ガットギターの旋律に乗せ、しゃがれ声とともに聴こえてくるのは……般若心経! ジャズ・パンクバンド、勝手にしやがれのフロントマン・武藤昭平のソロアルバム『名前を失くした男』は、まさかの「般若心経」の弾き語りで幕を開ける。アコースティック・ユニット、武藤昭平 with ウエノコウジの活動休止を経て、約14年ぶりに個人名義での作品リリースとなった今回。『水曜どうでしょう』の“ミスター”こと鈴井貴之から舞台『D-river』(劇団OOPARTS/2022年上演)の劇伴と主題歌を依頼されたことがきっかけで制作が始まったという本作は、「自分ひとりだからこそできるものに振り切った」と武藤が言うように、「般若心経」をはじめ、彼が帰依する〈仏教〉の世界観を、哀愁漂うメロディと表情豊かなアコースティック・サウンドで形にした1枚となっている。
現在、誉号戒名を授けられた浄土宗の信徒でもある武藤が、なぜ仏教というものに惹かれたのか。そのあたりを今回じっくり聞いてみることにした。無我の境地へ辿り着くために。そして、なぜ生かされているかの答えを探して、彼は唄い、念仏を唱えるのだ。
今回、14年ぶりに武藤昭平名義での音源となりますが、舞台『D-river』の音楽をお願いされたことが、アルバム制作をはじめるきっかけだったとか。
「とっかかりは、そうですね。作るにしても、ひとりじゃ録音できないしどうしようかな?と思った時に、石井亮輔(ソングライター、音楽プロデューサー)のことを思い出して。彼がバンドマン時代に知り合ってるんだけど、宅録とかで曲を作ってたよな、エンジニアもできたよなって。それで彼と組んで、舞台の劇伴と主題曲を作ったんですよ」
それが、今回のアルバムにも入ってる「風のドライバー」や「オートマチック・ドライブ」ですね。
「うん。そのあと、どういう形で出すかはさておき、ちょっと新曲も作りたいなってなったんで、〈とりあえずやってみよう〉って感じで、週1とか、石井くんとのスケジュールが合って、スタジオが空いてる日みたいな感じで、かなりゆっくりとしたペースでやってて。その作業をしている中でウエノくんともいろいろ話をしまして」
詳しくは、武藤さんのブログにありますが、一旦、武藤ウエノの活動はお休みしようということになり、今回ひさびさにソロ名義での音源を出すことになったわけですね。
「そうそう。で、ソロだったら、やっぱ俺ひとりじゃないとできないことをやったほうがいいなと思って(笑)」
まあ、そうなんですけど……1曲目からガットギターで弾き語る「般若心経」って!
「はははははは。でも中途半端に知ったかぶりで仏教とか言ってるわけじゃなくて、ちゃんとしてますっていうのもあるし、俺、〈般若心経〉をフラメンコでよく使われるフリジアンスケールでやるという発想は、ナイス・アイディアだと思ってて」
すでに弾き語りライヴでは、幾度となく披露されていましたし、勝手にしやがれのアルバム(『ニルバーナ・サン』2021年作)に入ってる「エカクシャナ(ケモブレインの言葉)」という曲にも、般若心経の一部を用いたフレーズがありましたけど。でも今回は完全に振り切りましたよね。MVも含め……いろんな意味で衝撃作だなと。
「なんか、やっぱ俺ってパンク出身なんだなって思いますよ(笑)」
確かに(笑)。今回の作品は「般若心経」から始まり、2曲目の「百足」も仏教の教えに基づいた内容ですし、さらに4曲目の「六字大明呪(オム・マニ・ペドメ・フム)」はチベット仏教の経典の真言で。
「ずいぶん前にシンガポールに行った時に、あるお寺の敷地内の土産屋に念珠が売ってたんですよ。それを自分のお土産用に買ったんだけど、あんまり見たことないような梵字がそこに書いてあって。それで一生懸命ネットで調べたら、〈オム・マニ・ペドメ・フム〉って書いてあるんだっていうのがわかったんだけど、調べてる中で、〈六字大明呪〉を唄ってる尼僧さんの映像にたどり着いて。そのメロディが素晴らしくてね、〈これをうまくカヴァーできないかな?〉と思って、弾き語りでやり始めたら、かなり評判がよく(笑)。タイジさん(佐藤タイジ/シアターブルック)も、この曲がすごい好きだってよく言ってくれてて」
それでこの曲も、音源化することに。
「うん。まあ、今回のアルバムをタイジさんに渡したら、『〈六字大明呪〉が入ってるのに、なんで俺をレコーディングに呼んでくれなかったんだ!』ってすごい怒られたんだけど(笑)」
俺がこの曲好きなこと知ってるだろう、と(笑)。
「でも『いや、すいません。仏教曲は、仏教徒だけでやりたかったんです』って言って(笑)」
ははははは! 武藤さんも、今や浄土宗の信徒ですもんね。
「はい。五重相伝会という修行と仏教徒になるための授戒会の両方をやらせていただいて。誉号戒名も授けていただき、完全に仏教徒になったんで、もう悪いことをするのはやめようと思ってます(笑)」
ええっと……病気になられてから、かなりクリーンになりましたけど、以前の武藤さんは、酒もタバコもガンガンにやっていて――。
「本当にすみませんでした!(笑)」
ははははは!
「でも、こんなに悪いことばっかりやった男でも仏教徒として迎えてくれるんだっていうことで、もう本当に悪いことはやめようと思いましたよ」
あの、そもそも仏教に興味を持つきっかけは何だったんですか?
「うちの親父方のおじいさんが、代々の石屋さんで。それで墓石や神社の狛犬とかが置いてあったり、お寺や神社仏閣に縁があったんですよね。それで自然に興味を持つようになったというか。だから運気が悪いと墓参りしなきゃって思うし、里帰りした時は絶対に墓参りしてましたね」
そのわりには、長らくロックンロールな生活を体現されてましたよね(笑)。
「だから〈あいつは悪いことばっかりやってるけど、実は信心深いから〉っていうので、ちょっとした悪さだったら許してもらえるかな、みたいな(笑)」
あはははは。そこで相殺されていると。
「そう(笑)。だから急に変わったわけじゃなくて、もともと仏教に帰依する気持ちはあったんですよ」
そこから信徒になるまでに仏教に傾倒されたのは、やはり病気になられたことが大きかったりしますか。
「それもあるし、すごく縁を感じたことがあったんですよね。闘病中、時間があったんで、この機会に仏教の勉強をしようと思ったんですけど、本当にいろんな教えがあるし、最初はどこからどう手をつけていけばいいのかわからないなって感じだったんですよ。そんな時にたまたまテレビをつけたら、禅の大家である鈴木大拙先生(仏教学者)の付き人だった岡村美穂子さんが出てて、大拙先生について語っていたんですね。〈鈴木大拙先生ってなんか聞いたことあったなあ〉って思いながら観てたら、その中でジャック・ケルアックとアレン・ギンズバーグが大拙先生に会いに来たっていう話がでてきて」
アメリカのビートニク文学を代表する作家たちですね。
「俺はトム・ウェイツが好きで、ジム・ジャームッシュも好きで。彼らは、ビートニクに影響を受けてるし、当然俺もビートニク文学は好きでケルアックにギンズバーグ、あとウィリアム・バロウズの本を読んでるわけですよ。で、ビートニク作家たちが好んで聴いてたのが、フリースタイルのジャズで、それが勝手にしやがれをやるきっかけにもなっていて。で、当時のアメリカでは、禅における悟りというのは、東洋の神秘思想であり、自由な精神を得られるものっていう、本質をわかってない形で捉えられてたところがあって」
それでビートニク作家の2人が、禅の大家と呼ばれる鈴木大拙先生に会い来たと。
「もともと大拙先生は、英語教師で語学が堪能で、禅についての本を英訳して世界で初めて発表した人なんですね。それで2人が会いに行ったんだけど、彼らに説教をしたらしいんです。『おまえたちは自由を履き違えとる』って(笑)」
あはははは。
「当時のアメリカのビートニクやヒッピーは、禅を組んで違う世界が見えるのと、LSDをやって違う世界が見えることを同列に考えてたところがあったんですよね」
そうじゃないだろう、と(笑)。
「それを観て〈あ、繋がった〉と思って。仏教に興味があって、ビートニクが好きだって言ってたけど、ここで重なったなと。それで鈴木大拙先生の本を読破しようと思って、ずーっと読むようになって」