『音楽と人』の編集部員がリレー形式で、自由に発信していくコーナー。エッセイ、コラム、オモシロ企画など、編集部スタッフが日々感じたもの、見たものなどを、それぞれの視点でお届けしていきます。今回は、自身が応援するグループの舞台を初めて観劇した編集者が、そこでの気づきを綴ります。
5月某日、今後の人生で一生忘れることのできない鮮烈な体験をした。それは何かというと、推しに会えたこと。会えたと言っても、仕事を一緒にしたり、街中でばったり遭遇したわけではない。ただ推しが出演する舞台を観に行っただけ。それ「会う」って言うか?と思う人もいるだろうが、推しと同じ空間に居られる機会はすべて「会う」とカウントする主義なので(理由はそのほうがロマンチックだから)、そこは目をつぶっていただけるとありがたい。
推しのファンになったのは今年の1月なので、いわば私は新規ファンだ。コネや強力なチケ運を持ったオタ友が居るわけではなく、推しに会うための頼みの綱はファンクラブの自分名義一つだけ。その上、推しのグループの人気はうなぎのぼりで、舞台に限らず、ライヴやイベントのチケット倍率は非常に高い。しかも、私がファンクラブに加入した頃には舞台の抽選受付は終了していたので、ファンクラブに加入していても、早くて次のツアーが行われるであろう秋か冬、長ければ向こう5年くらいは推しに会えないんじゃ……なんて覚悟をしていたのだ。それが、一般発売で奇跡的にチケットを入手できたことで突如訪れた、夢にまで見た時間。いまだに夢みたいで現実味が無いが、今回はその時のこと、ではなく、推しに会いに行くにあたって気になったことなどについて書こうと思う。
それは、「自分はなぜ現場にメンカラを着て行きたいのか?」ということ。メンカラとはメンバーカラーの略称で、アイドルグループなどのメンバー一人一人に割り当てられた色を指している。ちなみに私の推しのメンカラは白。なので、自分が観劇に行く日は必ずや白い服を着ていきたい、1枚でもおしゃれに見えるような凝ったデザインのシャツでも買おうかなぁ、なんて漠然と考えていた。今思い返せば、その程度ならまだ良かった。チケットを入手できたのが3月中旬。そこから公演日までの約2ヵ月で推しへの愛は日に日に増していき、5月に突入した頃には「靴もバッグも何ならネイルも全身白で挑みたい」と、白装束で参戦しようと意気込むほどに私の気持ちは高まっていた。
そして訪れたゴールデンウィーク。今年の連休中の仕事はすべてリモートで対応できるものだったので、わりと長い間帰省していられることになった。つまり、舞台に向けての衣装集めにも時間を割ける……! 期待に胸を膨らませつつ、地元も都内もとにかくいろいろなお店を廻ってみた。それなのに、納得のいく服には出会えなかった。いや、服だけじゃない。ネイルは自分でやるのでいいとして、靴もバッグも理想どおりのものがない。白は定番中の定番カラーなので、白い服が無いというわけではもちろんないし、可愛らしい白のワンピースなんかは至る所に売っている。しかし、個人的に白いワンピース一枚で簡単に済ませるのが嫌で、上下バラバラに売っている白い服でコーディネートしたいという謎のこだわりがあったのだ。そんなこだわりを抱きながらの衣装集めは難航し、貴重な連休中、私の脳内にはつねに「白い服」の三文字が鎮座していた。
その後、ZOZOTOWNに頼ることでどうにか衣装集めは成功した。それにしても、なぜ自分は1週間近く白い服を求めて奔走することができたのか? そもそも、どうしてそこまでメンカラにこだわるのか? 自分のことながら、気になって気になって仕方がなくなっていた。自分の座席が最前列や花道の真横だったらまだわかるが、今回は3階席。会場のキャパ自体はアリーナクラスのライヴ会場に比べるとかなり狭いので、推しの視界にまったく入らないこともないだろうが、入ったとしても所詮は豆粒程度。向こうは私の服装なんてとても認識できないレベルだろうし、白い服を着てる=自分のファンとわかった上で目を合わせてほしいわけでもない。かと言って、他のファンに「あの人は○○推しなんだ」と認識してもらいたいわけでもない。じゃあ……なぜ⁉︎ いろいろ考えてたどり着いた答えは、シンプルに「私はあなたが好きで、あなたの味方です」という意思表示がしたかったのだということだった。
別に私の推しの周りは敵だらけ、というわけではない。なんならグループの関係性は家族みたいでめちゃくちゃ温かいし、つねに支え合って切磋琢磨している印象がある。それでも推しは自分に厳しいほうだし、インタビューやドキュメンタリー番組などを通じて、彼が気にしいな性格であることも知っている。それに、芸能人なら自分の知らないところで心ない言葉を浴びせられる瞬間だって山ほどあるはずだが、世間体を気にして怒りをぶつけることもそう簡単には許されないのだろう。そんな雁字搦めの環境に居ながらも、彼が公の場で話すことは基本的には前向きだ。特によく話しているのが「自分の活動を通じて誰かが頑張ろうって思ってくれることが幸せ」ということ。うん、アイドルの鑑のような台詞だ。でも、それは決して上っ面のものではなく、本心であることは彼の日頃の人との向き合い方からもわかる。自分のようなただのファンに何がわかるんだって話だが……。
とにもかくにも、万が一大切な推しが何らかの壁にぶつかって、万が一ファンの存在を思い出したくなって、万が一舞台を観に来ていたファンのことを思い出す瞬間があったとしたら、その時、彼の脳内に浮かぶファン像に1ミリでもいいので追加されたいのだ。自分の顔はどうでもいい。大切なのは、白い服を着ていた人間が居たということ。都合の良すぎる万が一のかけ合わせに過ぎないが、すぐに流れるようなSNSの書き込みだけでなく、実態として、メンカラの服を来て舞台を観にくるくらい熱心なファンも居るってことが伝わって、あわよくば彼が活動を頑張る上での原動力になりたいのだ。だから、うちわもペンライトも持参できず、声も発することのできないあの空間で、私は白に想いを託すことにしたのだろう。視界に入らないだろうけど、それでもいい。最初で最後になってしまう可能性だってあるのに、せっかくの推しに会える機会で妥協したくない。最大限にできることをやって、ファンであることの意思表示をしたい……! そんなことをグネグネと考えながらたどり着いた会場は、さまざまなメンカラを身に纏うファンで溢れかえっていた。他の人がどんな想いでメンカラの服を着てきたのかなんてわからないけど、会話を交わさなくとも、それぞれの推しに対する深い愛情だけはしっかりと伝わってきた。
自分がファンの立場になってわかったことって、山ほどある。メンカラに秘めた想いの強さだけじゃない。一生懸命チケットを確保してライヴやイベントに行くこと、何日か経ってその時のことを思い返しながらレポートを読むこと、雑誌の発売日を首を長くして待ったり、予約してでも絶対に入手したいと思う気持ちも、全部自分に降りかかることで、いっそう編集者として気を引き締めなければいけないと思えたのだ。だからと言って、ファンに擦り寄った記事を作っていきたいとは思わないが、オタク兼編集者としてできることってあるのでは?と最近はわりと考えている。その正解にいつたどり着けるかはわからないが、推しを応援していることで得た気づきを無駄にせず生きていけたらな、なんて思う次第であります。
文=宇佐美裕世