「歌だけで認められたかった少女の私が、今一度リベンジをする」――阿部真央の初のカヴァーアルバム『MY INNER CHILD MUSEUM』は、そんなコンセプトで作られた。SIAの「Alive」や、宇多田ヒカルの「SAKURAドロップス」、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」や広瀬香美の「ロマンスの神様」などなど、ジャンルも時代もバラバラな名曲たちを抜群の歌唱力と楽曲への敬意で次々と唄いこなす。今回のインタビューでは、今作が〈コロナ禍で原点に立ち返る〉という意味でも今の彼女に必要なものだったと語ってくれている。そして2月3日にリリースされたばかりの配信シングル「ふたりで居れば」についても。こちらはドラマ『おじさまと猫』のエンディングテーマとしての書き下ろされた、温かく鮮やかなポップ・ナンバー。シンガーソングライターとしての阿部真央の今の輝きを存分に感じ取れる仕上がりだ。約1年ぶりのインタビューをオンラインで行った。
アルバム『まだいけます』の取材以来、「音楽と人」では約1年ぶりのインタビューです。真央さんご自身にとっても色んな変化があった時間だと思いますが、一番考えたことって何でしたか。
「コロナの影響で一時期はライヴも制作も止まったことで、いろいろと考える時間ができました。その結果、ちゃんと自分が楽しいと思えることをしたいという気持ちになっちゃったんですよ。例えば、これまでの取材でも何度かお話してきましたけど、私の場合はもともとシンガーソングライターじゃなくてシンガーになりたかったから。もちろんシンガーソングライターとして活動できてることには感謝してるし、曲を書く楽しみもわかってきたつもりなんですけど。でもやっぱり今までリリースのタイミングが決まってて、それに追われて曲を書いて。自分が曲を書きたいなというパッションよりも書かなきゃいけない状況が常に用意されていた、この12年なんですよ。単純に自分が何を表現したいのかなんていうインプットする時間が、今思うと足りなかったなって」
これまでの活動を振り返る時間でもあったんですね。
「そうですね。この12年間、こういうものだろうと思ってやってきたペースが今の私には早過ぎるし、合ってないんだなという結論にたどり着きました。語弊を恐れずに言うと、私はあのままツアーをやっていたら壊れてたと思う。コロナがあったからブレーキが踏めたけど、このままでは私はダメだったんだなって感じたのが2020年でした」
でもアルバム『まだいけます』って、そのタイトルのとおり、阿部真央本来のパワーが漲るようなすごくエネルギッシュな作品でもあったから、意外だけどね。
「うん、今振り返ってこうしてお話してるから、『限界だった』なんてワードも出てきてるけど。普通にツアーができてたら、疲れてる自分にも気づけなかったと思う。でも、これまでと同じだったらきついと感じたら、やり方を変えるか自分が変わるかしかなくて。それは今後、両方起こっていくと思います。だから変化って積極的にしていかなきゃいけないなってあらためて思った」
同世代のミュージシャンがリモートでコラボした [re:]project「もう一度」へ参加されていたことも印象的で。これまでやってこなかったようなことにも柔軟に対応されてる感じもしました。
「私に白羽の矢を立ててくださったならぜひやりましょうっていう感じでした。あの面々が動き出すことに希望を持ってくれる人が多そうなプロジェクトだったので、そこに声をかけてもらえたのは光栄でしたね」
それと同時期に、ご自身のツアーを「来年の春に延期します」という判断をされました。サイトでもコメント動画でファンの方に伝えていましたが、どんな気持ちでしたか。
「残念だけど、みんなの命のほうが大事なんでしょうがないなって、割と冷静でした。私自身も自分とツアーメンバーやスタッフを守らなきゃいけないし。ツアーも規模が決して小さくないから、もう仕方ないなと。1年後を見据えてっていう判断は単純にハコを押さえられるスケジュールがなかったからなんですよね。そもそもオリンピックが開催される予定だったから夏に延期ってこともできなかったし、1年後っていうのが現実的な話で。でも私はね、ぶっちゃけ2020年では収束しないだろうと春の時点で思ってたから。1年後に延期という方向でとマネージメントに説明された時に、ひとまずの案としては妥当なんじゃないかと思いました」
そして今も緊急事態宣言が発令されている中で、多くのアーティストが最新アルバムの曲をライヴでできないまま、次のアルバム制作に入らなきゃというタームに入っていると思うんですけど。そこで真央さんがカヴァーアルバムをリリースするというのは、「なるほどな」と思ったんです。これはどういう発想からきたアイディアだったんでしょうか。
「私自身もアルバムを引っさげてのツアーができなかったアーティストのひとりですけど、自分で曲を書いてまた新しいアルバムを作っても良かったし、あんまりこだわりはなかったの。でもカヴァーアルバムに至った経緯は、コロナになって、楽しいと思うことをまずしないと、自分がダメになると思ったから。私はそもそも何が好きなんだっけって考えた時に、ものを作る以前に歌が好きっていうのがあって。たまたまですけど、[re:]projectで人が作った歌を唄って。あの時期、星野源さんが〈うちで踊ろう〉をSNS上で公開されて、私も一緒に唄った動画をアップしたりしましたけど。なんか人の歌を唄う機会が重なって、唄うことだけに集中できるっていう幸せは、すごい栄養だなと思った。それを喜んでいただける環境があるのであれば、やってもいいかなって」
自分の原点である唄う喜びを取り戻したいと。
「そういう気持ちがありましたね」
ちなみにカヴァーアルバムを作ろうとした時、一番最初に思い浮かんだ曲は?
「〈You raise me up〉です。意外ですよね? この曲を初めて聴いたのは荒川静香さんがトリノオリンピックで金メダルを獲って、エキシビジョンで踊った時。ケルティック・ウーマンのヴァージョンでイナバウアーを演じた姿が本当に美しくて、それがファーストインパクトです。確か2006年だから、私はまだ16歳の高校生。この曲を自分でも唄いたいなんて、微塵も思っていませんでした。でも去年、カヴァーアルバムの制作をしようとか思う前に、お風呂に入ってたら急に頭の中でこの曲が流れ出して、ウワーッて涙が出たの」
へぇー!
「本当に不思議なんですけど、なんかそういうことってあるんです、私。ちょうど唄うことだけに特化することがやりたいなって考え始めた時だったから、ああ〈You raise me up〉を唄えってことなのかなと思って。そこで、やるか!ってなったんです」
そっか、じゃあ「You raise me up」は今までも個人的に好きでカラオケなんかでもいつも唄ってて、というわけではなく、カヴァーアルバムのために初めて唄ってみたって感じなんですか。
「今回のカヴァーアルバムの曲って、ほとんどそうなんですよ。カラオケで唄ったことがあるのは『津軽海峡冬景色』だけですかね。あとは全部、歌入れの時に初めてちゃんと唄った」
それもすごいですね。
「だから今回『MY INNER CHILD MUSEUM』というアルバムだけど、小さい頃から唄ってきた歌たちという意味ではないの。幼少期から歌が唄いたくて、唄い手として認められたいという私のインナーチャイルドを、この曲たちだったら昇華させてくれそうだなっていうことです。だから初めて唄った曲ばっかり」