それは突然だった。ラストの曲を演奏している途中、彼はステージ上で涙を流したのだ。唄えなくなった曲の続きを、会場のファンが唄い、会場は一体となる。とても美しい光景だった。しかし何が彼をそうさせてしまったのだろう。その涙の理由を推察する。
(これは『音楽と人』2018年11月号に掲載された記事です)
彼は泣いた。
感情をあまり表に出さない男が、ステージの上で肩を震わせ、紫の照明の下、ギターを抱え泣いていた。故郷の奈良、思い出深い東大寺、そして「街」という曲を書いたあの頃の記憶……それがひとつになって、感極まったのだろう。そして、許されたように思えたんだろう。その時、ファンの思いと彼の気持ちが確かに繋がったような気がした。
京都、平安神宮。そして奈良、東大寺。
この2ヵ所で行われたライヴは〈ENDRECHERI〉ではなく〈堂本剛〉そのままの名で行われていることからもわかるように、個人的な色彩が強い。そしてステージから客席に向けて演奏するというよりも、神様に奉納するためのライヴとして行われている。その様子を観客は見つめるのみ。演奏は神仏を楽しませ、鎮めるためにある。
(中略)
平安神宮ライヴから13日後、奈良へと向かった。正直、同じ奉納ライヴだ。ずっと続けてきたライフワークと地元の違いはあるだろうが、日数もそんなに離れてない。メニューも演出もそんなに変わらないと思っていた。しかしその考えは、いい意味で裏切られることになる。
公園の鹿に絡まれながら、中門から境内に足を踏み入れる。大仏殿の前にステージが組まれているが、国宝に指定されている八角燈籠があり、正面からステージを見ることができる席はごく一部のみ。他はステージを斜めから見るように席が作られている。見切れる席が多いためか、上手と下手には大きなスクリーン。正面の大仏殿の上方にある窓からは、大仏尊像が顔を覗かせていた。奈良では過去、薬師寺大講堂前や飛鳥・石舞台、shamanippon shipと名付けた特設会場など、いろいろな形でライヴを行ってきたが、その中でも東大寺は、彼にとって幼い頃からの思い出が詰まった場所。感慨深かったに違いない。
19時。メンバーがそれぞれの位置につくと、剛がゆっくりとステージに登場。見るとメンバーの衣装は全員お揃いで、袈裟をモチーフにしたような服。剛もそれに近い。そして徐に唄い始めたのは「…ラカチノトヒ」。ミディアムなテンポ……というかアレンジがずいぶん違っていて戸惑う。続く「HYBRID FUNK」もそうだ。ファンクというよりジャズっぽいアレンジ。そこにどこかの民族音楽のような音が鳴っていて、極端に言えば、もはや歌メロをきっちり表現することは二の次になっている。ジャンルを限定することが難しいが、あえて言うならサイケデリックやプログレ、アバンギャルドという形容が近い。マザーズ・オブ・インヴェンションやジェームス・ブラッド・ウルマーが頭を過るが、それを手本にしているわけではなく、このいろんなタイプのバンドメンバーと共に、イメージを一から作り上げていった結果、こういう音楽が生まれた印象を持つ。
そう、平安神宮と同様に〈奉納〉のための演奏であるという意識を、さらに突き詰めているのだ。それは「宗流Power」「B FUNK」といったセッションから生まれたであろう新曲から、さらに加速していった。スティーヴ エトウが自分の呼吸をサンプリングし、そこに生のパーカッションを重ねる。そこにホーンセクションが入る。変拍子が多用され、歌はあまり聴き取れず、読経のように聴こえてくるのみ。
さらに圧巻だったのはセッションだ。毎日20時に撞かれている鐘の音が響くと、それをきっかけに演奏が始まる。剛は手元に置いたマルチエフェクターをいじりながら、様々な音色を出している。するとそこに声明(註:しょうみょう。仏教の経典に節をつけたもの)が聴こえてきた。それに合わせたセッションが終わると、大仏殿の中に数名の僧侶が現れ、笙や法螺貝を奏で始める。それをきっかけに剛も大仏殿に足を踏み入れ、大仏と向き合う形でギターを弾き始めた。ステージに剛はいないが、その様子がモニターに映る。奉納とはまさにこのこと。スティーヴ エトウもそれに続く。またこの日のコーラスは平岡恵子とオリビア・バレルの2人体制だったが、まるで声明とゴスペルを聴いているような、その対比が素晴らしかった。さらに最後のギターソロで、平安神宮と同様、剛はリフターに乗り、空へとせり上がっていく。平安神宮の時より高く。まるで見守る盧舎那仏像に近づいていくかのようだった。
この狂乱のセッションをクールダウンさせるように、優しい十川ともじの鍵盤が鳴る。ここまでとはまったく違い、メロディがしっかりある。そこにGakushiのキーボードがスペイシーな彩りを添える。東大寺ライヴ、最後に披露されたのは「街」だった。
言うまでもないがこの曲は、彼のシンガーソングライターとしてのデビュー曲である。10代の頃、人の汚い部分に嫌気が差して、胸が潰れそうになった時に書かれた。東京に居る自分が、奈良に残した自分の魂に語りかけているような、そんな歌だ。まだ音楽にどっぷりではなかったぶん、その痛みや、傷が、衒うことなく素直な言葉で描かれている。そしてだからこそ胸を刺す。この曲のひとことひとことを自分で噛みしめるように唄っていた剛は、大サビの手前で感情のバランスを取れなくなり、涙を流し、唄えなくなってしまった。
その涙はきっと、悲しみの涙じゃない。この曲を作った10代後半、あんなに生きることに絶望して、誰も信じられなかった自分が、今、この奈良の街で、たくさんの愛情に支えられていることを、肌で感じたからこその喜び。そこから来た涙だ。突発性難聴という病に冒され、〈皆さんが求める自分に戻れるんだろうか〉という不安を、今の自分ができることをやるしかない、と言い聞かせ、みんなを安心させるために強がってきたけれど、この街で自分への愛情を肌で感じ、凍っていた頑なな心が溶けたのだ。あの涙は、堂本剛というひとりの男が、背負っていたものをすべて脱ぎ捨て、僕たちの前で裸の心をさらけ出した、その証だったのだ。
剛が唄えなくなったその続きを、バンドの音とコーラスが支え、客席のみんなが唄い、曲を繋いだ。そう、まるで「君は君らしくあればいい」と背中を押すように。その思いを、彼はどう感じたんだろう。
すべてを唄い終えたあと、平安神宮と同様、長い説法のようなMCタイム。「街」は自分の個人的な思いが強すぎるから、最初、唄うつもりがなかった。でもスタッフの勧めもあって、唄うことにした、と話す。生きていれば、いろんなことがあるだろう。決していいことばかりではないだろう。だけどこの日のように、人の愛と優しさに触れる時もある。こんな日を願って、人は毎日を生きるんだ。彼の涙はそのことを教えてくれている。
堂本剛の心に触れた、そんな特別な一日だった。
文=金光裕史
DVD/Blu-ray『堂本 剛 東大寺LIVE2018』
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01 …ラカチノトヒ
02 HYBRID FUNK
03 宗流Power
04 B FUNK
05 Believe in intuition …
06 去な 宇宙(スペース)
07 SESSION
08 街