「自分、〈すごく読書家の体育会系〉みたいに言われるんですが、そのイメージの通りッスよ」。こちらが水を向けるより先に本人の口から語られた、簡潔な自己紹介。後は何訊いても蛇足じゃないかと、取材中、思わず視線を落としてしまう。
高橋徹也の音楽を聴くのは、私にとって文学作品を読むのと同じ感覚である。鋭く骨太な文体を媒介に非現実へ引きずり込まれていく、マジックリアリズム的な私小説。繰り返しめくってぼろぼろになり、すべてのページに開きグセがついている愛読書だ。とはいえやっぱり、耳から入って肉体に刻み込まれた音が言葉の意味から解放される瞬間が訪れる。そこを目がけて再生するのだから、どんなに文学的であってもこれは、我々のフィジカルを突き動かす〈音楽〉だ。坐して読書するだけでは到達しない心拍数。沸き上がる熱が雑念と贅肉を炙り尽くし、ストイシズムの果てにランナーズハイの恍惚に至る。
20代の頃、東京渋谷で、とあるクラブイベントに足繁く通っていた。トリを務めるDJが明け方に必ず「新しい世界」をかけるのだ。初めて遊びに来た客も一緒になって踊り狂い、「あの長いやつ、誰の曲?」と後から常連客に訊いて回る。高橋徹也だよ、高橋徹也。地球儀を蹴っ飛ばして真夜中へ迷い込む俺たちの、マラカスを振りながら後ろ向きに走る俺たちのアンセム。安酒と爆音に痺れた手足をイカレた高揚感で引きずって歩き、始発電車を待ちながら独りに戻ってまた呟く。高橋徹也だよ。一度聴いたら忘れられない。何食ったらあんなんなるんだと推薦盤から音楽的ルーツを探ってみても全然わからない。アートワークはいつもかなり怖い。さっきすれ違ったやたら背の高い男がもしかして高橋徹也だったら、と空想するだけでゾクゾクするんだ。まるで化け物だろう。
一作目から追いかけ続けてファン歴24年、向き合って話すのは初めてのことだ。別れ際、「ずっとあなたの音楽に支えられて生きてきました!」と口走り、あまりの陳腐さにその場で舌を噛んで死にたくなる。爽やかに笑い、深々とお辞儀した折り目正しい男が、渋谷駅前の雑踏へ消えていった。こうして見ると普通の人間なんだけどな。2020年、届けられたアルバムのタイトルは『怪物』。独りに戻って再生ボタンを押せば、四十三分間、また新しいモンスターが取り憑いて体内で血を滾らせる。
(これは『音楽と人』2020年4月号に掲載された記事です)
今年でデビュー24年目、人生の約半分を、職業・高橋徹也として過ごされてきたわけですね。今なお「謎めいた天才」という印象が強いのですが、近年はブログやTwitterなど、ご自身でも積極的に発信なさっています。
「いつも根底には、あるんですけどね、音楽家たるもの、余計なことは言わないほうがいいという気持ち……高倉健みたいな……。でも、2015年にアルバム『The Endless Summer』を出した辺りから〈俺、オープン化。〉という感覚もあって、自然と発信量が増えました。自分でも楽しいんですよ。若い頃、閉じた自意識の中でやっていたのが、後はもう明るくなるしかない。すごく楽です。最近はネット経由で知ってくれた若いリスナーも増えて、ライヴ後に、あそこのコードどうなってるんスか? と質問してきたりして。かわいいですね。自分、三つ歳上の兄貴がいて、音楽の仕事も基本ずっと年上に囲まれてやってきたんですけど……さすがに48歳ともなると、誰かの弟ってわけにもいかない。年下に対する立ち居振る舞いもしっくりしてきました。口は出さずに金を出す、とか」
かっこいいじゃないですか、兄貴キャラ。オープン化の果てに一周回って高倉健っぽい(笑)。長らく入手困難だった旧譜の再発も、新規ファン層の拡大につながったはずです。最新アルバム『怪物』もその流れを汲んでいるのだとか?
「2018年、『夜に生きるもの』『ベッドタウン』の再発に合わせて、全曲再現ライヴをやったんですよ。やる前には多少迷いもあったんですが、実際いいライヴができて。昔の自分が膨大な熱量を持っていたことに改めて驚くと同時に、いろいろ経験してすっかり丸くなったと思っている今の自分にも、ぐつぐつ煮えたぎる熱量があるな、とも気づいたんです。そのテンションが〈怪物〉というコンセプトの出発点でした」
「高橋徹也、怪物。」とタイトルを聞いた時、「なんだい、自己紹介か!」と思いましたよ。
「ははは。良くも悪くもキャッチーで、面白いかなって。始める時に決めたのは、ギターとベースとドラム、スリーピースでシンプルにやること、それからマインドとしては、久しぶりに〈物申す〉気持ち。なんか、いろんなことに対して……怒ってましたね。20代ならその精神状態を持続できるかもしれないけど、40代の怒りって結構、瞬間的にワッと沸いて、いやいやいや、って(自ら打ち消す)感じになるんですよ。昨日まで怒っていた物事に対して、翌日は、まぁ別の意見もあるからさ、と考えたり。そんな中で初期衝動を保つのが大変でしたね」
タイトルチューン「怪物」が、スタジオ入り直前にできた一番新しい曲とのことですね。
「そうですね、〈川を渡れば〉〈醒めない夢〉〈夜はやさしく〉も今年に入ってから。20年近く前に作った〈グッドバイ グッドバイ グッドバイ〉を除いて、どれもごく最近の作品です。直近二作のアルバムは、日々のライヴ活動でがっつり固めた曲に新曲を一つか二つ足すパターンで、そうすると演奏も歌も余裕があるんですけど。今回は、新曲を作りながらテイクを重ねて、レコーディング中に完成させたものが多い。この先どうなっちゃうんだろう、という感じを久々に味わいました」
「怪物」は、自分の中に住む怪物と同時に「君」への想いを吐き出す歌ですね。その姿は誰にでも見えるのか、幻か、「僕」だけが正体に気づいているのか? 一筋縄ではいかない。
「両面あると思うんです。最初は全曲再現ライヴで過去の自分と出会って、それを〈怪物〉という象徴に落としこんで、膨らませていったんですけど。だんだん、他者に対しても〈怪物〉というキーワードが当てはまる気がしてきて。偶発的でしたけどね、内面が、外側の日常ともリンクしていった。ま、自分は生粋の庶民なので、自分のことを唄えば、おのずと他者、社会を唄うことにもなる、とつねに思っています」
〈君はそう/シャイニングスター/僕のモンスター〉というカタカナの押韻も、真顔で唄われると不気味に響きます。
「簡単な言葉でやりたいな、と意識していましたね。何だかよくわからない、ポップでキャッチーな、ふざけてるくらいの言葉。そのほうがイカレた感じがあっていいな、と。あんまり説明しないっていうか。できないっていうか。過去の曲を振り返ると、我ながら情景描写が凄いなと思ったりもしますが、今回はそうした表現で物語性に到達するの、できなかったです。シャイニングスターのほうがしっくりくる」
かたや二曲目の「ハロウィン・ベイビー」は、「怪物」の観念的な余韻を引きずりながら、人間が化け物に仮装する具体的な街の情景へと移行しますね。誰もが本性を隠している。じつは祭りの当日ではなく、平日の雑踏を魑魅魍魎に喩えて唄っているのかもしれないぞ、と考えたりします。
「この曲の〈たしかに君は完璧に綺麗で/完全に間違ってる〉という一節は、アルバム全体にとって重要なフレーズですね。あと、音楽って、直接的な言葉とは関係ないところにも伝え方があるので。一曲目のちょっとゆっくりしたペースが終わって、二曲目がダッダッダッて来ると、それでオッケー。そんなフィジカルの、体育会系的な側面もあって成り立っています。今回はレコーディング前に曲順も決めてありました。オールドスクールですけど、A面B面、という考え方。前半A面はロックなテイストで、B面では、じつはいい人なんだよ、って(笑)」
曲と曲の繋がりが強く、書物に喩えると全十章の長編小説のようですよね。A面B面の起伏、ばっちり伝わっていますよ。
「それはよかったです。最後の曲を〈友よ、また会おう〉にするのも、かなり早い段階で確定していました。自分の楽曲史上、一番クソダサい。タイトルからしてヤバい。音楽活動を始めてから、こういうことだけは唄うまいと思っていたことを、ついにやったんで……その覚悟には、価値があるかなと。長く聴いている人にとっては、ついにこんなこと唄うんだ、って面白さがあると思うし。初めて聴いた人には、普通に良い曲だと思ってもらえるだろうし」