『音楽と人』の編集部員がリレー形式で、自由に発信していくコーナー。エッセイ、コラム、オモシロ企画など、編集部スタッフが日々感じたもの、見たものなどを、それぞれの視点でお届けしていきます。今回は、ある映画を通して気づいたことを若手編集者が綴ります。
想定外の事態が起こると、不安になり、いつも気に留めていなかったものが気になってしまうことや、焦りが生じて、冷静な判断を下せないことがあると最近よく思う。今はとくに、いろんな情報が飛び交うし、日に日に状況も変わっている。何が正しい情報で、どんな行動をとるべきなのか。自分の目で見て、頭で考えなければいけないけれど、それは難しいと実感する日々だ。とくに自分が疲れていると、判断する力自体が鈍ってしまうし、いつもならうまくできることもできなかったり。それは、私自身、世間がウイルスに脅かされる直前に、ちょっと怖い目に遭って実感したのだった。
詳しくは書けないのだけれど、その出来事に遭遇した直後は、驚きと恐怖を感じたと同時に、よく考えれば回避することもできたかもしれないのに、なぜできなかったのだろうか……と、反省し、自分をとてつもなく責めそうになった。正直、人に相談するのも勇気が必要だったけれど、信頼できる複数の友人に思い切って打ち明けてみると、冷静に受け止め、それぞれが見解を示してくれたうえに、アドバイスをくれたのだ。おかげで心に抱えていたおもりが外れ、身軽になれた。胸のうちに置き続けていたら、今ごろ自分はどうなっていたのだろう。
ただ、相談したうちのひとりと、今、連絡がとれなくなってしまった。私のことを考えて、はっきり叱ってくれた友人。きっと、必死にアドバイスをしてくれたけれど、友人自身も驚き、私が受けたショックに耐えきれなかったのではないかと想像している。実際は、本人に聞かなければわからない。だから勝手に断定はできないけれど、本当のことをさらけ出すことで、誰かを傷つけてしまったりするのかもしれない、と思った。相手の気持ちまで考える余裕がなかったな、と、申し訳ない気持ちが湧き上がったけれど、こればかりは、よく考えれば誰も悪くはないのではないだろうか。ふとそんなふうに気付いたことで、変に深刻に考えるのをやめて、できるだけ平静を保つよう心がけてみることにしたのだった。
そんな中、ある映画のことが頭に浮かんできた。高校生の頃に一度観た『フォレスト・ガンプ/一期一会』という作品で、トム・ハンクス演じる主人公のフォレスト・ガンプの半生を描いたものである。フォレストは、生まれつき人よりも知能指数が足りていないけれど、純粋な心で真っ直ぐに生きているところが魅力だ。さらに、人との出会いを通して、さまざまな場面に遭遇しながらも、それをすべてチャンスに変えていく。ちなみに、この作品のキャッチコピーは、〈人生はチョコレートの箱、開けてみるまでわからない〉。これはフォレストのセリフでもある。生きていると何があるか、実際に自分で箱を開けてみないとわからない。いいことも悪いことも起こる。そんな予定調和ではいかない人の生きる道を、チョコレートというなんとも愛らしい響きの単語に例えているところが素敵だ。
6年ぶりにこの映画を観て感じたのは、自分の力ではどうにもならないこともあるから、決して焦ってなんとかしようとする必要はないということだった。時間が経てば街の景色が変わるように、人の心も変わっていく。だから、知らず知らずのうちに解決していくことだってきっとあるのだろう。さらに、誰かと離れても、そのぶん新しい出会いがあったり、自分を取り巻く環境だって変化するはずだ。それでも、縁があれば、今は離れてしまっていてもいつか再会することだってあるのではないだろうか。人に限らず、何事もいつどんな巡りあわせがあるのかなんてわからない。だから、決して現状や、過去、そしてこれからのことに対して、悲観的になりすぎてはいけないのだろうな、とも思うのだった。
思ってもみなかったものと対峙したり、うまくいっていたはずのことが今まで通りにいかなくなってしまった時、目の前が急に真っ暗になって、これまで歩いてきた道が間違いだったのかと後ろを振り返りたくなることもある。何がいけなかったのかと、自分の中で原因を探し当てて、もう手遅れだなと落胆してしまうなんてことも。でも、起きてしまったのは仕方がないと言ったらあれだけど、それは確固たる事実なのだから、受け入れていかないと始まらない。また、嵐が必ず去っていくように、どんなことも一時的なものに過ぎない。だから、すぐに前を向いたりすることが難しい時もあるけれど、フォレストのように、何事も誠実に向き合い、自分の気持ちに対して素直に生きていけば、自ずと何かが変わるのではないだろうか。今はそれを信じて、ちゃんと足元を固めながら、自分のペースで歩いていきたいと切に思う。
文=青木里紗