東京少年倶楽部の曲を聴いていると、ヒリヒリと心が痛む瞬間がある。そして無意識のうちに頭の中には夕景が浮かび、自分の青春時代に思いを馳せてしまう。それは、松本幸太朗(ヴォーカル&ギター)が綴る歌詞に、10代の頃の自分と決別できない葛藤や、後悔みたいなものが滲んでいるからだろうか。6月17日にリリースされたファーストミニアルバム『空の作りかた』もそうだし、それ以前に作られた楽曲もそう。10代の頃の彼が、どこかしらに必ず潜んでいる気がするのだ。だとしたら、21歳の彼はなぜ10代の自分に縛られたままなのか。その真意を紐解くべく、松本に話を聞かせてもらった。
まだインタビューの経験が少ないせいか、時折言葉に詰まりながらも、自分の中にある思いを丸ごと伝えようと一生懸命に向き合ってくれる姿が印象的で、その姿は歌詞から想像していた彼の人間像とも一致していて、妙に安心してしまった。 不器用で、真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐな彼は、今後楽曲を通じてどのように自分を表現していくのだろう? 彼の話を聞きながら、このバンドのこれからがいっそう楽しみになると同時に、彼の音楽に対する強い思いには思わず胸を打たれた。というのも、今の自分があるのは、ある音楽に出会ったからだという。「音楽はずっと生き続ける」。当たり前のことではあるが、その素晴らしさに再び気づかせてくれた時間だったな、と改めて思う。
初登場なので、まずは結成した経緯から聞かせてください。
「はい。えっと、包み隠さずに言うと……」
包み隠さずお願いします(笑)。
「(笑)僕が滋賀県出身で、まだ地元にいた頃、WOMCADOLEの樋口さん(樋口侑希/ヴォーカル&ギター)から路上ライヴに誘われて……僕が唄ってる時に、今のドラムの古俣(駿斗)と出会いまして」
古俣さんはお客さんとして松本さんの歌を聴いていたんですか?
「あ、そうなんです」
すごい偶然というか、巡り合わせですね。
「〈踏切〉って曲をやった時に、古俣がいいなって思ってくれたらしくて……そのあと一緒に遊ぶことになって、古俣が連れてきてくれた仲のいい友達っていうのが、ベースの三好(空彌)で。その出会いが京都だったので、京都結成ということにしてるんです。で、3人で朝まで語り明かしたら……なんか、バンドになってたんです」
あははははは! 急展開にもほどがある(笑)。
「前触れもなんにもなく、思うがままに結成したというか(笑)」
よっぽど気が合ったんでしょうね。で、気になるのはやっぱりバンド名で。京都で結成したのに「東京」って入れてるじゃないですか。これは反骨精神なのか、それとも違う理由があるのか気になったんですけど。
「反骨精神とかはなかったんです。なんでかわかんないんですけど、バンド名を決める時に東京少年倶楽部ってバンド名と、村上春樹さんの『カンガルー日和』っていう小説の名前の2択だったんですよ。バンド名の由来とか聞かれることも多いんですけど……僕はカッコつかないタイプの人間なので、そのままのことを言いますけど……3人でご飯食べながら話してる時に、なぜか東京少年倶楽部って浮かんで」
バンドを結成された経緯もそうですけど、松本さんはわりと感覚的に物事を決めていくタイプですかね。
「そうですね……自分がやることに意味をつけてから行動するよりは、まず思うほうに向かっていくっていうか」
勢いで結成して、そこから本腰入れてバンドをやっていこうと思えたきっかけは何だったんですか?
「3人とも音楽がとにかく好きだっていう共通点はあったので、好きのままここまで来たというか……でも、右も左もというか、アンプの使い方すらわかってなかったので、まずは毎日スタジオに入って、その使い方を覚えるところから始めましたね」
古俣さんと三好さんも初歩的なところからのスタートだったんですか?
「古俣はドラムをやったことがなくって……バンドを組んだ次の日に初めてドラムスティックを持ったんです」
それだと、途中で心が折れそうな瞬間がたくさんあったと思うんですけど……。
「めちゃくちゃありましたね。同い年の人とかと一緒にライヴをやっても、やっぱり圧倒的に僕らは……音楽に優劣はないんですけど、自分が伝えたいと思ってる部分が伝わってない感はすごくあって。このままじゃだめだって、めちゃくちゃ思いました」
伝えたいことはあるのに、技術の壁でどうしても100%伝えられてないって感覚があったと。
「そうですね。どうすれば自分の中にあるモヤモヤとか、そういう感情をちゃんとした形で吐き出せるんだろうって……」
モヤモヤとかを何らかの形で放出したいって思いは昔からあったんですか?
「音楽を始める前からありましたね。でもどうやって出せばいいかがわからなくて、悩んで、暗くなる時期とかも多かったんです。そんな時に、フジファブリックの〈茜色の夕日〉に出会いまして……人それぞれ同じ曲を聴いたとしても、自分が置かれている環境とかで受け取り方は全然違うと思うんですけど、僕の中ではこの曲が衝撃的で……これは自分のためにある曲だとも思ってしまって」
自分のため?
「よくわからないんですけど……〈これだ〉って思ったし、この曲が音楽を始める上での最初の一歩になった気がしていて」
こじつけじゃないんですけど、東京少年倶楽部の曲を聴いてると、それこそ頭の中に夕景が浮かんでくるのが不思議だなと思ってたんです。歌詞も、どこか松本さんが10代の自分と決別できない感じが伝わってくるので、自分の10代の頃も思い出して懐かしい気持ちにもなることがあります。
「まさに、自分が10代の頃に見た情景とか、その時に感じてたことが、家で1人籠って歌詞を書く時に出てくるんですよね……。『懐かしさを感じる』っていろんな人から言ってもらえるんですけど、そこは意識してこうしようってしてるわけではないんです」
無意識に10代の頃の感覚が呼び覚まされるんですね。
「はい。たぶん悪い意味ではなく、根に持っているんです。10代の頃のことを。自分の心の底にある部分というか……15歳から17、18くらいの時の思い出だったり。それが今の自分の土台にもなっていて」
人格形成って言ったら大袈裟ですけど、15~18歳頃の出来事が、考え方や曲作りなどに強く影響していると。
「はい。一番強烈な時間がそこだったので」
具体的に当時どんなことがあったんですか?
「僕、高校を辞めてまして。学校で勉強して就職することが正しいとされてる世の中で、そこに疑問を感じたんです……その頃は滋賀に住んでたので、学校をサボって草津の湖岸沿いの場所に寝そべって、琵琶湖と空を1日中眺めながら過ごしてたこともあったり。その時、〈こっちのほうがずっと価値があるのにな〉って思ってて……みんなが足並みを揃えて、せーのっていう学校側の合図で勉強したり、そこで優劣つけられて、競争させられて、その上でなりたい職業に就く人生に何の意味があるんだろうと……。自分がこの世に生み落としてもらってから、人生なんて本当にちょっとしかないじゃないですか。その中で、しかも10代の時の一番いい時間の大半を、その競争につぎ込まなければいけない理由ってなんだろうって考えてましたね」