今年2月、「自分のための音楽を作るまでに、何年もかかってしまいました」というコメントとともに、ソロアーティスト・accobinの初音源となる「Heart Beats」のMVが、彼女のYouTubeチャンネルにて公開された。柔らかな歌声と子供の心音や声がサンプリングされたサウンド、そして徳島の街で撮影されたその映像には、一児の母として、生まれ故郷である徳島という場所で気負いなく音楽と向き合い生活をする、どこまでもナチュラルな彼女の姿があった。チャットモンチー完結から4年半。初のソロアルバム『AMIYAMUMA』が完成した。accobinこと福岡晃子が、「自分のための音楽」にたどり着くことができた場所で話を聞きたいと思い、一路徳島へと向かったのだった。
(これは『音楽と人』2023年7月号に掲載された記事です)
チャットモンチー完結を見届けた〈こなそんフェス2018〉以来、約4年半ぶりの徳島へ。個人的には、4度目の徳島となるのだが、過去3回はいずれもライヴ取材だったこともあり、会場とホテルの往復で終わってしまっていた。なので今回は、ぜひ一度行って見たかった鳴門の渦潮を見るべく、取材前日に現地に入ることに。そのことをaccobinこと福岡晃子に伝えると、鳴門のオススメスポットや名物、また徳島市内のグルメ情報を教えてくれた(彼女の母校は鳴門教育大学なので、鳴門にも詳しい)。そのおかげで、4回目にしてようやく徳島を堪能することができた1日となった。
そして翌日。徳島市のシンボル、眉山の麓にある観光施設「阿波おどり会館」から程近い、東新町商店街。かつては若者のホットスポットだったらしいが、福岡が高校生の時に友達とよく行っていたというファーストフード店やドーナツショップも撤退し、今は閑散としたアーケード街となっていた。その商店街とクロスする〈ろくえもん通り〉沿いのビルの3階にある、福岡が運営するイベントスペース「OLUYO」へと向かった。
エレベーターを降りると、店の前で待ってくれていた彼女が「迷わず来れるか心配してたー」と言って出迎えてくれた。約4年半ぶりの再会ということもあり、互いの近況報告をしながら店内へ。マイクスタンドやベース・アンプなどが置いてあり、すでに4日後にここで行われるアルバムのリリースパーティの準備が進んでいた。ひとしきり店内を案内してもらったあと、ステージセットの前に置かれたテーブルを囲み、チャットモンチーのラストアルバム『誕生』のインタビュー以来、実に丸5年ぶりとなる彼女との対話がスタートしたのだった。
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YouTubeチャンネルを通じ、チャットモンチー完結後、それまで所属していた事務所を離れフリーで活動していること。そして結婚、出産を経て一児の母であるということは伝えられていたが、まずは改めて完結以降の彼女について話してもらうことにした。
「2019年に入ってフリーになって、ちょこちょこ楽曲依頼とか、バンドのプロデュースのお仕事が来るようにもなって。そこでけっこう創作意欲自体は満たされてはいたんですけど、自分の名刺代わりになる作品があってもいいんかなと思ってアルバム制作に着手し始めた矢先に、子供ができたことがわかったんですよね。妊娠中も、無理のない範囲で音楽活動はやっていたんですけど、子供が生まれて、しばらく子育てに専念というか、音楽作業ができる余裕もなくなり(苦笑)。だから頭の隅にはいつか出したいなっていうのはあったけど、チャットの時みたいに、それを生業としてという感じでもなかったし、締め切りがあるわけでもなかったし(笑)。だから、まあいつかできるやろうって感じではありましたよね」
2020年に入り出産、そしてその年の秋には、現在暮らす徳島県南部の海辺の町に、家族とともに移り住んだ彼女。ライフステージの変化にともない、生活環境も一新させた裏には、やはりコロナ禍というのが大きく影響している。子供が産まれたタイミングで、最初の緊急事態宣言が発令されるなど、未知なるウィルスへの対処法がまったく見えていなかった当時。産まれたばかりの子を持つ母親としての不安、そして外出もままならない閉塞感もあってか、東京以外の場所で暮らすこともぼんやり考えるようなっていたのだという。そんな中、緊急事態宣言が解除され、ようやく実家に子供を連れて里帰りをした彼女。とはいえ、まだ予断ならぬ状況もあり、幼子を抱え公共機関を使って帰省するのではなく、車で移動することにしたのだが、地方都市における、県外ナンバーへの異様なまでの警戒心を目の当たりに。そんなこともあり、人気のない場所を探し、向かったのが今、彼女が住む町だった。
「その頃、徳島がけっこう荒れてて。全国ニュースにもなったけど、県外ナンバーに石や生卵を投げたり、車を傷つけたりっていう騒ぎが、頻繁に起きてたんですよね。そんな時に東京ナンバーの車で帰ったもんやから、めっちゃ見られたし、実家に車停めておくのもなんか気まずい空気があって。それで、海やったら誰もおらんやろって感じで、県南の海に行ったんです。飼ってる犬も連れて徳島に帰ってたんですけど、犬がめっちゃ楽しそうに海辺を走り回ってて。その光景を見て〈あ、ここで生活するのもいいかもなぁ〉ってふと思って、何の気なしに旦那さんに言ったら、その場で役場に『空き家ありますか?』って連絡しはじめて(笑)。で、その3ヵ月後には移住してました」
かくして、徳島の海辺の町へと移住した彼女。同じ徳島ではあるが、市内出身の彼女にとって、縁もゆかりもない、見知らぬ土地での初めての育児に追われ、しばらく音楽作業をする余裕がなかったことは想像に難くない。それもソロ音源を出すまでに時間を要した理由のひとつではあった。しかしそれ以上に、「自分のための音楽」を作るに至るまでの葛藤、逡巡が、長らく彼女の中にはあったのだという。
「ここまで時間がかかってしまった一番の理由は、やっぱり〈自分が唄う〉っていうイメージがまったく湧かなくて。自分のために歌を作ることへの、自分の中での落としどころみたいなものがなかなか見つけられなかったんですよね。これまでチャットで書いてきた曲や提供楽曲が、えっちゃん(橋本絵莉子)であったり、自分以外の誰かが唄う前提の作品、例えばそれが小説だとしたら、ソロは自分が唄うエッセイで。全部自分じゃなきゃいけないって思ったのと同時に、自分の生活や人生が背景にあるような音楽を出すことに意味あるんかな? みんな小説を読みたいんちゃうか?って思ったりして。どっかで〈チャット完結後の作品として見られるんだな〉っていう意識もあって……単純にグジグジしてました(苦笑)。なんかずっと自信がなくて。自分の歌を届けることって、こんなにも覚悟がいることなんやっていうのに、今さらながら気づいたというか。そこに3年くらい苦しんでいた感じだったんですよね」