.Y.Z NO YAON〉という何年か前に城野音で行われていたイベント名を冠していて。これは、3年やって赤字により終了、と番台みずから言ってたイベントですよね。
増子「そうそうそう」
マエカワ「出てる自分らで言うのもあれだけど、けっこういいメンツだし、入るかなあと思ってたんだけど、そうでもなかったっていう(笑)」
増子「やっぱり名前が悪かったのかなって清水さんに言ったらさ、『え、覚えてないんですか? 名付けたの増子さんですよ』って」
本人が全然覚えてなかったいう(笑)。
増子「やっぱ呪われてるのかな?」
マエカワ「あの宴会場の呪いはあるかもね(笑)。あんだけビールこぼして、増子さん大暴れしてるから」