2021年6月21日、渋谷クラブクアトロ。2年ぶりのツアーファイナルのステージに姿を現したバンドは、リリースもライヴ活動も途絶えた〈開店休業状態〉であるにも関わらず、20年前と何一つ変わらない爆音でフロアを切り裂いていた。替えのきかない唯一無二のバンドなのに、なぜ彼らは動かないのか。どうして解散しないのか。一人のライターがロックに逃げこんだ10代の自分を振り返りながら、ロックバンドのロマンチシズムに迫る。
(これは『音楽と人』9月号に掲載された記事です)
射るような眼差しだったらまだいい。怒りならば理由を探ろうと思える。ただ、なんとなく世間に倦んだ、ここに楽しいことも期待するものもないと言いたげな、感情の抜け落ちた目つき。そんな目で見ないでくれと思う。
そろそろ13歳になる娘の話だ。もちろん離れる時には毎度ウルウルと涙ぐみ、お迎えに行けばパアッと明るくなっていた、幼稚園の頃の表情を今もしてくれと言いたいわけではない。中学生にもなってそれはむしろ不気味だし、友達とスマホで繋がっているほうが百倍楽しいのは当然だ。わかっている。ただ、あの倦んだ目つきにだけ私はまだ慣れることができないでいる。もう少しこう、思いやりとか優しさとか温かみ、つまりは情だよ。情をもって家族と接することはできないのかね。
笑止。そういうお前は自分の母親にどんな目を向けていたのか覚えているか。乾いた笑いが漏れる。
バンドって実家。これだけ一緒だとメンバーは家族ですよ。そんな言葉をバンドマンから聞くたびに、それは結局どんなものを指しているのか、言うに言えない違和感がつきまとった。どうやら世間一般で、実家というのは気楽で快適、同時にだらしなく弛緩もする、心地よさと惰性が共存する場所であるらしい。そうなのか。そんなもの、見たことがない。
もともと仲睦まじいと思ったこともないが、気づけば一切会話のなくなっていた両親の不仲。互いの伝書鳩役をやらされる鬱陶しさ。受験を控えた姉からむんむん放たれる殺気。悪化する祖母の認知症。我関せずと仕事や趣味に逃げた父と、ワンオペで介護を任された母の出口なき怒り。それらがいっぺんに来た13歳、簡単に言って我が家はライトな地獄になっていた。それぞれを思いやる情なんてものはひとかけらも落ちていない。私も友達と電話しているほうが断然楽しい年頃だ。早く離婚すればいいのに。醒めた気持ちでそう思えたのは、すでに自分だけの逃げ道を見つけていたからだろう。
ロックミュージック。これがあれば無敵である。これを鳴らせばどこにでも行ける。CDラジカセが叶えてくれる逃避行。壊したい。消えたい。ほっといて。無視しないで。結局どうしていいのかわからずに持て余す衝動を、エレキギターとベースとドラムの組み合わせは、まったく不思議なくらい理解してくれたのだ。うるさければうるさいほど燃えた。クレイジーであればあるほど夢中になれた。今も自分の基準である。
なんの話をしているのか。モーサム・トーンベンダーだ。6月21日、渋谷クラブクアトロで行われたライヴの話だ。
ずいぶんと時間が経ったので改めて説明すると、このワンマンは2年ぶりに開催された東名阪ツアー。2年前のライヴにしても「前回のクアトロ公演から約1年ぶり!」とファンをざわつかせた。このような状況が当たり前になってしまったのはバンドが結成20周年を迎えた2017年あたり。音源もしばらく出ていない。開店休業状態。近年のモーサムは、この6文字ですべて説明できてしまう。
ギター&ヴォーカル百々和宏、ベース武井靖典、ドラム藤田勇によるオルタナティヴ・ロックバンド。メジャーデビュー早々に〈凡人のロックンロールにはもうウンザリなんだ〉と言い放つ態度にしびれた。ひとつになろうとユナイトしないところが特に好きだった。2001年当時のステージはまさに一触即発。あとひと押しでバラバラに崩れてしまう爆音が頭上を飛び交い、制御不能なスピード感に我を忘れ、気づけば心臓が一突きにされていた。なんて殺傷力。手のつけられないカオスに見えて、しかし演奏の最後、一瞬で完璧な無音が訪れるのも最高だった。鳴らし方が格好いいのは当然として、音の止め方がこんなにも美しいバンドを私は他に知らない。
20年後のクアトロでもそれが変わらないのは、控え目に言っても奇跡的だ。外見は年相応に変わったが、火花を散らすギリギリのバトルはまったく同じまま。殺伐の果てにある恍惚と、無心に頭を振れるリフの格好良さ。4曲目、派手なサイレン音から爆音になだれ込む「TIGER」あたりでもう私は13歳に引き戻されている。だんだん現実にうんざりしはじめ、逃避行のための爆音を欲するようになったあの頃。どうしていいかわからない自分の衝動を、不思議なくらい理解してくれるエレキギターとベースとドラムの組み合わせ。最強で最凶。やっぱり無敵だ、モーサム・トーンベンダーは。
「特別感は出るよ、この3人でやると。他に替えが効かないってずいぶん前から気づいてる。でもこれは古い考えかもしれないけど、格好いいバンドって全部そうじゃない? メンバー個々が立ってないと嫌だし、お互いバチバチにやり合ってさ。ステージに上がった時に〈お? なんかやらかしてくれそう〉みたいな佇まいを醸し出しててほしい。だからワンマン体制にはならなかったし、なりようがなかった」
このように回想するのは百々和宏。ライヴの感想については、藤田勇も穏やかな笑顔で語ってくれる。
「やめなくて良かったなとは思ったし、あと結局変わんないなとも思いましたね。やっぱりこう、とにかくギターの音がバカでかい(笑)。百々、むしろパワーアップしてないか?って。こんなとこで俺ギター弾こうとしてたのかって改めて思いましたね。この爆音は3人なら成り立つんだろうと」
勇がそう思っていたことを、百々は取材当日まで知らなかった。良かれ悪しかれこれも相変わらずのモーサム印だ。不仲とは言わないまでも、基本メンバーは天の邪鬼。誰かが方向を定めれば誰かが反対し、何を決めるにしろ意見は割れる。まとめあげて引っ張るリーダーは不在。フロントマンは百々だが、ほか二人の自我とキャラはのちのち肥大化していく。
最初に藤田勇のコンポーザー欲求が爆発。打ち込みやシーケンス導入も始まり、バンドのフォーマットは解体、毎度のように一新されていく。続いては武井靖典がサイリウムを振り回す奇想天外なパフォーマンスが始まった。ちなみに今回の渋谷クアトロ、武井はアマビエのコスプレで登場である。青い長髪のヅラ、謎のグラサン、手製のクチバシを装着してトランペットを吹きまくる彼を見て、笑っていいのかビビっていいのか全然わからないが、異物感さえ「あぁモーサムだ」と嬉しく思えるのだからファン教育とはかくも恐ろしい。作品ごとに音像がころころ変わることにも次第に慣れていった。
見事バラバラな三者三様の佇まいと、次にどうなるかまったく予想できない音楽性。一枚岩には見えないが、それでも不思議なくらいモーサムはサマになっていた。快適な惰性でマンネリに陥るくらいなら反目しながらバチバチやっているほうがいいと、それは半ば痩せ我慢の境地だったかもしれない。前人未到のバンドを目指して意地と気合をぶつけあうトライアングル。反動に次ぐ反動のレコーディング。お前が出ないなら俺もまだこの部屋から出ないと、灼熱のサウナに居座る男たちの姿が今なら思い浮かぶ。ととのうのか、それは。
2009年11月、藤田勇が突如ギタリストに転向。モーサムはサポートドラムを入れた4人体制になった。最初はさすがに周囲も反対した。当然だ。勇のドラムだから完璧に響いた名曲がいくつもある。それでも勇は「でなければ辞める」と言って聞かず、最終的にメンバーは彼の言い分を飲む。この書き方は勇ひとりを悪者に仕立ててしまうが、とんでもない、百々の暴走、武井の駄々も同じくらいあったと聞く。何が3人をつなぎとめていたのか。長年連れ添った愛情? まさか。