結成35周年を記念して、2024年5月から11月まで、LUNA SEAは〈ERA TO ERA〉と称したツアーを行い、史上最多となる41公演を完走した。またこのツアーは、バンド結成から終幕までにリリースした『MOTHER』『STYLE』『SHINE』『LUNACY』『IMAGE』『EDEN』というアルバムのツアーを各所で行い、さらに彼らの初期を象徴する〈黒服限定GIG〉も再現するもの。彼らを長く追い続けたファンは、自分の人生を重ね合わせたに違いない。しかしその中で、誰もが気になっていたのがRYUICHI(ヴォーカル)の声である。1年前のインタビューで告白していたように、彼は発声障害を発症している。それはツアーを重ねても改善の傾向が見えず、観ていても、苦しみながらステージに立っているのがよくわかった。しかしそれでもステージに立ち続けたRYUICHI。その覚悟の裏にあったのは何なのか。そして2月の東京ドームに立つ今の思いは? 独占インタビュー。
(これは『音楽と人』2025年2月号に掲載された記事です)
2024年は、LUNA SEAとして精力的に活動した1年でした。
「そうですね。あとは2月の東京ドーム2日間を残すのみですけど、このツアーは41公演あって、ほぼ毎回メニューが違ってたんですよ」
過去のツアーのセットリストを、毎回入れ替えつつ再現してましたからね。
「〈黒服限定GIG〉があったかと思えば、次の日は〈SHINING BRIGHTLY〉〈MOTHER OF LOVE,MOTHER OF HATE〉と、いろんな種類があって。自分たちの作ってきたカタログの3分の2くらいは入ったんじゃないかな(笑)。このツアーがなかったら、ここまでの曲を掘り起こすことはできなかったはずだから、そこはすごくよかった。だって、もう2度とライヴでできなかったであろう曲が何曲もあるんだよ? それを披露できたことは嬉しかったですね」
確かに。
「あと、バンドに緊張感を持って向き合えたことがよかった。毎回メニューが入れ替わるから、曲の違いはもちろん、この曲のラストをドラムで締めるのか、ギターのノイズをかき鳴らしながら次に繋げるのか、さすがに全部憶えられない(笑)。だからその日のライヴのリハーサルのたびに、メンバー同士が話して確認していくんですけど、それがよかったね。それに、あらためて過去を振り返ってみることって、あまりないんですよ。だから、あんな荒削りだった初期のLUNA SEAが、『MOTHER』に到達して、そこでまた違うカラーになって『STYLE』が生まれていく、そんな流れをメンバー5人で、41本のツアーであらためて感じることができたのはすごくよかった」
達成感がある?
「そうだね。あと僕の場合は、発声障害との戦いでもあったので。格闘家がスパーリングをいっぱいやって、いろんな試合で成績を残して自信がついてくるのと似てたんですよ。これだけ経験したんだから負けるはずがない、って。それは今年のツアーラストだった神奈川県民ホールで感じたかな」
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ライヴのクオリティという側面はあるにせよ、RYUICHIの発声障害という現実が、バンドを、そしてLUNA SEAと歩んできたファンの気持ちを、ひとつにしていた感じがしましたね。
「うん。でもそこはね……言葉にしにくいな。おっしゃることは確かに感じたけど、僕がそれを100%肯定するわけにもいかない。プロなんだから唄えてナンボな職業だし」
ちょうど1年前にインタビューした時は、それすらも味方につけてやっていく、そんな気持ちで臨むと話してましたが、実際どうでしたか? 1年前の〈DUAL ARENA TOUR〉とは違う大変さや苦しみがあったと思うんですが。
「自分の中では、ライヴをやることでしか解決できないな、と思ってましたね。初めから負けを認めて、ステージに上がるのを辞めるとか、アーティスト活動を一度休止することも選択肢としてはあったんでしょうけど、でもそこから復帰するには、結局何年か、リハビリのための武者修行的な場は必要になってくる。それをやっているのがもったいないというか、割く時間もそんなに残されてないな、と思いました。逆に、2023年のアリーナツアーから始まって、今年のホールを中心とした41本のライヴ。これを経験することで、声を出すための武器が引き出しに揃ってきた。僕としてはやり続けてよかったなって感覚ですね」
どんな武器というか、対処の方法が見えてきましたか?
「例えばギターのフレットに打痕がついた時、それが3弦のフレットについてたら、上手く音程が鳴らなくなるじゃないですか。発声障害もそういうものだと思ったので、1個前や2個前のフレットをチョーキングすればすむんじゃないか、って考えたり。あと〈う〉って発音しなくてはならないところに、Fをちっちゃく入れて〈ふ〉にしたら唄えたとか」
あ、なるほど。
「歌詞をあえてカタカナっぽく、時には英語っぽく発音してみたり。そういう表記で唄った瞬間、楽に出ることもあるんです。厳密に言うと日本語の発音としてはちょっと違うかもしれないけど、そういう考え方をすれば、発声障害で唄えないところでも音が鳴るので」
僕が知ってるRYUICHIという人は、歌に圧倒的な自信があって、あまり外には見せないけどプライドも高いと思っているんです。そういう人があのようなステージで、声が出ない状況に置かれるって、どんな気持ちになるものですか?
「まあ苦しいですよね。何が苦しいって、理由がちゃんとわからないからなんですよ。過去、インフルエンザや風邪、それと声帯浮腫によって声が出なかったことはあったんですよ。ステージ上で苦しくて泣けてくるというか。何やってんだ俺は、って気持ちにさせられました。でも今回は、お医者さんに見てもらっても、声帯は異常ないです、って言われる。でもステージに立つと声が出ない。その理由がわからない」
なるほど。
「僕は今まで、ヴォイストレーナーと耳鼻咽喉科の先生、この2人に大きなサポートを受けながら唄ってきたんですね。でもなかなかよくならない。どうやら耳鼻咽喉科と、脳神経外科のイップスやジストニアの専門家の間には、深い繋がりがないみたいで。だから1年くらいは、声帯の傷が癒えてないのかな、癒えていても、左右のバランスが不均等なのかな、とか、悶々と考える日々が長く続きました」
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つまり、声帯は正常だってわかったのは?
「2024年の……10月? それで2ヵ月くらい前、脳神経外科ってところを初めて受診したんですよ、その時、頭蓋骨にちょっと穴をあけて、脳を手術する話もあって。もしそれで回復の見込みがあるなら……とも思ったんですけど、結論からいうと手術はしなかった。そこで処方してもらった薬がすごく合ったんです」
それを飲んで唄ったら?
「岩手、青森の直前から飲み始めて、その量やシチュエーションで効果が変わるから、いろんな形で試してみたんです。神奈川県民ホールのラストまで服用したのかな。そしたら、ここの何年かで感じられなかったほど、圧倒的な効果というか、違いを感じることができたんです。ドライヤーがずっとローで、風も弱くて苦労していたのが、いきなりハイになった感じ。ものすごく唄いやすいんです」
よかったですね、それは。
「今日もちょっとしたレコーディングをやるんですけど、そうやって唄う場で試しながら、ベストな形を探りたいですね。無理矢理飲むと、喉が極端に乾いたり、眩暈がしたりするらしいので。人によっては怒りやすくなるって言ってたかな(笑)」
副作用も多少ある、と。
「でもそれくらいはコントロールできると思うし、そもそもそんなに怒らない(笑)。でもそれ以上に、2月の東京ドームは、可能な限り万全な形で迎えたい。そのためだったら、悪魔に魂だって売る覚悟ですよ」
それでも唄おうとするのはなぜですか?
「僕、頭の中でイエス・オア・ノーみたいなことをやるの得意なんです。今回、発声障害です、ジストニアですと診断された。次の選択肢は、何年か休む、辞める、続行する、のどれかじゃないですか。僕がマラソン選手で足を骨折したとか、ギタリストが利き腕を折ったとかだったら、これは現実的に走れないし、弾けない。でも僕の場合は、声帯は問題ないわけですよ。脳からの信号がイレギュラーな伝え方をしてるから出ないだけで。だったらこれは、やる人生だなと。今54歳ですけど、ここから先、唄わない人生なんて考えつかない。ならば、たとえそれがボロボロで、落ち込む結果になったとしても、今唄わない理由はないな、と思ったんです」
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失礼なことをあえて聞きますけど、ベストコンディションではないLUNA SEAを観せているかもしれない不安というか、申し訳なさみたいな気持ちはありましたか?
「ありました。かなり強かったですね。メンバーに対してもスタッフに対しても、もちろんファンに対しても『俺はステージに立っていいのかな……』ってクエスチョンを投げかける寸前でした。それを口にしてたら……もうダメだったかもしれないね。〈ERA TO ERA〉のツアーが始まった最初の頃は、やると決めたはいいものの、そうやって毎日自問自答してました。でもちょうどその頃、何も話してないのにSUGIZOが言ってくれたんですよ」
何を?
「『RYU、何をやるかじゃなくて、誰とやるかだから』って」
……いいこと言うなあ。
「そうなんですよ。ちょっとこみあげてくるくらい温かい気持ちになって。だから自分も、ダメだダメだじゃなくて、これも試してみよう、あれも試してみよう、絶対今日より明日のほうが、1センテンスでも1曲でもよくなるはずだ、って。そうやってもがきながらライヴを重ねていく中で、もうこんなんじゃダメだよ、聴きたくないよって声をステージで感じたら、それは休むなり延期なりを選択しないといけないなと思ってたけど、ものすごくファンが盛り上げてくれてるのを感じて……驚きましたね」
もう自分が判断するものではないというか。
「そういうものになってきたような気がします。だから、本当の意味で覚悟のドームなんですよ。アーティストにとって何が正義なのかすごく考えた日々だけど、今は最後にドームで逆転ホームランが打てそうな感覚があるし、誰もが思っている、カッコいいRYUICHIでいなくちゃいけないな、と思う」
これから先もシンガーとして、いろんな可能性が自分にはある、って思えますか?
「実はソロの2枚組のアルバムを、調子が悪くなる少し前から作ろうとしていたんです。15曲入りくらいで、もうそこそこ進んでるものもあったんですけど、当時、伸びやかな歌が唄えなくなった自分がいたんで、ちょっとお蔵入りしてて。それが今なら唄えるかもしれないなって」
2月に東京ドームを今の気持ちでやり終えたあとは、その先、どうなったらいいなと思っていますか?
「自分たちのバンドを〈考える〉というか〈正確に捉える〉ために、例えばポール・マッカートニーやビリー・ジョエルが、今どんなコンサートをやってるか、よく観るんですよ。何が言いたいかというと、けっこうLUNA SEAの中に、5人やスタッフの中に眠っている〈ライヴの熱さ〉だったり、暴力的とは違うんだけど、極限まで向き合って吐き出したり、はみ出してる感じがある。それが今はまだ、この41本でもできたと思うんです」
そうですね。
「たぶん東京ドームも、その気持ちで向き合うでしょう。で、終えて、まだまだこのスタイルでいけるな、と思うのであれば、5年ぐらいはがむしゃらに『明日のことなんて関係ないよ。今日やれることを全部ぶつけよう』ってことになるかもしれない、それもありだと思う。でもいつかは、もうちょっと楽しんでバンドをやりたいかな」