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【追悼 ISSAY】またいつかSad Cafeで

text by 今井智子

2023年8月5日、不慮の事故により突然この世を去ったDER ZIBETのヴォーカル、ISSAY。独自の美意識、世界観によって唯一無二の存在感を放つアーティストであった彼について、DER ZIBETのデビュー時からの付き合いとなるライター今井智子さんによるテキストをここに掲載します。音楽だけでなく、俳優、パントマイマーとしても活動するなど表現者として突出したものを持ち、BUCK-TICKの櫻井敦司を筆頭に、後進たちに少なからぬ影響を与えたISSAYの歩みと、その人柄について。



DER ZIBETのヴォーカリスト、ISSAYが亡くなった。


7月14日に目黒ライブステーションで妖艶に唄い、9月には原宿クロコダイルで極東ファロスキッカーらと対バンする予定だった。突然の訃報に彼を知る人は誰もが狼狽し、SNSには彼への思いを吐露するポストが続いている。並外れた美貌と独自の美意識を持ち、誰に対しても優しい笑顔を見せているが人生のダークサイドも熟知している。シンガー、俳優、パントマイマーなど活動は多岐にわたり、表現者として突出したものを持っていた。利口なフリはしないが聡明で、多方面にわたり知識豊かで驚かされることも多かった。そんな彼と出会った人は間違いなく、彼への信頼と愛を持ち続けている。


彼のステージ・パフォーマンスはシアトリカルで耽美。仮面やステッキ、ハットなどを効果的に使い、独自な世界観を表現した。そんなライヴをするバンドは他にいなかったから、最初に見た時から私は魅了された。また子供の頃から読書家だっただけに彼の書く歌詞には文学的な匂いが漂い、巷に溢れるポップ・ソングの歌詞とは一線を画す深みがあった。ボードレールや江戸川乱歩、カポーティや三島由紀夫、京極夏彦などについて、折に触れ話をしたものだった。


私がISSAYを知ったのは、あるパーティで近田春夫さんが連れ歩いていた美少年を見た時だった。その後DER ZIBETがデビューするSixty Recordsのスタートアップ・パーティだったかと思う。近田さんが原案・プロデュースし手塚眞監督で制作された映画『星くず兄弟の伝説』(1985年公開)が公開される頃だ。手塚氏がISSAYを偲んでFacebookにポストしたことによると『星くず兄弟の伝説』の打ち合わせをしている時にスタッフが持っていた写真をたまたま見て、ISSAYに白羽の矢を立てたとか。手塚とは縁が深く、その後2018年公開の続編『星くず兄弟の新たな伝説』、また手塚が父・手塚治虫の描いた『ばるぼら』の映画化作品にも出演している。


その美貌の青年と会ったのはDER ZIBETのファースト・アルバム『Violetter Ball-紫色の舞踏会-』(1985年作)についてのインタビュー。人当たりはいいがガードの硬いISSAYとギクシャクした会話をした記憶がある。けれど、ちわきまゆみや岡野ハジメなど共通の知人が何人もいたこともあり、取材を重ねるうちに打ち解けていった。あの風貌で、いつもシックなファッションでキメ、ハットやステッキを持っても似合うISSAYは、たいそう浮世離れして見えるが、意外に常識人で人懐っこい。呑みの席などではニコニコと人の話を聞いていて、時々お茶目なことを言う可愛げのある人だった。


ISSAYは高校時代にロックに目覚め、デヴィッド・ボウイ、Tレックス、ルー・リード、セックス・ピストルズなどに大いに触発され、メイクをして高校に通っていたと言っていた。上京し19歳でグラムバンド、ISSAY and SUICIDESを結成、2年ほど活動したあとソロ・プロジェクトを開始。また音楽活動と並行してパントマイムを学び、師事した望月章氏から身体表現だけでなく芸術全般、作詞作曲からライフスタイルに至るまで影響を受けた。DER ZIBETが始まってからだが、ISSAYのパントマイム公演を観たことがある。ご高齢の章先生をサポートして熱演する姿に、バンドでの彼とは違うエネルギーを感じたものだ。


DER ZIBETは、ソロ・プロジェクトの頃から共に活動していたHAL(ベース)、共通の知人を介して知り合ったHIKARU(ギター)とバンドを組もうとしていたところにMAHITO(キーボード)がMAYUMI(ドラム)を連れて現われ、1984年にスタート。ヴィジュアル系という言葉もない時代、美貌のヴォーカリストを擁するニューウェイヴとハードロックの間を行く異端のバンドとして登場した。デヴィッド・ボウイからジョイ・ディヴィジョンに至るデカダンスとピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンに裏打ちされたロック魂がせめぎ合うスタイルは、当時の音楽シーンで斬新に感じられたがハードルの高いものでもあった。しかしDER ZIBETは、自分たちを曲げることなくバンドを進めていった。


4作目『GARDEN』(1988年作)は初のロンドン・レコーディング。ジェスロ・タルやピーター・マーフィーが使ったメゾン・ルージュ・スタジオで、ジミー・ペイジのソロを手がけたディック・ビーサムのエンジニアリングで行われた。取材で1週間ほど同行したが、慣れない外国人との作業に戸惑いながらも、ロンドン・ライフを4人は楽しんでいた。ISSAYはフィッシュ&チップスにかけるモルト・ビネガーが気に入り、日本に買って帰りたいと何度も言っていた。あまり食に興味のない彼にとって、それは珍しいことでもあった。そして同じ頃、BUCK-TICKが4作目『TABOO』のレコーディングでロンドンに来ており、その合間に行ったシークレット・ギグをDER ZIBETの面々は観に行った。BUCK-TICKの櫻井敦司は、初ロンドンでのアウェイなライヴに同胞が来てくれて心強かったと、のちにISSAYとの対談の際に話してくれた。


デビュー前にDER ZIBETを聴いて以来のファンだという櫻井とISSAYは、音楽や読書などの共通の好みもあるが、美意識や感性に響き合うものがあったのだろう。1991年発表のアルバム『思春期Ⅱ-DOWNER SIDE』収録の「マスカレード」に櫻井とBUCK-TICKのギタリスト今井寿が客演。リリース後に九段会館で行われたライヴでは、「マスカレード」に櫻井がサプライズで登場し、ISSAYと濃密なデュエットを繰り広げた。同曲は、2010年リリースのベスト盤『懐古的未来-Nostalgic Future-』にアレンジを変えて新録され、二人の成長をうかがわせる表現力豊かな歌が収められている。また「マスカレード」への返答のように、BUCK-TICKは8作目のアルバム『Six/Nine』(1995年作)収録の「愛しのロックスター」でISSAYをゲスト・ヴォーカルに迎えている。また、ムーンライダーズの鈴木慶一がプロデュースしたISSAYの初ソロ作『FLOWERS』(1994年作)には、櫻井とBUCK-TICKのもう一人のギタリスト星野英彦が参加。この作品には他にも清春、マッド・カプセル・マーケッツのTAKESHI UEDA(ベース/当時はCRA¥名義)とMOTOKATSU(ドラム)など錚々たる顔ぶれが並んでいる。


櫻井はISSAYから、先輩ヴォーカリストとしてだけでなくステージ・パフォーマーとして少なからぬ影響を受けている。今の櫻井が得意とするシアトリカルな表現や仮面などの小物使いで歌の世界観を表すことなど彼との交流から得たものと思われる。櫻井にとって、自分の美意識や感性を共有し肯定してくれる数少ない理解者がISSAYだったのだろうし、ISSAYにとっても自分を慕う後輩たちの中でも、もっとも信頼する存在だったのではないか。BUCK-TICKの年末恒例の日本武道館公演には必ずISSAYを招き、終演後の打ち上げで静かに呑みながら二人が語り合う姿も恒例になっていた。


DER ZIBETは1996年に活動休止する。その頃からISSAYは様々なユニットにも積極的に参加していく。彼の個性的なヴォーカルやパフォーマンスに共鳴して声をかけられたものだが、誘われれば断らないのがISSAYだ。1997年にHALと44MAGNUMのJIMMY(広瀬さとし)とで組んだΦ(ファイ)、ALLNUDEのTATSUYAと組んだHAMLET MACHINE、X JAPANのHEATHとのLynx。福原まり(キーボード)とのユニットISSAY meets DOLLYは〈Neo Cabaret Music〉、〈Theatrical Music〉をコンセプトにし、ISSAYが自然体でいられる場所だったように思う。このユニットでISSAYがよく唄っていた「アラバマソング」(ブレヒト、クルト・ヴァイルによる劇中歌。デヴィッド・ボウイ、ドアーズなどがカヴァー)を聴いて土屋昌巳がメンバーに呼んだKA.F.KA。こうした活動を経てISSAYの歌には一段と磨きがかかってきていた。


2004年に起きた事故で大怪我を負ったHALの体調が戻って来たことを契機に、再び足並みを揃えたDER ZIBETは、2007年に活動を再開。当時ISSAYは入院中のHALを頻繁に見舞い、回復していることを嬉しそうに話してくれたのを思い出す。大変な時でもポジティヴに立ち向かうのがISSAYだった。1985年のデビュー前に脱退していたMAHITOも、再始動時に正式メンバーとして参加し、ライヴを重ね作品も発表していく。コロナ禍でも彼らは配信ライヴを続け、ようやく通常のライヴができるようになってきたところだった。


突然の訃報に今も戸惑っている。だが、ISSAYが残してくれたものはこれからも大切に受け継がれていくことだろう。今も彼はどこかで「待つ歌」を唄い、「Pas Seul(一人舞い)」をしているのだろうか。「Sad Cafeで会おう」と約束したことを忘れずにいよう。思い出を「ノスタルジア」にしたくないから。いつも笑顔でポジティヴだったISSAYの魂が安らかならんことを。



文=今井智子
トップ画像:2003年2月号掲載写真(撮影=笠井爾示)

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