唄うことがこのバンドで僕に与えられた役割だし、そこにアイデンティティがあったから、自分からギブアップできなかった
逃げちゃダメだと、責任を背負い込んでたというか。
「うん。今の世の中、逃げることができなくて、いじめられて、心を病む子も多いじゃないですか。僕もそうでした。弱音を出さずに抱え込んじゃうと、良くない方向にしか行かないんですよね。それにあの頃の僕は、周りを誰も信頼してなかった。こうやってまた唄えるレベルまで回復したのも、庄島さんや隼人さんとの縁や繋がりがあってできたことですけど、当時の自分じゃ、手を差し伸べてくれる人さえ突っぱねてたでしょうね」
心配されても「お前に何がわかる!」って?
「そうです(笑)。いや、本当に良くない空気でしたよ。ちょっと調子良かった時に『今日、声出てたじゃん』って声かけてくれたメンバーに『お前全然わかってないな。今日のどこが良かったん?』って刺々しく絡みだしたり……」
最悪だなあ。
「酷いですよね。優しさもくみ取れなかった。ライヴが終わったあと、関係者やゲストの方が『今日良かったじゃん』って言ってくれても『ありがとうございます』って言いつつ、心の中では『お前、どこ見てんねん!』って(笑)」
そんな状態じゃ、誰も止められませんね。
「見えなくなっちゃうんでしょうね、ひとりの世界だと。でももっと頼ったらいいのにって話ですよ。ひとりで背負えなんて誰も思ってないのに」
しかしなんでそこまで頼れなかったんでしょうね。
「ナメられるのが嫌いな性格なんです(笑)。それに、メンバーだからこそ頼れなかったんです。唄うことがこのバンドで僕に与えられた役割だし、そこにアイデンティティがあったから、そこだけは頼りたくなかったし、自分からギブアップできなかったんですよ」
なるほど。しかしツアーが中止になって、活動休止を宣言したとはいえ、まさか1年以上も動きがないとは予想もしなかったですよ。
「ヤバかったです。表には言ってなかったですけど、あれからしばらく人前でしゃべれなかったですからね。ちゃんとした場でしゃべるってなると、急に喉が詰まってきて、声が出なくなるっていうか、声が出るかなって不安が襲ってくるんです。だから長くしゃべれないし、息継ぎもできなくなるし」
かなり重症ですね。
「だからこれじゃ唄う以前に、日常生活すらままならないから、休止してから3ヵ月くらい、何もしてませんでしたね。メンバーとも会わなかった。整体とかボイトレに通いつつ、ずーっと『ウォーキング・デッド』観てました」
ははははは!
「シーズン8を1週間で見終わりました(笑)。それくらい音楽とはかけ離れた生活をしてて。で、春になって、スタジオ入ろうぜって連絡が来たんですよ。どこまで唄えるだろうと久々に唄ってみたら、これが全然回復してなくて。1フレーズ唄ったら、すぐ声が裏返ったり、かすれたりして」
たぶん周囲も、さすがに3ヵ月あったら回復するだろう、と思っていたでしょうね。
「それが全然でした。声の病気ってストレス性のものもあるし、緊張性のものもあるし、プレッシャーから解放されて、休めば治るって考えのお医者さんもいらっしゃったんですけど、僕はそういうタイプじゃないらしくて」
メンバーの反応は?
「みんな何も言えなくて、黙ってましたね。これは想像以上にヤバい……って(笑)」
思ってた以上に深刻だ……みたいな空気に。
「そうですね。でもやけに優しかったです(笑)。この日までに間に合わせようって目標がないリハだったから、まあ今出なくてもいいか、みたいな気持ちにさせてくれたんですよね。今日は10点の声しか出なかったけど、明日11点出ればいいだろ、みたいな。そういう感覚をみんなで味わった。だからこいつらは、声が出ない俺をもう知ってるし、ここですぐに100点を出さなくてもいいんだなって。そう思えたことがけっこう大きくて。メンバーもそういう受け入れ方してくれてたんで。そこはすごく助かりましたね」
バンドに対する考え方が変わったかもしれないですね。
「全然違います。楽しいです。リハスタが楽しいっていうか。それまで、自己採点が常に100点の状態で、メンバーに歌を聴かせなきゃと思ってたんですけど、そんな気持ちもまったくなく。たぶん、flumpoolのヴォーカルとしてそこにいなきゃいけない、って思ってたんでしょうね。そうじゃなくて、友達同士で、別にライヴもない中で『曲できたぞ』ってリハに入る、そんな気持ちに戻れましたね」
あの……僕、このバンドが苦手だった、ってところから取材してるじゃないですか。
「そうですよね(笑)」
それはflumpoolという存在が、デビュー当初、自分たちの意思も薄くて、バンドのようでバンドじゃなかったから、そこが苦手だったんです。
「わかりますよ」
でもいつからか、バンドでありたいという意識がとても強くなってきた。だから結成から10年を数えるバンドなのに、今話に出たような楽しさよりも、バンドであるために一人ひとりがこうじゃなきゃいけない、っていう責任感のほうが強くなってたのかもしれないですね。
「そうなんですよ。昨日、元気(尼川元気/ベース)と一緒にいたんですけど、全然気まずくないんですよ。休止前はね、なんか気まずかった(笑)。そういうことだったんだろうな、と思います。正月、全然関係ない同級生と遊んだんですけど、そいつがどんな自堕落だろうが、人としてどうなん?って生活してても別にいいんですよ。そいつはそいつだし。でもそれがメンバーだと腹立つんですよ。お前それで大丈夫なんか?って」
もっとやらなアカンことあるやろ?って。
「そうそうそう(笑)。そういう関係性というか、お互いがバンドを背負ってないと、続けてられないぞ、って。運命共同体になっちゃって、ただの友情じゃなくなってた」
なんかわかる気がしてきました。
「でもこの1年で、そういうのがいろいろ取れて、もっとバンドを楽しむやり方もあるな、って」
じゃあその後もリハスタに何回か入って?
「そうですね。『今日はこの曲やろうぜ』って課題曲を決めて。ただ順調に回復してきたわけじゃなくて。後戻りすることもあったから、メンバーは心配だったろうなあ」