本来であれば、本日7月4日と明日7月5日で、10-FEETが主催する〈京都大作戦2020〜それぞれの一番 目指しな祭〜〉が開催される予定だった。やむなく中止となってしまった今年の京都大作戦。その一報が届いたあとに行なわれた、『音楽と人』7月号での、TAKUMA(ボーカル&ギター)へのインタビューをここに掲載する。彼がバンドマンとして、そして人として大切にしている思いをあらためて感じてもらいたい。
こんな時だからこそ彼と話がしたかった。京都大作戦が開催中止の発表をした直後、TAKUMAは久しぶりにブログを更新した。そこには大作戦中止にまつわる思いとともに「自分が落ち込んでいる時こそ、誰かの助けになりたい」という自身の気持ちを訴え、それをもとに仲間を支援していく呼びかけを長文で綴っていたからだ。だがそのブログの数日後、彼は再び長い文章を掲載した。余命はあと1ヵ月という宣告を受けた闘病中の父のことが、彼の家族写真などとともにアップされていたのだ。嘘のない人だけど、ここまで家族のことを書こうと思ったのはどうしてなのか。読んでいて苦しくなるような赤裸々な話もたくさんあったが、彼がこの長い文章で言いたかったことは、結局彼がずっと唄い続けてきたことと同じだった。そしてさらに先日更新されたブログでの悲しい報告を、僕はまだ読むことができないままでいる。
(これは『音楽と人』7月号に掲載された記事です)
自粛が続いてますけど、そちらはどうですか?(5月中旬に取材)
「ずっと自宅にいて気が滅入ってるっていうのもあるんですけど、それが長すぎて感覚が麻痺してるところもあるような気がしてます」
もはや日常が懐かしいですよね。
「おそらくみんなも感覚が麻痺していることに気づかないぐらいになってるんじゃないかなって。例えばお店へご飯食べに行けないとか、こういう取材もそうですけど、直接会って話せないとか、もはや当たり前になってしまってるじゃないですか」
今後も新しい生活様式が求められるみたいだし。
「そんな日常生活の中でも、自分が大事にしてきた仲間とかこういう人との繋がりとか、そういうものを今まで以上に大事にしたり、深めたり、面白がってみたり、とにかくポジティヴに向き合うことをせなあかんなって思います」
そんな中、京都大作戦は早々に中止の発表をしました。
「正直に言えば僕らはギリギリまで待ちたかったんです。やっぱり待ってくれてる人たちのために最善を尽くしたかったんで。だからギリギリまで開催できるかどうか可能性を模索したいっていう話はしてたんですけど、同じ時期に開催するイベント、それは音楽だけじゃなくて京都の行政が段取りしてるものとか行事とかイベントが中止を宣言したのもあったし、ギリギリまで開催を粘るっていうのは難しかったです」
TAKUMAくんの中で今年の京都大作戦はどういうお祭りにしたいと考えていましたか。
「これまでの京都大作戦を振り返ってみると、いろんな思い出深いシーンがいっぱいあるんですけど、それらは作ろうと思って生まれたシーンじゃないというか。ただひたすらガムシャラにやってたら結果的にそうなった場面が多かったんですよ。だから今回も〈うまくやろう〉とか〈カッコいいところ見せよう〉とか思わず一生懸命、とにかくガムシャラにやりたいと思ってました。でもそういうガムシャラさって、年齢とか経験を重ねるほど難しくなっていくことのような気もするんで、とにかくそのことだけを考えてやろうって思ってました」
すごくわかります。自分もこの歳になると一生懸命やらなくてもできちゃうことが多かったりするし。
「そうなんですよねえ。だから毎年京都大作戦ってものをやるたびにそのことに気づき、またそれを忘れ、さらにまた思い出させてもらって……みたいな繰り返しですね」
そしてその発表を受け、長いブログを更新しました(註:『京都大作戦2020の中止と仲間やこれからの事』)。
「あれは京都大作戦のことだけでなく、新型コロナウイルスについて僕が感じてることを、そんな大層な書き方はしてないですけども、ああいうふうに書けば、自分の思ってることや感じてることが伝わるんじゃないかと思って、無心で書きました」
あの文章の中でものすごくTAKUMAくんらしいなと思った言葉があるんですけど、それはまたあとで触れるとして、あのブログを書くうえで、大作戦を楽しみにしてた人たちに向けての使命感みたいなのはあったんでしょうか。
「それもあったと思いますけど、ただ自分の中にある気持ちを出したかったっていうのが大きいと思います。10-FEETのTAKUMAとして存在している自分と、普通に家でボーっとしてスイッチがオフになってる自分っていうのが、一緒になってきてる感じがあって。ずっと自宅にいるからだと思うんですけど」
オンとオフの境目があやふやになっていると。
「そういう今の自分だからこそできることのひとつになってたんじゃないかと思うんです、あのブログは。あと最近よく思うのは……というか昔からよく言ってることなんですけど、たとえ明日死んじゃっても後悔ないような生き方をしなきゃいけない、でもそれをすぐ忘れてしまう。だからそのことをもっともっと忘れないようにリアリティをもって、明日自分がいなくなったらってことを考えて行動したい……っていうことが、あの長文を書くにいたった理由にもあると思います」
忘れたくないことを自分に言い聞かせるために。
「あとは京都大作戦が中止になったことで残念に思ってる自分の気持ちをけっこう赤裸々にというか、とても具体的に書いてるんですけど、その内容ってさっきも言うたようにオンとオフがあるとしたら、オフなほう、つまりプライベートな自分がいくらか出てると思うんですよ。それって家族とか友達といる時は、自分も弱音を吐いたりとかカッコ悪いこととか、何なら誤解を生みそうな内容でも友達やったら言えることとか、そういう愚痴みたいなものなんですけど」
そうですね。特にTAKUMAくんはそういう面を出そうとしない印象があります。
「だけどあのブログは10-FFETのTAKUMAとしてやってるものだから、いつもは〈ここまで書いたらどうかな〉とか〈こんなこと書いたらカッコ悪くない?〉とかもっと考えるんですよ。そういう自分の心のオンオフとか、書く内容の表現のサジ加減とか、そういうのはいつも考えぬいて書いたり話したりするんですけど、今はそういうことじゃなくて、まず第一に一瞬一瞬を一生懸命、全力で生きるってことを大事にしたらああいう長文になり。しかも〈友達にやったらこれくらい書いてもええかもしれんけど、そもそも俺そんな友達おらへんやんけ〉みたいな感じにもなってきて(笑)」
友達にもそこまで心の内を明かしてないかもしれない、と。
「〈ほないつ言うねん?〉みたいな感覚にもなって。〈もじもじ恥ずかしがってんと書いたらええんちゃうんかい!〉みたいになったところもあります」
それでも僕はあのブログが、読んでくれる人のためというか、その人たちを励ましたり応援するために書かれたものだなって思ったんです。TAKUMAくんはどこまでも相手の気持ちを一生懸命考えて生きてるんだなって。そういう人だから今このタイミングで話をしたいと思ったんですけど。
「僕も話したいことだらけですよ。だからこの取材の話が来た時、やったー!って思いましたもん」