コロナ禍の真っ只中にバンド結成15周年を迎え、2020年4月にアニーバーサリーライヴとして開催するはずだったワンマン。そこから二度の延期を経て、その1年後となる去年4月に無事開催されたのだが、猪狩翔一(ヴォーカル&ギター)はそこに至るまでの環境の変化に気持ちが追いつかなかったようで、一時はかなりの精神的なダメージを負っていたらしい。今回のインタビューはそんな彼が再び浮上するまでのエピソードが主題となっているのだが、それは彼らにとって初のベストアルバム『dear, deer』にも感じる彼らしさでもある。昔から変わりようのない自分と、日常の中での移ろいを不器用ながらもどうにかして受け入れていく自分。その狭間で右往左往しながら、時には家族や飼い犬に背中を押されながら、これからも彼は市井の中で息づく歌を唄っていくのだろう。今回のインタビューによって、いつか彼とは犬ネタオンリーで話をしたいと思った(笑)。
( これは『音楽と人』2月号に掲載された記事です)
元気でしたか?
「元気ですよ」
最後に取材したのは「aranami」の時で、自宅からのリモートでした(註:結成15周年を迎えるtacicaが直面した現実と、自分に手を差し伸べてくれた歌について)。
「そうでしたね。やりにくかったです、リモート」
どうですか? あれからの日々は。
「日々は……けっこう変わったかな。まず音楽に関して言うと、最近ようやく戻ってきてはいるけど、やっぱりライヴのやり方がガラッと変わったことが大きくて。僕らがライヴを再開した時はまだ換気タイムとかが必要だったんで、時間短めの2回まわしでやったり」
あと、配信ライヴもやってましたね。
「やってました、生配信。そもそも生活自体が変わったのに、さらに音楽のやり方もガラッと変えられた感じがあって。あの時は……けっこうダメージ食らってたような気がします」
例えばどんなダメージを?
「1回目か2回目の配信、だから9月か10月だったと思うんですけど、ライヴが終わって数日後に、今まで感じたことのない虚無感というか無気力感みたいなものがあって。人生を捨てる人って、こういう気持ちが大きくなるんだろうなって。でも僕は捨てたいと思ったわけじゃなくて、なんというか……〈ここじゃなくてもいいのかな〉みたいな感じがしちゃったんですよ。だから自分でもちょっと心配になって。今までの人生でも経験したことのない感じだったんで」
それは……自分でもびっくりするような出来事だったんじゃないですか?
「今考えるとそうですね」
けど、人によってはそういう状況でもライヴができたことを前向きに捉えられるはずなんだけど、猪狩くんはどうしてそうなっちゃったんですかね。
「たぶん……もともと予定してたワンマンが開催直前で延期になったことが始まりだったというか」
結成15周年、サンプラのライヴが。
「このライヴが自分の中でけっこう……そこに向かうまでの準備だとか、気持ちだとか、いろんなものを集約させてたんですよ。周年だし、チケットもソールドアウトしていたし、その中で延期という……今まで音楽やってきて、味わったことのない経験がいっぺんに来た感じがして。あと、そのタイミングでバンドの環境も変わったりしたのもあって、昔だったら絶対やらないようなことまで新たな試みとして受け入れた時期だったんですよ。生配信もそうだし、短い尺で2回やるとか、とにかくバンドを止めず動き続けるために新しいことをやって。フィジカルはどうにか動いていたけど、メンタルがそこに追いつかなくなった感じがあって。〈けっこう気張ってたんだな〉みたいな」
リモートで取材した時は元気そうだったけど。「曲も作ってます」みたいな感じだったし。でも、実はダメージを食らっていたと。
「今はめちゃめちゃ元気ですけどね。あの時は目的もなくただ曲を作るっていう行為が、なんとなく精神的に健康でいられる気がしたんですね。でもそのわりに暗い曲ばっかり作ってたんだけど(笑)」
音楽にはウソをつけなかったと。
「だから精神的にはあんまりいい状況にはないんだろうなって、薄々そのことに気づきながら動いていた時期ではありましたね」
そこから元気になったタイミングというのは?
「犬を飼うようになってからですね」
犬ですか。
「去年(2020年)の年末に、ショッピングモールみたいなところにペットショップがあって、家族で犬を見に行ったんですよ。昔から犬を飼いたかったんで。で、そこにいた柴犬が可愛くて、みんなも〈この子いいね〉ってなって。そこの店員さんもすごいいい人だったから、〈じゃあ飼います〉ってなったんですよ。そしたら店員さんからプレートを見せられて『ワンちゃんを飼うのに必要なグッズ一式がありまして、AコースとBコースがあるんですけど』って説明が始まったんですね」
AがいくらでBがいくら、みたいな?
「そうそう。で、その金額自体に抵抗はなかったんだけど、なんか急にそこで……別に何が悪いとかじゃないんだけど、変な不信感みたいなのが自分の中から出てきて」
犬を商品として買う、という行為に対する違和感みたいな。
「そこまで話が進んでるのに、『ちょっと待ってください。ごめんなさい、やっぱやめます』って言って、いきなりやめたんですよ」
はははは。でも気持ちはわかります。
「さっきまで前向きだったのに、急にですよ(笑)。でもやっぱり犬は飼いたいから、それからいろいろ調べてるうちに、保護犬の里親を探してる団体っていうのがあるのを知って、そこへ見に行ったんですよ。で、ペットショップって小犬だけで成犬って見ないけど、そこは成犬ばっかりなんですよ。あげく、そこにいた犬の人を見る目が、〈飼い主にどれだけ酷いことをされたんだろう?〉みたいな。闇が深すぎるなと思って、その日はそのまま家に帰ったんですけど、ずっとその犬のことが気になって。それから3、4回通って、結局その子を引き取ったんです」
どうしてそんな闇が深そうな犬を引き取ろうと思ったんでしょうか?
「なんでだろう……でも、その子が可愛いと思っただけなんですよ。保護犬だからどうこうってわけじゃなくて」
そこもなんか猪狩くんらしい気がする。
「で、その子と毎日散歩をするようになったら、心身ともに健康になったんですよ」
アーティストっぽくないエピソードだけど、すごく猪狩くんらしくていいと思います。
「河川敷を散歩してて気づいたんですけど、いつも近いものばっかり見てるんだなって。パソコンもスマホも本もテレビも全部近くだし、遠くを見る機会ってあんまりなかったことに気づいて。あと今、犬の散歩でおばちゃんの知り合いがめっちゃ増えて(笑)」
はははは! 散歩中に飼い主同士の交流が始まるよね。
「しかもお互い犬の名前で〈何々ちゃんのお母さん〉みたいに呼び合うんだけど、会話の主役が自分じゃないと、こんなに人とのコミュニケーションって楽になるんだなって(笑)」
ははははは!
「お勧めの犬の病院、お勧めのフード、お勧めの散歩場所、みたいな話をするんだけど、それが楽しくて」
それは確かに心身ともに健康になりそう。
「で、曲も散歩中に浮かんだりして、それをスマホに吹き込んだりして」