『音楽と人』の編集部員がリレー形式で、自由に発信していくコーナー。エッセイ、コラム、オモシロ企画など、編集部スタッフが日々感じたもの、見たものなどを、それぞれの視点でお届けしていきます。今回は50歳を過ぎた編集者が、前回に続いて、自身の身の回りで起きている出来事を赤裸々に綴ります。
(前回からの続き)
1月25日
家庭裁判所から自宅に分厚い封書が届いた。中身は「成年後見人」に自分が選任されたことを知らせる審判書と、その事務にまつわるマニュアル一式。成年後見人とは、認知症などにより判断能力ができない人に代わって財産管理や契約手続きを行う人のことで、我が家の場合は入院費を捻出するのに父の定期預金の解約する必要があったため裁判所に申し立てたのだった。今後は自分が父の後見人として、財産や母の生活費などを父が亡くなるまでずっと管理していくことになる。
2月某日
入院するまではほぼ絶縁状態だった父の兄からこれで4回目となる電話がかかってきた。10年以上も音信不通だった弟のことがとにかく心配で、容態はどうなのか面会には行けないかなど同じことを毎回聞いてくるが、こちらも同じ返答を繰り返すことしかできない。お金のことや親のことでずっといがみあっていた兄弟だが、入院する数週間前に「兄貴と話したい」と父が言い出し、10数年ぶりに連絡を取り合ったのだという。その時に交わしたあやふやな会話で、兄は弟が認知症になっていることを知り、それから数週間後に今のような状況になってしまったことを悔やんでいるらしい。そんな父の兄に対してしてやれることが何もないのは親族として申し訳ないが、こちらは父の入院費と母の生活のことでいっぱいいっぱいなので、それどころじゃないというのが本音だったりする。
3月某日
父が入院する病院から連絡。院内でコロナのクラスターが発生したという。今のところ父がいる病棟とは違う場所なので大丈夫ですが一応ご報告します、とのこと。とてつもなく大変な日々を過ごされている中、わざわざ電話を寄越してくれる病院のスタッフの心遣いをありがたく思った。
4月某日
独居老人となった母を外に連れ出し、満開の桜並木を見せてやるべく実家に帰ると、「桜は毎日見てるよ」と母が指差すリビングからの景色がピンクに染まっていた。家の前にある公園で咲き誇る桜が、こんなに立派になっていたとは。つまり実家を出てから数10年もの間、桜が咲く季節に帰省したことがなかったということだ。「お父さんは桜、見れたのかな……」と母は寂しそうだった。
4月某日
これまで父の入院費を自分の口座から振り込んでいたのを、後見人になったこともあって父の口座から振り込もうとしたものの、コンビニからできるはずがなぜかできない。それならばと電車で20分ぐらい移動したところにある支店のATMに行くと、「係員にお問い合わせください」という用紙とともにカードが吐き出されるのみ。問い合わせた行員の話によると、高齢者のキャッシュカードは振り込みができないようにロックされてしまうのだという。理由はもちろん振り込み詐欺対策。特に父のような何年も振り込みの操作自体をしていない口座は、振り込みの手続きを店頭でしないといけないそうだ。後見人とはいえそんな厄介なことを毎月、しかも支店が都内に3店舗しかない地銀でやるのは難しい。事情を詳しく説明した上で、改善策を検討してもらうことになった。
4月某日
父の主治医から連絡。ついに父もコロナに感染したらしい。微熱と怠さで1日中グッタリしていて、いつもの食欲がないという。誤嚥性肺炎のリスクを避けるため、しばらく食事の代わりに点滴を打つことにします、とのこと。3回目のワクチン接種も院内で済ませているので大事には至らないとは思うが、母に報告するのは負担になるのでやめておいた。
5月某日
父の部屋の棚に突っ込まれている荷物の整理を行う。戸棚から大量のブランド服や未使用の高級バッグ、さらには大小さまざまなラジオや双眼鏡など、なんでこんな物をたくさん買い込んだんだ?というシロモノが次から次へと発掘される。驚いたのは大量のテレホンカード。どうやって手に入れたのか知る由もないが、500円の未使用テレカが何千枚も束になって箱に仕舞われていた。あとは100円玉がギッシリ詰まった大きな貯金箱が3つも出てきた。どちらも万が一の事態に備えて貯め込んでいたのだろうか。父は中卒で地方から上京して仕事を転々としながら最後に転職した会社が急成長の末、ボーナスもしっかり出るような一部上場の企業に躍進した。定年まで勤め上げたものの中卒なので昇進もなければ昇給も乏しく、ずっとお金には苦労している家庭であることは子供の頃の自分でもわかっていた。倹約していればそこまで家計が困るほどでもない収入だったはずだが、両親ともにお金には無頓着なのでいつも我が家は常にローンまみれだった。そんな父が仕事もリアタイヤして夫婦水入らずに悠々自適な生活をしているうちに、若くして認知症になってしまったのは可哀想である。かろうじて残しておいた退職金の残り300万円も、まさか自分の入院費に充てられることになるとは予想もしていなかっただろう。重度の認知症である彼がいつまで生きていられるかはわからないが、今はとにかく母の生活をサポートすることと、そして父が大切にしていたテレホンカードと貯金箱の存在を忘れないこと。それが後見人として一番重要な任務だという気が今はしている。(終わり)
文=樋口靖幸