『音楽と人』の編集部員がリレー形式で、自由に発信していくコーナー。エッセイ、コラム、オモシロ企画など、編集部スタッフが日々感じたもの、見たものなどを、それぞれの視点でお届けしていきます。今回は20年ぶりにピアノを弾いた編集者が、そこで気づいた思いについて綴ります。
自分が担当した前回の編集部通信で、高校卒業するまでの14年間ピアノを習ってたことを書いたら、呑み友達に「ピアノ弾けるの知らなかった! ピアノの音聴きながら本を読みたいなぁ〜。もちろん呑みながら♪」と酔っ払った勢いでお願いされてしまいました。いやいやいや、いま弾いたってウイスキーのストレートを舌の上で転がしながら落ち着いて本を読めるほどの演奏力はございませんよ!って反射的に答えてしまったのだが、まぁ、呑むかどうかは置いといて、高校卒業して以来、ちゃんと弾いたことなんてなかったし、意外と弾いたら楽しいと思えるかもしれん。そもそも実家の母にお願いして楽譜を送ってもらっていたということは、機会があれば弾きたいと思っていたのではないか、と思いなおし、ここは友達の提案に乗ってみることにした。自分からやりたいとなかなか言えず、人に後押しされてやっと動くタイプです。すみません。
というわけで、近所のピアノスタジオに予約しました。とりあえず『ハノン』と『ツェルニー』と『ソナチネ』という楽譜を持ち込み弾いてみたわけですが、結果的に言いますと、予想どおりめっちゃくちゃヘッタクソで愕然としました。まずは『ハノン』で指ならしをするわけですが、この時点で自分のレベルがどんなもんかすぐわかり、落ち込むのを通り越して笑えてくるわけです。そもそも〈ド〉の鍵盤を鳴らして〈ド〉に聴こえてない時点で笑える。幼い頃あれだけピアノの先生に調教されたのにも関わらず、20年くらい弾かずにいると絶対音感もなくなるのですね……無念。
そうやって落ち込みながらも、『ツェルニー』や『ソナチネ』を弾いていると、「なんでチェルニーっていうタイトルなの?」と、友達が素朴な質問を投げかけてきました。これはね、大昔にチェルニーさんっていう人がいてね、その人が作った練習曲集なんだよ。ちなみにチェルニーさんはベートーヴェンの弟子であり、リストを育てたすんごい人なの。と、浅い知識を披露。さらに言われてハッとしたのは「モーツァルトさんは明るい曲が多くて、ベートーヴェンさんは暗い曲が多いんだね」という鋭い言葉。たしかに端的に言えばそのとおりなのである。幼い頃から宮廷音楽家(註:宮廷のお抱え作曲家のこと)として活動していたモーツァルトさんは、貴族の要望に合わせた世俗的な音楽を作ることが多かったようで、夕飯を食べている時のBGMとして演奏することもあったらしい。聴いていて嫌な気分にならない、邪魔をしない音楽を求められていたからこそ、モーツァルトは長調の楽曲が多くあったのだと思う。だから明るい。
それに比べてベートーヴェンはというと、暗くて不気味な雰囲気から始まる短調の楽曲がたくさんある。時代的に宮廷お抱えの音楽家が多くいる中、ベートーヴェンは人類初のフリーランスの音楽家として確立した人。好きな時に好きな音楽を作る権利、そして死ぬまで不自由しないほどの大金を生涯支払われる契約を貴族に取り付けたという。そこまで成し遂げることができたのは、自分が作った音楽を世間に聴かせたいという気持ちが強かったからこそだと思うし、聴き慣れない短調の楽曲や、歓喜が爆発するような終わり方をする楽曲が多いのは、人に聴いてほしいというベートーヴェンの思いからくるものなのかもしれない。もちろんそういう曲だけでないのは明白なんだが。これは想像にすぎないし、たくさんの文献は多く残っているけれども本当なのかどうかはわからないし、もちろん今はもう本人に確認する術なんてない。なぜこういう音楽になっているのか、そこにはどういう意味があったのか。作曲者の人となりを知ると、妙に納得できることがあるはずだ、と今は思う。
ピアノを習っていた当時はそんなことも考えず、音符を追ってただただ弾いてるだけの自分を思い出しました。なぜ寂しそうなメロディにしたのか、なぜここでクレッシェンドをしようと思ったのか。モーツアルトがどういう思いで貴族の要望に応えるような楽曲を作って演奏していたのか。悲しい気持ちのまま明るい曲を作っていたとしたら、演奏方法はもうちょっと変わるはず。もしそういう感じ方が少しでもできていれば、もっとピアノを楽しめていたと思う。
そういう思いを巡らしていると、音楽雑誌というのは、音楽の楽しみ方を広げてくれるものなのかもしれないと改めて思いました。ベートーヴェンが生きてる時に、『音楽と人』みたいな雑誌があったとしたら、ものすごく面白いインタビュー記事が読めたと思うし(たぶんベートーヴェンのインタビューは毎回激しい内容になると思う・笑)、それこそもっともっとベートーヴェンの音楽が広がっていたかもしれない。今現在も、びっくりするほど音楽は毎日生まれてきています。そこにはどういう気持ちがあるのか、制作者の思いや背景を知ることができれば、これからもっともっと音楽の楽しみ方は広がるかもしれません。これを読んだ人、そして『音楽と人』という音楽雑誌を読んで、少しでもそういう気持ちになってくれたらいいなぁと願いを込めて、この記事を締めくくります。
文=白崎未穂